「太夫」とは、最高級の遊女 江戸中の男性の憧れの的であります が、「太夫」という呼び名は消えていくこととなります 理由は、「お金がかかるから」です さらに幕府によって吉原は何度も規制を受けていたので、いいお客が減っていったということもあります 楼主の方も、客の指名が少なくなってきた最高級遊女「太夫」より、ランクが落ちるけど商売しやすい遊女の方が儲けやすかった 決定的なのは、1693年に幕府から大名・旗本の吉原通い禁止令が出たこと これによって、有力な客が減ってしまったのです 以降、太夫に代わって「呼出」が最高級となっていきますが、江戸時代を通じて「太夫の復活」はいつも望まれていました そんな最高級遊女「太夫」とはいったいどんな女性だったのか?? もともと太夫ということばは、京都に始まった呼び名であります 太夫とは歌舞音曲に優れた人のことをいいました それが遊女に使われるようになったのです 太夫と呼ばれるには、姿形が美しいのはもちろんのこと、和歌・茶道・囲碁など全ての教養を知っていなければいけなかった 大名クラスの男の前に出ても恥かしくないくらいの知性と教養・そして品格を持っていたのです ただ単に「きれいだから」では太夫にはなれませんでした そのため、遊女屋の主人や使用人、さらには他の遊女からも一目置かれる存在でした つまり太夫というのは、吉原の中で一番偉かったのです そんな太夫ですから、プライドも人十倍 こうして遊女が持つ「意気張」ができあがったのです 意気張とは、お金になびかず遊女の意地を通すこと 大金をつまれても嫌なものは嫌と突き通すプライドのことです 太夫は、ただ単に体を売るだけではなく、さまざまな芸を持ち、教養を持ち、全ての男性の憧れだったのであります そんな「太夫」の存在も消滅し、意地張を持つ遊女がだんだん少なくなり、幕末にはほとんど意地張のある遊女はいなくなってしまいました |
||
吉原の最初に戻る? 吉原から出る? |