日本の女性史


こんな女性がいた!

         

更新した順番は上からでございます

戦国時代
婦人病平癒の守り神となった小那姫

小那姫は、堀尾吉晴の娘であります
堀尾吉晴は、秀吉の家臣で大河ドラマ「功名が辻」で山内一豊の親友だった人ですよ〜

小那姫はずっと婦人病で苦しんでいました(こしけという病気です)

お父さんの吉晴やお母さんもめちゃ心配で、いい医者を呼び寄せたりしていたんだけど一向に回復しない

次第に小那姫は乳母のキンに「もうこんな体で生きてるのは嫌。死にたい」としきりに言うように

そしてとうとう小那姫は「これ以上母や父の心配する顔を見るのは辛い。お願いだから死なせて。キンは私が死んだ後、私の霊を弔ってください」

こう言って、池に入って自殺したのでした

小那姫が身を投げた場所は今現在も神社として残っており、小那姫は婦人病平癒の守り神となっております

秀吉もビックリ!!強烈おっかさん 妙印尼

妙印尼は、群馬県館林城の城主だった赤井重秀の娘で、由良成繁と結婚しておりました

成繁が死んだ後、妙印尼と名乗り近くで隠居生活をしておりました
このとき、71歳

老後はのんびりすごすはずだったんですが、小田原の北条氏の勢いが増し、由良家へ服従するよう求めてきました
もちろん、妙印尼の息子はそれを拒否し続けていました

ある日、北条氏から「今までゴメンね。これからは由良家の勢力拡大に協力するから一度会おうよ」という手紙が
息子二人はのこのこと会いに行くと、まんまと捕らえられてしまい、監禁されちゃったのです

お母さんの妙印尼はビックリ
「あの子たちバカじゃないの!?城主ともあろう者が兄弟そろって捕らえられるなんて」
そして妙印尼は、兄弟と引き換えに城を引き渡せという北条氏の提案を拒否したのです

北条氏は兵を出し、妙印尼のいる城を囲みました
そして大声で「降伏しなければ、兄弟二人を磔にするぞ!!」と叫んだのです
すると妙印尼は「フン!皆のもの!!大砲を持ってきなさい!そしてあそこ(兄弟がいるとこ)を目指して撃ちなさい!!」と叫んだのです
大砲は兄弟がいる辺りをドカンドカン
ビックリしたのは北条氏の兵たち
こうして北条氏は、ついに城を攻め落とすことはできず、ついに和睦となったのです
でもって、兄弟二人の命は助けられました

それから六年後
時代は豊臣秀吉が天下にリーチをかけ、有名な北条攻めを開始することに
ここで兄弟二人は北条氏の味方をしたのです
77歳のおっかさん妙印尼は「は??あの子たち北条についたの??なんで時代を読めないの!!!」と激怒

ここで由良家のためにたちあがったおっかさん
10歳の孫を連れて兵300を引き連れ秀吉軍に味方しに行ったのです

そして松井田城を攻め、見事勝利!!

秀吉は妙印尼を呼び、「老女でありながらなんという働き!!古今その例をみたことがない。さすが名門!」とベタボメ

でもって、息子二人は北条氏の味方をしながら、おっかさんの活躍のおかげで命を助けてもらえた上、新たに領地をもらえたのでした

戦国ブス妻の代表格 吉川元春の妻・新庄局

吉川元春がブスを妻にしたという逸話は有名ですよね
その女性は下に書いた夫の腕を持ち帰った熊谷元直の妻の孫であります

あまりにもブスだったということで、嫁ぎ先がないと心配したお父さん
すると元春が「そんなにブスならば私が結婚しよう。さすれば熊谷家は感謝し、毛利家に忠誠を誓うでしょう」ってことで、あえてブスと結婚したのでした

妻の後ろ盾が欲しくて結婚した元春でしたが、これが以外と円満な家庭を築いておりました
四男二女の子供に恵まれ、さらに元春は側室を作らなかった
外の美女には目もくれなかったのです

