日本の女性史


日本の女性天皇を紹介

         


元明天皇

702年に女性天皇であった持統天皇が死に、文武天皇の時代となっておりました

が、持統天皇が死んでから6年後、なんと期待されまくっていた文武天皇が25歳で死んでしまったのです
無断転載禁止だよ!ハガクレ★カフェより
どうやら過保護に育てられすぎて体が弱かったらしい

文武の息子はまだ7歳なので(ちなみに奥さんは藤原不比等の娘)、朝廷内は困ってしまいました

こうして考え出されたのが、またも息子が大きくなるまでの「中継ぎ」であります

選ばれたのが文武天皇の母で、草壁皇子のお嫁さんだった人阿閉(あへ)皇女であります

天智天皇の四番目の娘です

661年に生まれ、11歳の時に父の天智天皇が死去
そして壬申の乱も見てきた女性であります

草壁皇子と結婚し、文武天皇と後に女帝となる氷高皇女を出産しました

29歳の時に夫が死んでしまい、息子(文武)が次期天皇になるであろうと思っていました

幼い息子の行く末は持統天皇にゆだねるしかなく、697年に息子が日本史上初の「皇太子・唯一の王位後継者であるという立場)となり、その半年後息子が天皇となったのです

702年に58歳で持統天皇が死んでしまうと、阿閉はすごい焦りました
何といっても息子の最大の協力者が死んでしまったのであります

文武はもともと病弱だった上に持統天皇の死にショックで、たびたび「おかあさん、僕、天皇辞めたい」と言っていましたが、阿閉は「何言ってるの!がんばんなさい!」それを拒否していました

が、とうとう25歳で文武天皇が死んでしまったのです

文武の息子で、阿閉の孫である首皇子はまだ7歳

仕方なく阿閉は「孫が大きくなるまで・・・」と、47歳で元明天皇になるのであります

が、元明天皇は今まで政治にほとんど関与していませんでした

元明天皇は即位した翌年の708年 大幅な人事異動を行いました

そしてしばらく空席だった左大臣に右大臣だった石川麻呂をおき右大臣に藤原不比等を大抜擢したのでした

石川麻呂は名門豪族だった物部氏の末裔であります
物部の血を受け継ぐ石川麻呂は、一目置く存在でした

さて、元明天皇はというと、早く自分の孫である首皇子を天皇にしたかった

やっと14歳になってとりあえず「皇太子」にし、さぁて天皇にするか!と思ったんだけど、元明天皇はちょっと考えこみました

「首皇子はまだ14歳。母親が不比等の娘だから血統が悪いってことで朝廷内でも反対する空気がまだあるし・・・。だったらアタシの娘で文武の姉である氷高皇女(ひだかのひめみこ)を天皇にさせたほうがいいかも。氷高皇女は美人だし、落ち着いてるし・・」

この時、元明天皇は55歳

人生五十年くらいの時代なので、もうかなりのおばあちゃんで疲れていました

とゆーことで、自分の娘で文武の姉の氷高皇女(ひだかのひめみこ)を715年に44代元正(げんしょう)天皇に即位させたのです

またも「首皇子が天皇になるための中継ぎ」天皇です

そして717年に78歳という、当時からしたら信じらんないくらい長生きの末死去しました









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