日本の女性史



         


藤原薬子

日本で唯一女性の名前がついた乱「薬子の乱」の主役となる女性です

平安時代、権力を握っていたのは藤原家でした

その藤原家は藤原不比等が四男を設け、その四人に新たな家を与えました

長男は武智麻呂(むちまろ)のち藤原南家の祖
無断転載禁止だよ!ハガクレ★カフェより
次男は房前(ふささき)のち北家の祖

三男は宇合(うまかい)のち式家の祖

四男は麻呂(まろ)のち京家の祖

以後、この四家で権力争いを繰り広げていくのです

今回の主役・薬子は式家の出身でございます

794年に桓武天皇は平安京を作りました

薬子は同じ弐家の縄主(なわぬし)に嫁いで三男二女を産んでいました

そして薬子の出産した長女が、桓武天皇が皇太子(のちの平城天皇)の「夫人」となったのです

薬子はそれをきっかけに平城天皇と仲良しになりました

薬子は美人で気が利く熟女でした
しだいに平城天皇は妻よりも妻の母である薬子を好きになってしまったのです
そして、妻よりも義理のお母さん・薬子を大事にするようになっていたのでした

父の桓武天皇は、平城天皇と薬子の仲を怒って、薬子を宮から退けました

その桓武天皇が死んだため、33歳で31代平城天皇に!

平城天皇は、父の桓武天皇が可愛がっていた藤原種継の子である仲成を重宝しました

この仲成の妹が薬子だったのです

桓武天皇が死ぬと、薬子と平城天皇は待ってましたとばかりに薬子を呼び寄せ公然とした愛人にしました

この時薬子40歳。当時としてはおばあちゃんに近い年齢でした

さすがに平城天皇は、人妻である薬子を妃や夫人とするわけにはいかないので「尚侍(ないしのかみ)」という天皇に仕える女官のボスに任命しました

そんな薬子の兄である仲成はというと、父の種継が暗殺されてしまったため出世が遅れていました

「もし父が生きていたら出世できたのに!」という欲が強く、南家の雄友や同じ弐家の緒嗣らにライバル心をメラメラ燃やしているという状態でした

そんな頃に妹の薬子が平城天皇と親密になって愛人となり後宮の権力を握るようになったのです

そして仲成は、薬子のバックアップのもと、だんだんと出世してきたのです

大好きな薬子のお願いなら・・・と、平城天皇は仲成を出世させ、どんどんと力をつけてきた藤原仲成

が、その平城天皇が突然天皇を辞めちゃうのです。

理由は・・・

「オレは父 桓武天皇と同じく早良親王(桓武天皇の弟・ケンカして死んじゃった人)の怨霊にとりつかれている!天皇やめれば災いからまぬがれることができる!」と言い出したのです

当然薬子は天皇退位を大反対

ですが平城天皇は、早良親王と自分が罰した伊予親王の怨霊を異常に怖がってしまい、ノイローゼ状態に
とうとう弟の賀美能親王に皇位を譲るのです。

そして弟が52代 嵯峨天皇となりました

皇太子には平城天皇の皇子高岳親王がなりました

嵯峨天皇は平城天皇に気を使いまくりながら政務をこなしていくのです

ちなみに嵯峨天皇が取り立てたのは藤原北家の面々です

平城天皇は平城上皇となり、病気療養のため奈良の平城京へお引越し
そして薬子が看病することになるのです

薬子のおかげかわからんが、平城京に療養中の平城上皇はだんだん元気になってきました
で、藤原薬子が「病気もだいぶよくなったんだから、また天皇やれば?」とささやいたのです

薬子は権力大好きなので、平城上皇が政治から引っ込んじゃったらおもしろくなかったのです

でも、すでに弟の嵯峨天皇がいるので、今更戻れない平城上皇は、「オレは上皇だ!これからはオレの言うことを聞け!」と命令を出し、嵯峨天皇をシカトし始めたのです

そんな平城上皇&薬子のモトに、都が平安京に移っちゃったことによって権力を失いつつあったヤツらがどんどこと集まり始め、嵯峨天皇もこりゃやばいなーと思い始めました

そしてとうとう、810年に「都を平城京に遷都する」という詔を出したのです

これには嵯峨天皇もとうとう兵を出すことを決意!

いよいよ上皇VS天皇の戦いが始まることに

また言い換えれば藤原弐家VS藤原北家の抗争にもなるのです

嵯峨天皇は素早く動き、平城上皇側が兵を準備する隙も与えないまま、征夷大将軍の坂上田村麻呂を総大将とする討伐軍を出動させ、平城上皇側を鎮圧しました

これにより平城上皇は出家して坊さんに

薬子はもはやこれまでと、服毒自殺をしたのです

これに伴い、皇太子だった高岳親王は平城上皇の息子だったのでその座を下ろされました

新しい皇太子は異母弟の大伴親王

ちなみに、この後の高岳親王は空海の弟子入りをするんだけど、やっと厳しい修行に耐えて高僧となり、インドへ行く途中に林から出てきた虎に襲われ食い殺されちゃいました。気の毒

この変の結果,薬子がでた藤原式家はおとろえてしまうことになります

代わりに出てきたのは藤原冬嗣らの北家

また、「薬子の変」は女性が介入した些細な事件ってわけじゃーありません

これによって奈良から決別し、平安京および華やかな平安時代が始まることになるのです

「事件の陰に女あり」という言葉がまさにピッタリの「藤原薬子の変」でした










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