新庄局と呼ばれたこの妻は、おおらかな性格な人でした
他のお嫁さんが義姉の五竜(毛利元就の長女)に気を遣ってビクビクしてるというのに、新庄局だけは平気でずばずばモノを言い、しょっちゅうケンカ
でもって、元春の弟である小早川隆景が「そんなにケンカしちゃだめだよ」という親切丁寧な手紙を新庄局に送ったんだけど、当の新庄局は返事もしない
でもって小早川隆景は怒っちゃった・・・というくらい、ちっちゃい事をいつまでも気にしないという性格

他にもおもしろい逸話が
ある日毛利元就が手紙を貰いました
メチャクチャそっけない手紙で、どんなお偉いさんからよ!?といった短い手紙だったんだけど、差出人を見たら新庄局。これには元就も笑ったようです

父親の威光のおかげですわよ人生 督姫

督姫は家康が24歳の時の子供です
母親は西郡局で、祖母は今川義元の妹

19歳の時に政略結婚により3つ年上の北条氏直と結婚し、娘一人を出産
が、北条家は豊臣秀吉に逆らい、滅亡
督姫は家康の元へ帰ってきました

すると豊臣秀吉は、督姫を池田輝政と結婚させるよう家康に命じました
輝政にとって徳川家康は、自分の父親と兄を殺した人
その家康の娘を妻にすることになってしまったのです

が、これは池田家にとってめちゃくちゃ幸運なことでした
秀吉亡き後、家康が天下をとったので池田家は督姫がいるということでかなり大事にされる家となるのです

ここで逸話を紹介

ある日、督姫付きの老女が「池田家の繁栄も督姫様がご結婚した威光でありますね」と言いました
すると輝政が「そうではない!この輝政の軍功の賜物じゃ。妻の光などではない」と叱りとばしたのです
が、この後すぐに老女を呼んで「さっきはすまん。池田家の栄えは、そなたの言うとおり督姫のおかげじゃ。だが督姫の前でそれを言うのはやめてくれ。つけあがっちゃって困るのだ」と頼んだのでした

ということで、督姫の光のおかげ(?)で池田家は52万石という大名になったのでした

ぶちきれた妻 天球院

天球院は池田信輝の三女であります
ちょっとおブスちゃんでしたが、政略結婚により山崎家盛と結婚しました
二人は大阪の屋敷に住んでおりましたが、家盛は女遊びしまくりの毎日でした

そんな時、関ヶ原が起きてしまい、石田三成は大阪にいる家康チームの妻たちを人質にとるという作戦に
黒田如水の妻や娘は商人に化けて脱出したりと、奥様連中はあの手この手で大阪から脱出していました

さてさて、上で紹介した池田家の督姫は大阪におりました
督姫は家康の娘で、息子たちは家康の孫
ってことで、人質になったらどんな目にあうかわからない
そこで助け舟を出したのが山崎家盛だったのです

家盛はアレコレアレコレと作戦を練り、無事督姫と息子を逃がすことができました
が、肝心なことを忘れてた
そーなんです。自分の妻を逃がすのをすっかり忘れていたのです

家盛は仕方なく自分の妻は大阪城へ人質に送ろうということに
これに怒ったのが妻!!!
「何よ!!督姫のことばっかかまかけて!!アンタあたしが大阪城に行ったらどーせ妾とイチャイチャする気でしょ!冗談じゃないわ!もうウンザリよ!!」と、さっさかと実家に帰ってしまったのです

そして実家に戻った妻は「天球院」と号しました
以後も気丈さは変わらず、実家の跡目争いの時もがっちりと加わったりと、頑張って暮らしたそうです

寂しい敗者の娘 辰子

辰子は石田三成の娘です
9歳の時、父が関ヶ原の合戦で徳川家康に破れ処刑になりました
12歳の兄・源吾と辰子は、わずかな家来を伴い、津軽へ落ち延びたのです

兄妹を庇護してくれたのは津軽信建でしたが、なんと信健が死んでしまいました
さらに兄の源吾も22歳で死んでしまい、19歳の辰子は一人ぼっちになってしまったのです
そんな辰子に心惹かれていたのが7歳年上の信牧(信建の弟)

信牧は上品で教養のある辰子に惹かれ、弘前城にて妻にしたのでした

が!!!徳川家康が津軽家と婚姻を求めてきたのです
もちろん家康の命令を断れるはずもなく、信牧はと家康の養女(松平康元の娘で、福島家に嫁いだが別れて独り身になっていた)である満天姫と結婚することになったのでした

