「忍者」というよりは「大泥棒」のイメージが強い石川五右衛門 素性も謎ですが、とある本によると五右衛門は伊賀の百地丹波の弟子と言われています 伊賀に生まれた五右衛門は父が病死してしまったため、田畑を売り払い百地丹波の弟子となった が、丹波には「式部」というとっても綺麗な妾がいた 丹波は式部に夢中で、正妻を冷たくしていた 五右衛門はこの正妻を気の毒に思っているうちに、なんと密通してしまったのです で、五右衛門は妾の式部を殺害し、正妻を連れ駆け落ちしてしまったのです この時、百地丹波の正妻はかなりのお金を持って逃げました すると五右衛門、なんとこの正妻をも殺害し、正妻が持っていたお金を奪って逃げたのです 京都へ逃げていた五右衛門は、ここで遊びまくり たちまち奪った金が無くなってしまいました で、習った忍術を使って泥棒となっていくのです まず最初に泥棒に入ったのが石田三成の家 ここで盗み大成功 また身長が2メートル近くあったらしく、強そうなのでたちまち盗賊団のボスへとのしあがっていったのです また大金持ちの家ばかり狙ったため、庶民には意外と人気があったそうです が、とうとう捕まってしまった なんと太閤秀吉のお宝を盗もうとしたのです 秀吉の枕元にあった千鳥の香炉が泣き声をあげたため、五右衛門は捕らえられてしまった 秀吉は「この大泥棒めが!」と叫ぶと、五右衛門は「おぬしこそ天下を盗み取った大泥棒ではないか!」と怒鳴り返した 怒った秀吉は、なんと五右衛門とその一味を捕らえ、釜ゆでの刑に処すことに 1594年8月23日 多くの庶民が京都三条河原に詰めかけました 大釜の中には五右衛門の3歳の子供も入っていました 火がおこり、油がバチバチとはねた すると五右衛門が釜の中から顔を出し「これはこれは大勢の見物人殿。しっかり念仏を頼みますぞ」と言い、五右衛門が引っ込むと3歳の子供が「熱い熱い」と顔を出し泣き喚いたと思うと顔をひっこめたのです 見物人らは「熱さに耐えかねた五右衛門が子供を下にひいた」と大騒ぎ すると五右衛門はカッと目を見開き「ばか者め!子に苦しい思いをさせずひと思いに殺したのだ!」と怒鳴り、最後に「念仏を頼む」といい焼死しました 辞世の句は「石川の浜の真砂は尽きるとも 世に盗人の種は尽きまじ」
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