吉原の行事


生まれては苦界 
死しては投げ込み寺 苦界十年の女たちの世界



吉原の行事で最大の見ものは「花魁道中」であります

時代によって多少内容は違います

華麗きわめる吉原名物の遊女のファッションショーには多くの見物客の目を惹きました

人気のある花魁が、新造や禿を引き連れて吉原をゆっくりと歩くのであります

禿から新造になる時も正式な遊女となるお披露目として、行列をつくって歩きました

この時は、姉女郎などが後ろにつきます

やはり一番客が盛り上げるのは「花魁道中」

茶屋で一番の高級女郎をうらやましそうに男性が眺めるのでした


ほかに、吉原独自の行事として三月の花見・七月の玉菊灯籠(たまぎくどうろう)・8月の俄(にわか)などがあります

この時は、惜しみなくお金を使う客の腕の見せ所

いかに羽振りよく振舞うかによって、客としての格があがるのです

また、この時は一般女性も見物に来ることができました

この行事に使うお金はものすごい大金で、毎回世間を騒がせていたそうです


1月・・・正月一日は遊女もお休み。楼主がランクに応じて遊女に小袖を与えました。
お雑煮などがふるまわれ、遊女も一応は正月気分を味わうことができました。
1月2日が初見世です。
遊女たち茶屋へ新年の挨拶に出かけます。そして戻ってきた頃、去年の暮れに約束した馴染みの客がやってくるのです。

3月・・・お花見があります。吉原の真ん中に大きな桜の木を並べます。
夜桜見物の客も集まり、そこに悠々と花魁道中が始まるのでした。とても華やかなイベントでした

4月・・・1日は衣替えでした。冬の衣装から裏をつけただけの着物に替えるころもがえの行事がありました

5月・・・端午の節句を祝いました。
客が男のため、端午の節句はきちんと祝ったのです。
ちなみにひな祭りを祝うことはありませんでした

6月・・・この月は遊女にとってはヒマな時期
特別なイベントなどもないので、閑散としていました

7月・・・名奴・玉菊という遊女の追善供養のために灯篭を出すという「玉菊灯篭」が行われます
そして7月13日は遊女にとって元旦以来半年ぶりの休日がありました

8月・・・八朔(はっさく)の日、花魁は白無垢を着ました
なぜ白無垢かというと、高橋太夫という遊女が病気中だというのに、仕事をした時の姿が白無垢で、その姿が艶っぽくて評判になったからと言われています
この日から、この日から吉原三大イベントのひとつである「俄(にわか)」が始まります
一般女性の見物客もつめかけて大混雑
が、遊女の中には一般女性に紛れて逃亡しようとする者がおり、大門のチェックはとても厳しくなりました

9月・・・菊の節句があります。遊女たちはこの日から冬衣装を着るようになります

11月・・・11月8日にはふいご祭りというイベントが。
吉原では火事が多かったため、火除けのおまじないとして奴楼の中庭にみかんを投げて、それを禿(かむろ)に拾わせるということをしました
また吉原の裏手にある神社が酉の祭りで、多くの人が詰め掛けたため、ついでに吉原による人も多かった

12月・・・吉原でも大掃除が行われます。遊女も参加し、妓楼を大掃除しました
大掃除が終わると、その家の中心人物を胴上げするのが習慣になっており、奴楼では見世の主人や遣手が胴上げされた
ちなみにこの時、いつもの腹いせにといたずらする遊女続出





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