辰子の居場所がなくなってしまいました
なんといっても辰子は家康と対立した石田三成の娘
家康の養女である満天姫に立場的にかなうはずがない

ですが信牧は辰子を捨てることができなかった
ということで、辰子を密かに大館の地に移したのです
辰子は29歳の時、大館で男児を出産しましたが、その後32歳で死んでしまいました
信牧は辰子が大館にいる12年間、とても辰子を大事にしたそうです

ちなみに満天姫は?というと、実はこの人天下の徳川の娘でありながらめちゃいい人だった
徳川の権威を笠に着てえばるような女性ではなく、この後、辰子の子供を引き取り、無事三代目藩主に育て上げたのでした

命を賭けた貞淑妻 おかん

おかんは九戸家の一族・畠山重勝の娘でした

九戸家が戦いに破れ、おかんは従者の三平と母親とともに秋田に逃げて隠れ住むことに
ここでおかんと三平はお互いに惹かれあい、身分違いの夫婦となったのです

が、生きていく為には働かなければならない
三人は盛岡にやってきて、三平は石垣積みの仕事をすることになりました
ですが三平が石の下敷きになり、下半身不随となってしまったのです

おかんは71歳の母と3歳の息子、そして三平のために工事現場の長屋で働くことになったのでした

ちなみにおかんはとても美しい女性でした
現場で一番偉い高瀬軍太という人が、夫が怪我をして働いているおかんに馴れ馴れしく近寄ってきたのです
高瀬は上司だけに冷たくすることはできず、とうとう逃げられないと観念したおかんはこう言ったのです

「夫を殺してくれたら私はあなたの妻になります。観音様にお祈りにいく途中の夫を殺してください」

翌日、観音様に向かっている馬がありました
高瀬は「お、三平がきたな。これでおかんは俺のものだ」と、鉄砲の引き金を引いたのです
馬上に三平は転げ落ちました
高瀬は三平の死を確認しようと馬のもとへ

すると!!なんと倒れていたのは三平の衣装を着たおかんだったのです・・・

不義を拒み、自らが犠牲となったおかん
高瀬はおかんの遺体を抱きしめながら「許してくれ」と涙し、全てを三平に打ち明け、その後出家したのでした

お殿様に泥を投げた女性 早乙女

南部家のお殿様・晴政が領内見回りをしていた時のことです
百姓が早苗を植えている近くを通りました

百姓たちは晴政の姿をみて、みんな泥の中に平伏しました
すると一人の少女が手に泥をすくい「お屋方様にお祝い申し上げま〜す!」と、泥を投げつけ、すばやく逃げていったのです

晴政は顔も衣服も泥だらけ
まわりにいた従者や百姓の顔は真っ青

すると晴政はにこりと笑い「今日はめでたいことにあったな」と城へ帰っていったのです

実は、この少女は早乙女といい、この時の田植え神事の主役でした
子供を産むことができる女性が神事の主役になることで、稲は育ち豊饒になるということだったのです
つまりこの泥かけも神事の一つ

