幕府は人身売買を禁止していたが、実際遊女になる多くは人身売買です 「遊女」は公的に年季奉公で、10年働くと自由になるといわれていました そのため「苦界十年」と言わています が、それは表向きの話 実際は人買いと呼ばれている男が、貧しい家の若く綺麗な娘に目をつける そして金銭で親を説得し、買い取るのです 遊女になる女性の出身地は東北地方 凶作との関連もあり、東北の女性が人身売買されるのです 現代では考えられない「娘を売り渡す」という行為はこの頃、そんなに非難されることではなかった どっちかというと、買われた娘は同情され、親孝行な娘として世間からのウケは良かったらしい ちなみに、器量の良い悪いによって値段が違った それでも人買いに買われていくならまだマシな方 誘拐され、売り飛ばされる娘も数多くいたのである 当サイトの怖い歴史のはないちもんめも参照にしてください こうして10歳未満の買われた子は「禿(かむろ)」として、先輩の遊女の付き人となります 雑用係となるわけですが、費用は全て先輩遊女もち こうして禿となった少女は、吉原のしきたりを覚えていきます そんな禿の中でも、美人で器量がよく、物覚えのいい禿は、楼主の扱いが違ってきます なんといっても次世代の遊女の予備軍 その中でも美人さんは、次世代遊女のニュースター このように楼主に選ばれた禿は「引き込み禿」と呼ばれた ということで、禿の中の器量良しは、廓の中でお姫様のように育てられることとなるのです こうして、禿として行儀をしつけられ、14歳〜16歳くらいで「突き出し」が行われます これは初めてお客さんをとることで、「水揚げ」のことです 吉原独特のことば「ありんす」は、遊女たちの出身地によって色んな方言があったので、新たに「吉原くるわ言葉」というのができて「○○でありんす」と統一することとなったのです |
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