日本の女性史



         


卑弥呼

卑弥呼は、弥生時代に実在した謎の女王であります

中国の史書・魏志倭人伝に2000字ほど当時の日本の様子が書かれており、そこに「鬼道に優れ、たくみに衆を魅了した」と書かれております

この頃の日本は30にも及ぶ国々が出来ており、果てしない争いを続けていました

争いは何十年も続き、やっと一人の女王が国をまとめ「邪馬台国」を率いたのです

それが卑弥呼
女王になったときは10歳くらい?という説があります

卑弥呼は鬼道(シャーマニズム)により、人々を魅了しました

そして女王になってからは、柵を張り巡らせたやぐらに閉じこもり、外の世界に出てこないように

宮殿には1000人の女性の召使を抱えました

卑弥呼の言葉を民衆に伝えるのは弟一人のみ

食事を持っていくのも、この弟の役目でした

さて、中国では後漢が滅び、魏が台頭してきます

卑弥呼は魏へ使者を送りました

貢物は男の奴隷を4人・女の奴隷を6人。そして布など
これに対して魏は、さまざまな錦織や純白の絹、銅鏡など、数多くの返礼を渡したそうです

この頃はすでに卑弥呼は初老の女性だったらしい

240年 卑弥呼は魏から「新魏倭王」の称号を貰います

この称号は、魏に従う小国の王の中でもランクがかなり上という称号
卑弥呼の他にはインドのクシャナ朝の王が称号を貰いました

卑弥呼はカリスマ性を持ち合わせた女性だったという

大陸から珍しい道具を取り寄せたことからみんなさらに卑弥呼を崇拝しました

が、247年 邪馬台国の南にある狗奴国が反乱を起こしました

この国の王の名前は卑弥弓呼(ひみここ)というらしい

卑弥呼は早速魏の国に応援を求め、魏から援軍が来たんだけどちょうど朝鮮でも戦いが起こっていて、魏の援軍はそこでストップ

邪馬台国は苦戦を強いられました

やっとこさ援軍がやってきた頃、卑弥呼は死んでしまったのです

卑弥呼が死んだのは248年と言われています

卑弥呼が死んだ後は男王が跡を継ぎましたが、また争いが始まってしまいました

やはり女王がいい!ということで、卑弥呼一族の「壱与(いよ)」13歳の少女を女王にしました

卑弥呼が魏に支援を頼んでやってきた人たちが、壱与を激励しました

なので、ほとんど中国のいいなり

その後、421年になるまで日本は中国の書物に登場しません

約150年もの間に日本がどのように変化していったかの記録がまったくないのです。

ちなみに戦前は「神国日本の最初の王が女なんて!」という男尊女卑の考えにより、卑弥呼はずっと隠されていました。

戦後やっと日の目をみた卑弥呼。

卑弥呼は最初の女王なのですが、歴史デビューはまだ50年ほどなのです

ちなみにこの頃、東日本では男性のボスが多かったけど、九州地方では女性ボスが多かったようです







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