が、お殿様相手にこんなことする人はいままでいなかった

晴政はこの少女をいたく気に入り、翌日お城へ来るようにいいました
そして早乙女は側室となり、寵愛を受けることとなったのです

百姓出身の早乙女はとても気立てのいい女性で、皆から好かれたそうです


東北のねね 阿保良

阿保良は津軽為信の妻です

為信が14歳の時に大浦城にいた阿保良(おうら)のいる城へやってきました

そこでなんと、二人は恋愛によって結ばれたのです
18歳歳同士の結婚でした

二人は仲良く夫婦として生活していましたが、周囲は敵だらけ

阿保良は夫のために、兵士たちに強飯を作ったりと士気をあげるのに大活躍
家臣たちは阿保良のことをとても頼りにしていました

飢饉の時は粗末な服を着用し、民に穀物や医薬品を与えたり、ほんとに親切な女性でした

が、残念なことに阿保良は妊娠することができなかった

そのため為信は、他の女性を側室にしたのです

こうして側室は子供を産みましたが、阿保良はその子供たちを引き取り、養育したのでした

お嬢様だったため秀吉の側室になったお嶋

お嶋は尾弓御所の足利頼純の次女です

結婚相手は、源義経に従い軍功をたて、頼朝から領地をもらい安定した力を保っていた塩谷家の十七代目惟久(これひさ)であります

そして時代の覇者は豊臣秀吉

秀吉は、美人と評判のお嶋をぜひ大阪城に来させるよう命じました
が、お嶋は大阪へ行こうとしませんでした

実は夫の惟久が側室のお綱を寵愛しており、自分が大阪に行っている間に二人の仲がますます深くなるのがイヤだったのです

ということでお嶋は自分の代わりにお綱を大阪に行かせろと言いました
が、夫もお綱も納得せず、時間だけがどんどん経過していきました

すると秀吉が怒り出したのです

秀吉の怒りに恐れをなした惟久は、なんとお綱を連れて逃げてしまったのです!!!

こうしてお嶋は仕方なく秀吉のもとへいくことに
54歳の秀吉は23歳の美貌のお嶋をめちゃくちゃ気に入り、足利の血を引く子供を産ませようと願いました

こうして夫と側室に駆け落ちされたお嶋は、秀吉の側室になったのです

ここでお嶋は秀吉におねだり
それは「自分の実家である足利家が断絶するのは見ていられません」

ということで、足利家はお嶋のおかげで存続できることになったのです

その後お嶋は31歳の時に秀吉が死んだため尼となり、88歳まで生きたのでした

お家のため!秀吉の側室となった宇喜多秀家の母・お福

お福は高田城・三浦貞勝と13歳の時に結婚
が、落城し、夫は自刃。お福は三浦貞勝との間に生まれた桃寿丸とひっそりと暮らしていました
そこへ「さびれた村に信じられないくらい美人がいる」という評判を聞いた宇喜多直家
すぐさまお福を呼び寄せ、3人目の妻にしたのであります
このときお福は23歳でした
二人の間には秀家が生まれますが、なんと直家が死んでしまいます
幼いわが子を守らなければならなくなったお福
そこへ本能寺の変が勃発し、中国大返ししてやってきた豊臣秀吉
お福は秀吉の夜の相手をし、女一人で秀家を守っていかなければならない悩みを切々と訴えたのです
お福の美貌にノックアウトされていた秀吉は、秀家を守ることを約束し、自分の養子にしたのです
この時お福は35歳
そして秀吉は同じく養女として可愛がっていた豪姫と秀家を結婚させ、お福を大阪城に呼んだのでした
さらにお福は前の夫との間に生まれていた桃寿丸をたて三浦氏再興をお願い
秀吉はOKするも、なんと桃寿丸が地震で死んでしまったのです
こうしてお福は47歳まで生きたのでした

ちなみに・・・お福はもともとお鮮という名前です
豊臣秀吉の側室となってからお福と呼ばれるようになります

あの信長が愛した女性 吉乃

吉乃は生駒家の女性であります

結婚していましたが、だんなさんが戦死したため実家に戻ってきていました

その頃、生駒家に出入りしていたヤンキー少年信長

母に愛されなかった信長は、落ち着いた優しさを持った未亡人・吉乃を愛したのです

その後、信長は正室の濃姫(斉藤道三の娘)を迎えるが、吉乃のことはずっと隠していた

信長はたびたび吉乃に会いに行き、くつろいだひと時を送っていました

が、信長が33歳の時に吉乃が死んでしまう

信長は一人で涙を流してたという

吉乃の代わりに愛された女性 お鍋

吉乃が死んでから、信長の寵愛を受けたのがお鍋

信長の最愛の吉乃が死んでしまったすぐ後に出てくる女性であります

お鍋も夫に死なれた未亡人だったため、信長は「吉乃に似ている」と思ったのでありましょう

お鍋のことはあまり資料的に知られていないですが、不幸せではなかったといわれています

弟・秀吉に人生を狂わされた女 とも

秀吉の姉・ともは、秀吉が天下人になったばっかりに人生を狂わされた女性であります

本来なら百姓の女房として、多くの子や孫に囲まれて人生を終えるはずだった

が、秀吉が天下人に近づいていくたびに、ともの状況は変化するのである

まず、自分が産んだ子供がどんどんと侍に取り立てられていく

長男・秀次にいたっては、関白にまでなったが、秀吉によって切腹に追い込まれる

次男・秀勝は朝鮮出兵のときに死んだ(ちなみにお市の方の娘・お江与と結婚した)

