お江戸のおトイレ事情
H20.3月

前にこの歴史戯言でウンコのお話をしましたが(笑)今回はおトイレについてコラムってみましょう!!

え〜、現代の私たちはトイレは男女にわけてあり、しかもお尻に優しいウォシュレットがあったりと、快適なおトイレライフを過ごしております

が!!江戸のおトイレは男女共同であります

ちなみにおトイレはいろんな呼び方がありました

方角によって名前があって、東にあるトイレは「東司(とうす)」西は「西浄(せいじょう)」
南は「厠(かわや)」北は「後架(こうか)」であります

江戸っ子はこれらをひっくるめて「雪隠(せっちん)」と言ったりしてました
後架って呼び方も多かったらしいですけどネ

でもって、江戸っ子の暮らしの場は「長屋」

一つの長屋に10世帯が入ってるとしたら、トイレの数は2つほど
もちろん共同であります

一般的な長屋のトイレは、上が空いていて下だけ扉

つまり、立っていると人がいるのがわかるけど、しゃがんでると姿が見えない

ってことで、上から覗こうと思ったら、いつでも覗けちゃうのです
変態パラダイスです

実際、江戸時代の絵には男性が女性のトイレを覗いてる絵も残ってたりします

トイレっていっちばん落ち着く(?)とこなのに、女性にとってはまったくもって落ち着かない場所だったんですねぇ〜

若い娘さんはかーーなーーり気をつかったそうですよ

さてさて、現代のトイレにはトイレットペーパーがあるのは当たり前ですが、この頃は??というと、いちおーありました

でも粗悪な紙を使っていて、お尻が痛かったそうですよ〜
その紙もない時は「藁(わら)」でお尻を拭いてました

ちなみにそれらは自分でトイレに行くたびに持参します
備え付けってのはないんですねぇ〜

ワタクシなんぞ、ゲリピーになったらどうすんだ??と心配しちゃいますヨ

そんなワタクシのよーなハライタ人間は、長い間トイレに籠もりますよね(笑)
長い間トイレに入ってることを「長雪隠」と呼びました

でもって、みーんな心配してたそうです

なぜ??とゆーと、長雪隠してる場合は「痔」か「淋病」じゃないのか??と心配されたんですねぇ〜

そして現代の変わらないのはラクガキ

今でも公衆トイレにはラクガキなんかがありますよね
江戸っ子のおトイレにもラクガキがありました

「おせん大好き」とか、「おかねちゃんと○○したい。ウフフ( ´艸`)」とか(笑)
ほんとに書いてあったらしいですゾ

でもって、広告も貼ってありました

多かったのは「月水早流し」

意味わかりますかー?ズバリ!!堕胎のお薬の広告なのであります


そんな江戸っ子の憧れは「内後架」

家の中にトイレがあるということです

現代の私たちはほとんどが内後架ですが、江戸っ子は「内後架があるとこに住みたい」と憧れまくっていました


さてさて、江戸っ子の楽しみといえばプチ旅行
お花見なんかはかなり楽しみなイベントであります

けど、公衆トイレがないので、お出かけして一番困るのがトイレ

男の人たちは立小便できるからいいよな〜・・・・って、実は江戸時代は女性も立小便していたのであります

どうやってやるんだ???な感じですが、女性が立小便していたという文献はたーくさん残っているのであります

ちなみにお姫様クラスになると、お姫様が用を足す時に、周りにお付きの家来たちが囲むようにしていたそうですよ

とまぁ、トイレのお話をしてきましたが、最後にこれら排泄物の行方は???

とゆーと、ちゃーーんと汲み取り屋さんが来て、ウンコたちを買っていくのであります

で、ウンコたちは肥料となりリサイクルされるのであります

うーん。江戸はエコな時代ですな〜