吉原の中

生まれては苦界 
死しては投げ込み寺 苦界十年の女たちの世界


大門を抜けると「おはぐろどぶ」という堀に囲まれたたて245メートル・横328メートルの華やかな吉原の世界へ

坪数は20760坪

吉原は「五丁町」と呼ばれており、五町には

江戸町一丁目・江戸町二丁目・京町一丁目・角町(すみちょう)があります

大門は幕府から質素にするよう命令されていたが、その質素な大門と裏腹に、廓の中は豪華絢爛

大門をくぐると仲の町(なかのちょう)があります

廓を左右に分けて伸びる中央大通り

中央通りの両側には引手茶屋(ひきてちゃや)が並んでいて、その間の横丁を行けば、両側に張見世(はりみせ)があります

中央通のすぐ右側にある七軒が高級な茶屋で、「七軒茶屋」と呼ばれていました

見世を張らせ、客を遊ばせるのが妓楼

張見世とは、遊女たちが座っている格子で囲まれた部屋のこと

いわば、見世物小屋のように気に入った女性を品定めするというものです

格子にも差ががあり、格子によって高級遊女か安い遊女かというのがわかるように

中央通近辺にある茶屋は比較的高級

吉原は「おはぐろどぶ」という堀に囲まれており、そのおはぐろどぶに沿った道(羅生門河岸・西河岸など)は「河岸見世(かしみせ)」と呼ばれていた

そこには安いだけがとりえで妓楼として営業できない茶屋が数多く並んでいた

長屋のようになっている遊女屋

吉原の高級遊女ともなると、遊ぶにもそれなりのルールがあるので、ただ単に体目当てだけの男は、すぐさま河岸見世へ直行ということになる

張見世は昼見世(お昼から夕方くらいまで)と夜見世(午後六時から)がありましたが、料金は昼夜同じでした


妓楼(ぎろう)はどれも二階建てとなっており、一階は張見世となっていた

張見世以外の部屋は全て従業員の生活の場で、風呂場やトイレなどがあった

二階はお客さんを招く部屋と、遊女たちの部屋がありました

遊女にはそれぞれ部屋があり、人気のある遊女の部屋には自分専用のお座敷がありました

自分の部屋を持つ遊女を「部屋持ち」といい、部屋を持って一人前と言われていました

遊女が自分の給料から楼主(店長)にお金を払って部屋を借りていたのです


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吉原から出る?


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