三男・秀俊はわがままな子だったため、それを憎んだ家臣が秀俊を抱きかかえ断崖絶壁から飛び降り自殺したのである

こうして、母・ともは、最愛の三人の息子が死んでしまい、出家したのである

秀吉に可愛がられた養女・豪姫

豪姫は秀吉の親友・前田利家とまつの三女

秀吉とおねの夫婦は子供に恵まれず、親友の前田利家に「もし今度子供が生まれたら、男でも女でもいいからわしにくれ」と約束しました

そして生まれたのが豪姫

産声を上げると同時に養女としたので、秀吉は豪姫を溺愛
そんな秀吉がもう一人可愛がっている養子がいた。それが宇喜田秀家であります
秀吉は可愛くてしょうがないこの2人を結婚させたのであります

豪姫が出産後、怪病にかかったとき、秀吉は占い師を呼びました
すると「狐のしわざ」と占いに出たため、全国のお稲荷さんを破壊しようとしたほど

そんな秀吉が死んでしまい、関ヶ原の合戦へ突入
宇喜田秀家は西軍で戦うも負けてしまう

秀家29歳・豪姫27歳の時でありました

その後、宇喜田秀家は捕らえられ八丈島に流されてしまいました

悲しんだ豪姫は前田家へ戻り、61歳で死ぬが、豪姫の希望もあってか、前田家は明治維新まで八丈島の宇喜田家に様々な物資を送り続けたのであります

気の毒な徳川家康の側室・お万の方

お万の方の父は大阪で町医者をしていました

で、花嫁修業にと家康の正室・築山殿の侍女となっておりました

さてさて、この築山殿は超セレブな今川家のお姫様でプライドマウンテン

ということで家康は、築山殿の下でせっせと働いているお万のことが気になり、お手つきしちゃうのであります

で、めでたく妊娠・・・・いやいや、全然めでたくなかった

なんといっても自分は正妻・築山殿の侍女。これがばれたらどうなっちゃうの!?状態でしたが、案の定妊娠は築山殿にバレ、激怒した築山殿は、お万を素っ裸にして縛り上げ、浜松城の林に捨ててしまったのです

ちょうど家臣の本多重次が見回りをしていると、林の中から女の泣き声が

そこには素っ裸のお万の方がいたので、ビックリ!慌てて保護して、お万の方は無事出産することができました

出産したのが次男・結城秀康であります

が、家康は秀康がギギという魚に似て可愛くないことから「ホントにオレの子か?」と疑問

さらにお万の方は家康にとってほんと火遊び程度でしかなかったので、さっさと追い出されてしまいました

息子の結城秀康も、家康に全く可愛がられず、悲しい一生を過ごすこととなるのです

毛利元就の人格形成をした杉の大方

毛利元就は戦国時代において「策略・智謀」の将として有名でありますが、反面女性や子供に優しい人でありました

このような優しさを持ちあわせているのは、杉の大方という女性のおかげであります

杉の大方は元就の父親の側室でした

元就は少年の頃、家臣にだまされ領地を差し押さえられてしまった

住むところもなくなった元就少年を助けてくれたのが杉の大方であります

杉の大方は血の繋がらない元就を大事にしてくれ、多くの手助けをしました

元就は大きくなってから「杉の大方の導きによって、大成することが出来た」と語っています

わが子を殺そうとした「鬼の義姫」

義姫は伊達政宗の母であります

政宗は幼い頃、疱瘡になり片目が失明してしまい、醜い姿となった

義姫はそんな政宗を嫌い、次男の小次郎を愛する

そして小次郎を、伊達家の跡継ぎにしようとするのです

ある日、政宗を宴に誘いました

その食事に毒をいれ、政宗を毒殺しようとしたのです

政宗は何とか命は取り留めましたが、このままではいつか殺される・・・と、弟の小次郎を殺害したのであります
が、母は殺せなかった・・・
義姫は実家の最上家に戻されたのです

