源平合戦
それは源氏と平家が壇ノ浦で合戦したときのことを言います。 この時、源氏は「白旗」平家は「赤旗」を掲げて戦いました。 壇ノ浦では源氏の勝利となりましたが、美少年合戦では どちらに軍配が上がったのでしょうか? 赤組 平家チーム 平 維盛(たいらのこれもり) 赤組トップバッターは、平清盛の長男・重盛の嫡男である維盛 維盛のニックネームは「桜梅の少将」 歌人として知られる右京大夫(うきょうのたいふ)も、 「あなたの前じゃ、光源氏も真っ青よ!」と褒めまくり。 お次は平敦盛(たいらのあつもり) 「平家物語」の「敦盛最期」で超有名人 一の谷の合戦で敗れた後、 源氏側の熊谷直実(くまがいなおざね)が、あまりの美少年ぶりに 思わず討つことをためらうほど。 あの信長の「人生五十年〜♪」の舞いも、この敦盛の舞いです。 ラストは平経正(たいらのつねまさ) この人は「敦盛」のお兄さん。 こちらも美少年だったそうで・・・。 「平氏」は、美形ぞろいで有名だったそうです。 武士でありながら貴族風。 まぁ、それが源平の武士同士の戦いに敗れてしまった原因かもしれません。 白組 源氏チーム 源氏の美形と言えば「義経」 お母さんの常盤も美人で有名だし、美少年だった・・・というのは、もう当たり前のように伝説になってます。 が、残された肖像見たことあります? ヒゲ面で、顔がまん丸。全然かっこよくない(^^;) 「平家物語」にも「義経は色が白くて背が小さい。それに出っ歯」 と、書いてあります。 お次は木曽義仲(きそよしなか) この人は、最初に源氏として都に入った人ですが、天皇や公卿連中に嫌われて、最後追い出されてしまいます。 「源平盛衰記」によると、「涼しげな美男なんだけど、どうも振る舞いが田舎臭い」とあります。 どうやら、カッコはいいんだけど、乱暴者だったようです。 お次は梶原景季(かじわらかげすえ) お父さんがあの梶原景時(かげとき) 義経と仲が悪かった人です。 この人、かっこよかったという証拠はないんですが、歌舞伎なんかではかっこよく描かれています。 果たして判定は!? やっぱり、美少年軍配は赤組の「平氏」に! この頃、関東の武士は乱暴な田舎者。 京都の都で風流しまくっていた平氏の方が、立ち振る舞いやファッションなどなど、全てが洗練されていたことでしょう。 何度も言いますが、公卿かぶれになったせいで負けてしまう原因にもなりましたけどね |