性と愛の日本史


         


坂田山心中

この事件は、ハガクレのおばあちゃんもビックリした心中事件であります

昭和7年5月9日大磯駅に近い雑木林の山中で、若い男女の死体が発見されました

男の名前は調所五郎(ずしょ・ごろう)
東京芝白金に住む慶應義塾大学の三年生で、22歳
父親は男爵の出身という名門の息子でした

女性は静岡県の現在の裾野市の村会議員の三女
ですが、富岡小町と言われるほどの美人だった湯山八重子
当時21歳になったばかりでした


二人の出会いは、八重子が東京芝白金の高等学校に通うことからは始まります

八重子の通っていた学校はクリスチャンで、ある日曜日、八重子は礼拝堂へ
そこに調所五郎がいたのです

本が大好きな八重子は、五郎が手に持っていた本が気になって思わずどんな本を読んでいるのか聞きました
五郎は「北原白秋です」と小さい声でいい、それから二人は魅かれあうことになっていきます

そしてお互い、秘密を打ち明けるような仲に

五郎の本当の母親は7歳の時に死んでしまい、新しい母親がやってきた
その母親は7人の子供を生んだこと
自分は虐げられているわけではないが、弟や妹が生まれるために自分の存在がいらない子のような気がしてならないというもの

八重子も精神異常をきたした騎兵隊中尉が、発作的に姉を殺してしまったということがありました

お互いの悩みを打ち明けて以来、二人は急速に親密になっていきました
五郎の家に何度か遊びにいったりもしました
その時、五郎の家族は八重子を温かく迎えてくれました

八重子はというと、五郎とのことを実家にいうことはできませんでした
地方なので、男性とちょっと歩いていただけで「ふしだら」と思われてしまうからです

そんな八重子もとうとう高等学校を卒業することに
卒業してしまえば、東京にいることはできないので、父親の命令で実家に帰ることに

帰ってからの八重子は五郎への思いがつのるばかり
和裁といけばなの稽古で沼津へいっていた八重子は、それを利用して五郎とデート
東京までいく時間はないので、ちょうど真ん中の大磯や国府津で会っていたのでした

ある日、八重子は五郎のことを少しだけ母親に話しました
それを聞いた父親が激怒
「学生とつきあうなんてとんでもない!」ととりつく島もなし

その後すぐ、父親が縁談を持ってきたのです

八重子は五郎に「すぐ会いたい」と手紙をだし、国府津のつたや旅館へ

「父親の持ってきた縁談話を断ることはできない。だけどあなた以外の人と結婚することもできない」

五郎はまだ学生の身なので、どうすることもできません
八重子は
「私をどこでもいいから連れて行って。あなたのお母様のいる場所でもいい」
五郎はも「ボクも、君を誰にも渡したくない。それができぬのなら・・」

二人は大磯の駅を出て、海とは反対の方角へ歩いていきました
五郎のポケットには遺書がありました

「もし私が明日の夜になっても帰らなければ、この世のものではないと思ってください。数々のご恩の万分の一もお返しできなかった自分を残念に思ってています・・・・」

こうして二人は、塩化第二水銀の水溶液を飲み干し、あの世で一緒になることを誓い合い心中したのでした


二人を発見したのは、食用きのこを採る青年でした
雑木林の中に慶應義塾大学の制服姿で右足を軽く立てたまま硬直した五郎と、五郎の腕に抱かれるようにして横たわっている八重子を見つけたのです

この心中事件は世間を驚かせました
多くの新聞がこの心中事件を純潔の恋・天国で結ばれる恋と書きたて、一ヵ月後には映画もできるほど

そしてこの映画に使われた「天国に結ぶ恋」は大ヒットしたのです
ハガクレのおばあちゃんも知ってました


今宵限りの三日月も
消えて淋しき相模なだ
涙にうるむいさり火に 
この世の恋のはかなさよ

あなたをよそに嫁がせて
なんで生きよう 生きられよう
ボクも行きます 母様の
おそばへあなたの手をとって









性と愛の日本史トップに戻る?

TOPに戻る?


参考文献はすべてこちら



1