実の子を毒殺しようとしたことから、のちに「鬼の義姫」というニックネームまでできてしまいました

信長の乳母となった女性 養徳院

信長は幼い頃から癇の強い子で、乳母の乳首を噛み切るほどだった

そのため乳母は次々と逃げ出してしまったので、父の信秀は困っていた

そこで紹介されたのが、池田恒興の母である

一度は断った養徳院だったが、何度もお願いされ「乳首は二つあるから、一つ噛み切られても恒興にあげる乳首が残ってるからいっか」と承諾

こうして覚悟を決め、乳母となった養徳院だったが、信長はなぜか養徳院の乳だけはおいしそうに飲み、噛み切ることは無かった

そして息子の恒興が10歳になると、二つ年上の信長の遊び相手に命じられ、以後、池田家は栄えていくのであります

秀吉を嫌い続けた女性 朝日

朝日は秀吉の正室・おねの母であります

おねが「百姓出身」の秀吉と結婚することがどーーーしても許せなかった

秀吉が天下人になってからもそれは続き、秀吉と和解しようとしなかった

そのため、おねの母でありながら、朝日の血族は秀吉から冷遇されることとなる

どうしてそんなに秀吉が嫌いだったのかはいまだ謎であります

ちなみに、秀吉の一族は滅んでいきましたが、朝日の一族達は小さいながらも明治維新まで存続した

夫を殺した男の妻にさせられた女性

織田信長は、弟の信行と非常に仲が悪かった

そのためとうとう、弟・信行を殺害するのである

殺害したのは、乳母の子である池田恒興であります

さて、殺された信行には妊娠中の妻がいました

名前は不明ですが、荒尾家の女性なので、ここでは「荒尾」で通します

荒尾は、夫を殺され呆然としていました

すると信長がやってきて「恒興、お前は22歳だよな?あの女をお前の嫁にしろ」と言ったのです

荒尾はビックリ!自分の夫を殺害した男と結婚とは!!そんな屈辱には耐えられない!と、自害しようとするが、止められ、ついに結婚させられてしまったのです

荒尾は恒興と結婚してすぐに、信行の子供(女の子)を産みました

すると恒興がその女の子を我が子として溺愛したのです

荒尾の閉ざされた心はだんだんとほぐれてきました

こうして荒尾は67歳まで生きますが、過去の恨みを忘れ池田家を守っていったのでした

信長の娘の中では一番幸せか!?永姫

織田信長は娘を「政略結婚の駒」としか見ていなかった

そんな永姫は信長の10人いる娘の中の五女として生まれた

永姫が嫁がされたのは前田家

前田利家の嫡男・利長と結婚させ、さらなる忠義を求めたのであります

主君の娘なので、永姫の待遇はとても良かった
が、永姫には子供ができなかった

永姫は利長に「私は子供が産めないかもしれない。誰かに子供を産ませてくださいな」と言ったという

この夫婦の仲は悪くなく、離婚もせずに人生を全うした

息子・信長を嫌った母 土田御前

土田御前は、赤子の時から癇癪持ちで、少年になってからはヤンキーとなった信長を嫌った

母として、息子の愚かな行動が恥かしかったのである

その代わりに、次に産んだ品行方正な信行を溺愛したのであります

母に愛されない信長は、いつしか弟・信行を憎み、そして殺害したのであります

が、信長は母を引き取った
安土城にも母の居場所をきちんと作ったのであります

ちなみに、信長の愛した女性・吉乃の死んだ夫は、この土田御前の甥であります

信長は母に愛されなかった安らぎを、年上の未亡人・吉乃に与えてもらったのかもしれませんね

夫の腕を持ち帰ってきた熊谷元直の妻

熊谷元直は28歳の勇将でしたが、有田合戦により死んでしまいました

元直の妻は、夫が戦死したことを聞き嘆き悲しんだ

そして夫の遺体が戦場でそのままにされているのが、いたたまれなかった

こうして妻は、夜一人でこっそりと戦場へ馬に乗っていったのであります

妻は血の匂いと首のない死体の中、夫の腕にあった「腫れ物」がある死体を一つ一つ捜した
そしてやっと見つけたのである

が、遺体は重く妻は持つことができなかった
