生没不詳の人物である 戦国期の異能な忍者として有名で「鳶加藤」や「飛び加藤」という名前がついています なぜそのような名前がついたかというと、人並みはずれた脚力を持っていたからと言われています また幻術の名人だったとも 戦国の世で名前が出てくるのは上杉謙信が春日山城にいた頃のこと 加藤は城下で多くの見物人の前で牛を丸呑みするという術をやってのけた おそらく催眠術と言われているが、一人の男がその幻術にひっかからず「牛など飲んでおらぬ!ただまたがってるだけではないか!」と叫ぶと、幻術は解け、なんと叫んだ男の首がすっぱり切り落とされてしまったという この噂を聞いた上杉謙信は、加藤を城に呼んだ で、「直江兼続の屋敷に忍び込み、この刀を奪ってみよ」と命令 直江兼続は館の警備を厳重にし、村雨という獰猛な番犬を置き、万全の警戒をした 番人たちも「さすがにこれだけ厳重にしていれば無理だろう」とタカをくくっていた その晩、加藤はまず村雨に毒入りの飯を与え毒殺した そして得意の飛術で壁を乗り越え進入し、刀を盗み、さらに11歳の童女までも背負い謙信のもとに戻ってきたのです 驚いた謙信 が、「このような忍者がもし敵に内通するようになってしまっては逆に危ない」と考え、直江兼続に加藤を暗殺するよう命令したのです そして直江は加藤を宴に招待しましたが、怪しい気配を察知した加藤は、得意の幻術で逃げていったのです さて、あまりの能力に上杉謙信から殺されそうになった加藤 今度は武田信玄のもとに仕官しようとやってきました が、慎重な武田謙信はやはり加藤を恐れ、家臣に命令し加藤を殺害したそうです といってもこれは全て伝説であって、事実は謎に包まれております
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