明治40年 1907年 | |
日本・・・黒字 アジア・・・青字 アメリカ・ヨーロッパ・・・赤字 |
明治40年 1907年 年表 |
1月 火事予防のために長屋の構造が規定される |
1月31日 乃木希典が学習院長に就任 |
2月6日 足尾銅山で大暴動!! |
足尾銅山で大暴動が起きました 日露戦争時の物価高騰による賃金の低下や増税、待遇の不公平などが原因です 坑内の電話は切断され、ダイナマイトで見張所が爆破され、倉庫や事務所が焼き払われるという大暴動でした 戒厳令がしかれ、600人が検挙されるという大事件となりました また、この年には夕張炭鉱や別子銅山など全国各地で240件を越えるストライキが起きました |
4月13日 平民新聞発行禁止となる |
1月15日にキリスト教系・非キリスト教系の社会主義者が結集し、「日刊平民新聞」を創刊しました 幸徳秋水や田添鉄二の論文などが掲載され、話題となりました が、山口狐剣の「父母を蹴れ」という文章が大問題となり、起訴され平民新聞は発行禁止となってしまいました |
4月 国産ガソリン自動車「タクリー号」 がはじめて作られた |
東京自動車製作所で、アメリカ帰りの内山駒之助が、スピードメーターとプラグ以外は全て国産という初の国産ガソリン車を製作しました 発注者は有栖川宮威仁親王であります ちなみにエンジンは12馬力で、排気量は1837cc ガタクリガタクリ走ることから「タクリー号」と呼ばれ、年内で10台の注文が入りました |
4月28日 北海道幌内炭鉱で暴動 |
1700人が暴動 |
5月 秘密探偵社の創立ブーム |
探偵社が初めて作られたのは明治22年 光永百太という人が、秘密の事件を調べ、それを依頼者に報告し報酬を得るという目的で「探偵社」を設立 それから探偵社は急激に増えました が、中には悪い探偵社がいっぱいあって、問題となってきたのです また、恐喝事件なども起こしたりしました 夏目漱石がダイッキライなもののひとつに「探偵」があります |
6月15日 ハーグ密使事件 |
オランダのハーグで第2回平和会議が開かれました 韓国皇帝の高宗は密使を送り込んで、日本の侵略を訴えたのです が、平和会議は訴えを受け付けず、世界の列強は韓国の密使を相手にしませんでした さてさて、韓国は第二次日韓協約以降、外交権を失っていたため、この行動は「日本に対する反逆」となってしまいました そのため、伊藤博文(この時は韓国総監だった)が、皇帝の責任を追及し、7月19日に譲位に追い込みました さらに伊藤博文は、この混乱に紛れて韓国内政の全ての権利を日本の指導下に置くという第三次日韓協約まで結びました 8月に入ると、すぐに新皇帝のもとで軍隊の解散命令を出し、これにより日本の韓国支配が事実上確立することとなったのです |
7月20日 伊藤博文 純宗を皇帝に |
44年間大韓帝国の皇帝をしていた高宗が日本の侵略を訴えましたが、もはや「韓国は日本におまかせ」状態だったためどの国も聞く耳を持ちませんでした 伊藤博文は高宗のこの行動を反逆!と怒り、無理やり退位させ皇太子の純宗を新たに皇帝にしたのです 純宗はかつて政敵からアヘン入りのお茶を飲まされたことがあり、知的障害があって判断能力に欠けているといった人でした もはや日本の傀儡皇帝となってしまうのです |
7月20日 豊国炭鉱ガス爆発 |
死者340人 明治最大の炭鉱被害 |
7月 大阪で「不如帰」を抱いて自殺した人が。ヒロイン「浪子」に同情したらしい |
7月24日 第三次日韓協約 |