そのため、夫の片腕を切り落とし、家へ持って帰ったのであった

出産疲れで死んじゃった 蓮如の五人の妻

蓮如といえば浄土真宗の祖

この蓮如は五人の妻をとり、すっごくたくさん子供を産ませ、奥さんみーんな出産疲れで死んでしまいました

とはいっても、一人の女性が重複したことはなく、妻以外の女性とは浮気はしませんでした

蓮如の子供は男の子が14人 女の子が14人

お疲れ様・・・
武田信玄の六人の娘たち〜悲劇の松姫〜
武田信玄には6人の娘がいました

長女黄梅院は12歳の時北条氏政へ嫁ぎました

次女は穴山信君

三女の真理姫は木曽義昌。武田滅亡のきっかけを作っちゃった人です
夫の裏切りを怒った真理姫は末子を連れ逃げ、なんと98歳まで生きました

四女は死んじゃってて、五女は菊姫は信玄の死後、武田・上杉の同盟の証として勝頼によって上杉景勝のもとへ嫁がされました

そして六女の松姫が織田信長の嫡男である織田信忠へ1567年に嫁ぎました

だけど、三方ヶ原の戦いにおいて武田と織田の仲は険悪となり、翌年、信玄が死ぬと2人は引き離されました

だけど松姫と信忠は離れてからも手紙のやりとりをする仲でした
二人は愛し合っていたんですねぇ

松姫は北信濃に移ってたんだけど、勝頼が長篠の戦において破れてからはボロボロ

だんだんと武田の雲行きが怪しくなってきて城から城へ逃げる日々

仁科盛信の高遠城にいたんだけど、盛信が織田に攻められる時に「妹だけでも」と、お兄さんの盛信は松姫を逃がしたのです
ちなみに盛信を攻撃したのが、皮肉にも信忠・・・

のち、天目山において勝頼が死ぬのを聞くと、松姫は勝頼の娘たち女4人で北条の領地へ逃げていきました
勝頼の妻が北条氏だったので、北条氏照はこの4人を見逃してくれました

で、お寺に入ってたんだけど、松姫は京都に大好きな信忠がいることを知り、会いに行こうと決意

が、会いに行く途中、本能寺の変で信忠が死んだことを知ってしまった

その後、北条氏もやられてしまい、松姫のいるところに家康がやってきました

家康は信玄を崇拝していたので、松姫に庇護の手をさしのべました

そして松姫は信松院を大久保長安に建ててもらい、1616年56歳まで生きたのでした

夫・大内義隆を捨てた正妻・貞子

大内家といえば、戦国初期の超セレブ大名

そんな義隆の奥さんは、京都のお姫様・貞子。
ちなみに義隆は京都風が大好きなので、京都から正妻を欲しがったのであります

15歳でやってきた貞子を義隆はとっても好きになりました

が、貞子についてきた侍女の「おさい」という女性のことも気に入っちゃったのです

で、義隆は貞子にナイショで、おさいにラブレターを送りました

が、ドジな義隆はこのラブレターを間違って貞子に送っちゃったのです

これを見た貞子は「あなたの心は二つあったのね!」と、なんとさっさかと実家に帰ってしまったのでした

まさに妻に逃げられた男・義隆ですが、そのうち京都好きがヒートアップし、家臣にまで逃げられてしまう男となってしまうのでありました
え?いたんだ・・・なくらい大人しい竹中半兵衛の妻

竹中半兵衛といえば、秀吉の軍師として若くして病死した人

そんな半兵衛にも影が薄いですが奥さんはいました

半兵衛は17歳の時に竹中家の跡継ぎに。そして20歳の時に結婚しました

お相手は美濃三人衆の一人、安藤守就(あんどうもりなが)

安藤守就は、半兵衛をみて「こいつは将来有望!」と、自分の娘と結婚させたのであります

そんな半兵衛は、この義理の父・守就をとても大事にしました。むしろ奥さんより義父のほうを大事にしたと言われています

二人の間に子供ができたのは、結婚して10年目のころ

せっかく親子三人仲良く・・・・というとこで、なんと半兵衛は36歳の若さで病死してしまいました

妻はその後出家し、静かに暮らしたといわれています






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