風魔は相模の国 足柄下郡の風間谷(かざまたに)に住んでいたことから「風魔」と称したといわれています この頃、関東の覇者になりつつあった北条家初代早雲が、この風間谷に住む一族のしのび技を知り、召抱えたといわれています これが風魔一族で、頭目(親分)は代々風魔小太郎と名乗りました 本来は「風間」だったようですが、いつのまにか「風魔」になったらしい 代々続く「風魔小太郎」の中でもっとも有名なのが五代目であります その姿は身長が二メートル以上あり、筋肉モリモリ。 目は逆さに裂け、黒ひげに鼻筋が高く、それになんと牙が四本あったといわれており、どうみても人間ではない容貌をしていたそうです この風魔小太郎の最大の活躍は武田勝頼との戦い 1581年に勝頼は北条へ侵略を試みた 武田軍は黄瀬川に陣を構えたものの、毎晩風魔一族が夜襲をかけまくった 馬を放ったり火をつけたり、時には一斉に鬨の声を上げたりして武田を大混乱におとしめた 毎晩陣内をかく乱された武田軍は、とうとう北条と決戦することなく甲斐へ戻っていったのです 風魔一族は戦のたびにこのような働きをした 北条家はこの風魔一族にかなり助けられていたのです が、北条家が豊臣秀吉と戦い、滅亡してしまった 残された風魔小太郎ら一族は、行くあてもなく江戸へ向かったのです 江戸は徳川家康が幕府を開いていた 小太郎は江戸にて盗賊になったのです 徳川家は北条にとって敵であった。そのため小太郎らは遠慮なく江戸の町をめちゃくちゃにしていったのです 徳川幕府は対応に困り果てていた 懸賞金をかけ、密告を奨励するほど が、この頃ちょうど同じような盗賊団がいました それが武田の残党である乱波の一族です ボスは向崎(高坂)甚内 この武田の残党と風魔の残党は江戸内においてかなり仲が悪かったのです そこで向崎一派は風魔小太郎らの居場所を幕府に密告したのであります こうして小太郎は捕らえられ、1603年に磔にされてしまったのです 処刑の時、小太郎は熱病(オコリ)にかかっていた 小太郎は処刑場に連れて行かれるとき、「俺を祭ればオコリ(熱病)が治る」と、捨て台詞をはいて死んでいったのです
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