この協約において、日本は韓国の内政権利を全て奪うこととなりました 外交と内政の全てを日本の手に治めたのです そして韓国の軍隊を解散させたのでした ちなみにこの時、「いっそのこと韓国を日本に併合しちゃおうよ」という動きもあったんですが、伊藤をはじめとする首脳陣は慎重でした 「韓国を統合しちゃったら、列強がどう反発してくるかいまいちわかんないんだよね」 ということでした ちなみに伊藤博文は併合に反対だったんだけど、次第にあまりにも韓国全土で抵抗運動が激しいので、だんだんうざったくなってきて「あーもー!!併合しちゃおうぜ」的な考えになってきます でもって、嫌気が差してきて韓国総監を辞任することになるのでした |
ロシアに近づく日本 |
さてさて、日露戦争の後に日本が恐れたのは「ロシアが失った鉄道なんかを奪い返しにやってこないだろうなぁ」といもの ということで、日本は戦後ロシアに近づいて「お互い、ちゃんと話あっとこーよ」といった感じだったのです また、日露戦争が終わってから、日本とアメリカはだんだんと険悪になってきてました 山県有朋がいっちばん気にしてるのが「アメリカとロシアの2大強国と対立しちゃったらやばいな」というもの そこで日本が考えたのが「ロシアと手を組むこと」 ロシアもアメリカの満州進出に困ってたので、お互いの利害(アメリカの進出ストップと満州の権益確保)が一致したのであります ということで、日本とロシアは対アメリカ対策として日露協約を結ぶこととなったのでした この日露協約は第四次まで結ばれることとなります |
7月30日 第一次日露協約 |
この第一回目の日露協約は「秘密協定」となっていました 一番肝心な部分は公表しないで、ヒミツ どーでもいい部分だけを公表した協定です といっても、とても公表できるような内容ではありませんでした この時、ロシアと日本が話し合ったことがバレたら、世界世論から袋叩きにあっちゃいますからね ちなみにこの時話し合われたのは、 「満州は清国の領土だけど、清国の力はほとんどないじゃん?だからさ、お互いここまでは日本の勢力範囲で、ここまではロシアの勢力範囲ってことを決めとこうよ」とういもの まさに昨日の敵は今日の友状態ですね こーして日本は、かつての敵であるロシアと手を組み、二カ国で満州を支配していこうよ!となったのです |
アメリカ 満州を「中立化しろ」 |
ハリマンによる満鉄買収は失敗したけど、今度はアメリカ「満鉄を中立化しろ」と言ってきました この頃のアメリカはルーズベルトからタフト政権に移り変わったばかりで、なんとかアメリカも満州で利権を得たかったのです ここで早速、ヒミツの日露協約スピリットが出てきました 満鉄は「南満州鉄道」の他にロシアが持ってる「東支鉄道」もあるため、日本はロシアと話し合うことになり、ロシアも「南満州鉄道が中立化させられたら、次はこっちにアレコレ言って来るだろうな」と感じ、日本・ロシアは協力しあってアメリカの申し出を拒否することができました ということで、日本とロシアがこれに大反対! 日本とロシアに反対されたアメリカはかなり粘り、イギリスからの賛同を得ました ちなみにフランスとドイツは「日本とロシアが賛成するならいいよ」というそっけない返事 が、日本とロシアの結束の前に、アメリカはとうとうあきらめざるを得ない状態なのでした |
8/11朝鮮江華島事件(すぐに鎮圧) |
9月 お化粧倶楽部ができる |
どうやって美人に見せるかを研究する会 |
文学界は「自然主義」ブーム |
自然主義というのは、19世紀にフランスを中心に起こった文学運動で、自然の事実をよーく観察して「真実」を描き、美化することを否定するというもの ここから影響を受けた文学を「自然主義文学」といいます 日本でも、島崎藤村が「破戒」を発表したのに続き、自然主義をモットーとする小説家が続々と登場しました 自然主義に熱心だった田山花袋もこの年に「蒲団」を発表しました |
この年の出来事 |
・女性の髪型で七三が流行 ・贈り物に果物が人気になる ・流行は「リボン」「女学生の歌」「軍歌節」「マンドリン」 |