越前を小京都と言われるほど文化的な町にした義景
が、生まれてくる時代を間違えた
時代は群雄割拠の時代。義景は戦国武将としての「武」の部分がイマイチ欠けていた
義景をボロボロにしたのは「姉川の合戦」
この時、盟友である浅井長政は果敢に戦うも、義景の方はイマイチぱっとしなかった
そしてとうとう浅井長政が織田信長に殺されてしまった
が、義景はここでも慌てるだけ
こんな当主じゃヤバイと思った家臣たちは次々と離反していく
織田信長の攻撃は続き、とうとう一乗谷城まで攻め込んできた
義景はすぐさま逃げていき、寺にたてこもる
が!ここで信頼していた家臣の朝倉景鏡の裏切りにあってしまうのであります
義鏡らは、義景を囲んで切腹を強制
もはやここまでと観念した義景は、「憎いのは義鏡じゃ。わしはここで死ぬが、お前の命を必ず三年以内で終わりにしてやる!」と呪いの言葉を吐き、切腹したのでありました
義景41歳でした
生まれる時代が戦国でなければ、ある意味文化・教養に優れたいいお殿様になったかもしれませんネ
|