日本の女性史



         


花井お梅

お梅は千葉県の貧乏士族の家に生まれました

親が貧乏といったら、女性の行く道はもちろん「身売り」

お梅も9歳の時に日本橋の岡田家へ養女に出され、15歳で柳町の芸者になり小今(こいま)と名乗りました

お梅は三味線などはたいしたことなかったらしいが、愛嬌のある美人だったようで、たちまち大人気に
そんなお梅の口癖は「あたしは太閤(豊臣秀吉のこと)のように出世してやる」だった

ということで、座敷では太閤芸者と呼ばれるようになったのです

そんなお梅にも好きな人ができました
歌舞伎役者の沢村源之助です

が、源之助のことを好きな芸者がもう一人いた
それが新富町の有名芸者・喜代治

2人はライバル意識バチバチでした

が、あるときお梅が源之助にプレゼントした着物を、源之助が喜代治にあげてしまった
お梅が激怒してかみそり片手に源之助のもとに殴りこんでいったのです

ところで、なぜ着物をあげたことがバレたかというと、源之助のお付の峯吉がお梅にバラしたから
峯吉は「余計なこと喋りやがって!」と源之助にクビにされてしまったのでした

そんなお梅でしたが、河合伝衛というパトロンがつき「酔月」という店を買ってくれた
お梅はここで父とともにお店をやっていくことに

さてさて、ある日、お梅と峯吉が偶然町で出会った
峯吉はクビになったことを話すと、お梅は「じゃあ、私のとこで働きなさいよ」となり、峯吉は店の使用人となりました

お梅と父は共同で店を経営していましたが、正直この父と気が合わなかった
父は「経営者は自分」とエバりくさりっていたからです

が、新入社員峯吉は父の味方をし、お梅の悪口を言うようになってきたのです

お梅からしてみれば、自分を売った父親を恨みもせずに「一緒にお店をやりましょう!」と言ったのに、父から邪魔者扱いされ、さらに峯吉という新手まで現れ、次第にノイローゼ状態になってきた

毎日毎日ケンカばかりだったので、お梅は本阿弥三五郎という愛人と、ゆっくり温泉旅行に行くことに

そこへ峯吉がやってきたのです

お梅は峯吉に「父親といつまでもケンカしていたくないから、あなたが仲介してくれないかしら?」とお願い

すると峯吉が「わかった!その代わり交換条件として、お前が俺の愛人になれ」と迫ってきたのです

お梅は必死で抵抗し、そして近くにあった刃物で峯吉を刺し殺してしまったのです

こうしてお梅は刑務所に入れられることとなりました

刑務所での生活は大変で、美人で有名人だったためにイジメのターゲットに
牢名主(刑務所のボス)からうんこを顔に投げられたりと、かなり悲惨だった

やっと刑務所から出てきたお梅

お汁粉屋を経営しましたが、失敗

そして53歳という高齢で、またも芸者になったのです
が、もはや昔の美しい面影はなかった
「老婆が芸者をやっている」とキワモノ扱いされ、違う意味で見世物となったのです

落ちぶれたお梅ですが、とうとう病気になりました
が、世話してくれる場所がどこにもない

そこへ手を差し伸べたのが、かつてのライバル芸者・喜代治だったのです

喜代治は「同じ芸者として、お梅の気持ちがよくわかる」と、最後の世話をしてくれたのでした
ちなみに喜代治は芸者として新橋を代表する名妓となっていたのです

こうしてお梅は喜代治の世話をうけ、大正五年に生涯を終えたのでした







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