日本の女性史



         


新撰組を支えた女性たち

幕末を語るに欠かせない集団 それが新撰組
京都の治安維持のために動き、戊辰戦争で戦い、最後は箱館戦争で降伏
約七年間、日本を騒がせた新撰組にはどのような女性関係があったのでしょうか!?

まずトップバッターは局長の近藤勇
奥さんはツネさんです
このツネさんには不名誉な逸話が
近藤勇がそろそろ結婚しなさいヨ!ということになった時、数名のお嫁さん候補を並べました
でもって、ツネさんを選んだのです
理由は「ブスだから」

新撰組局長にとって、あまり美人でお色気たっぷりだと部下たちの気持ちがそぞろになるからってコトです
ツネさんとの娘が生まれましたが、江戸に置いたままだったのでほとんど会ってないんでしょうねぇ

ちなみに近藤が流山で処刑された後、娘が病気で死んでしまいました
ツネは自暴自棄になり、何度も自殺をはかりました
が、死にきれず明治25年に55歳で死亡しました

京都にいた近藤は、幹部隊士だけが行くことを許された「休息所」を作っていました
そこに大阪新町の娼妓・深雪(みゆき)太夫を囲っておりました
23歳くらいの美女だったようですが体が弱く、死んでしまいました

近藤は深雪太夫がめちゃお気に入りだったらしく、今度は深雪太夫のいもうとである考(こう)を大阪の吉田屋からつれてきて手元に置いておいたのでした

その他にも京都三本木の駒野と植野、そして島原の金太夫もお気に入り
駒野との間には男の子も生まれました

新撰組はいつも死と隣り合わせの毎日だったので、ほんとよく遊んでいたんです
しかも妻がいる隊士は、単身赴任(妻は江戸に置きっぱなし)だったため、毎日遊んでいたのでした


お次は副長の土方歳三

甘いマスクだったんで新撰組に入る前からも女性関係ではトラブル多発
働き出したお店でも、女性に手を出して(手をつけられた?)て妊娠騒動を起こしたりしてました

そんな土方、京都ではかなり浮名を流しました
地元に「もてすぎちゃって困るよ」といった手紙を出すほどもてまくり

ざっと名前をあげると島原の花君太夫・天神屋の一元・北野の君菊と小楽・大阪新町の若鶴太夫・祇園では芸子3名、そのほかにも書ききれないくらいの女性関係がありました

この中で君菊との間では女児が生まれました
ですが子供はすぐに死んでしまい、君菊もその後亡くなってしまっています

そんな土方ですが、近藤勇が処刑されてからは態度が一変
箱館では他の人たちは遊女と遊びまくっていたのに、土方だけは全く女性と関わりを持たなかったのでした


お次は芹沢鴨
あまりにも傍若無人だったため、暗殺されてしまった人です
かなり豪快な人で、近藤や土方もほとほと手を焼いていました
で、この芹沢のわがままによって二人の男女が死んでしまうという事件がありました

新撰組に佐々木愛次郎(新撰組美男子ベスト5に入る人)という19歳の少年がいました
めちゃくちゃ美少年だったそうです
その愛次郎は、近所の八百屋さんの娘で17歳のあぐりという少女と出会い、相思相愛に
あぐりも評判の美少女で、お似合いのカップルでした

ある日二人が散歩していると、偶然芹沢御一行様に遭遇
あぐりを見て気に入った芹沢は、翌日愛次郎を呼び出し「おい、あの女を連れて来い。俺の妾にするから差し出せ」と言ってきました
好きな女性を差し出すなんて・・・と困った愛次郎
すると芹沢の腹心の佐伯が「芹沢さんからは逃げられないぜ。こうなったらあぐりと一緒に脱走するしか道はないぜ」と言ったのです

そして愛次郎とあぐりは二人で京都を去るべく駆け落ちしました
ところが、逃げている途中の道に佐伯らが待ち構えていたのです
そして愛次郎を斬り殺してたのです
さらに佐伯はあぐりをレイプしようとしました
あぐりはその場で舌を噛み切って自殺してしまいました
めっちゃ気の毒なお話ですね

ほかにも芹沢には「お梅」というお色気ムンムンの女性がおりました
お梅はもともと呉服商の妾だったのですが、芹沢のもとに代金取立てに来た時気に入られてしまい
芹沢の妾になったそうです
が、このお梅は運悪く芹沢と一緒にいたところを沖田らに暗殺されてしまいました

お梅の遺体は呉服商も引き取らず、かといって芹沢と同じお墓に入れるわけにもいかない
数日後、実家の人が引き取りにきましたが、すでに腐臭がしていたそうです


お次は沖田総司
沖田にはあまり濃い(?)女性関係は語られていませんが、どうやら医者の娘と恋仲になったという逸話があります
その女性は大阪の医者の娘で岩田コウという名前で、近藤勇の養子となった谷周平と結婚させるために、コウも近藤の養女になりました
ここで沖田と出会い、恋におちたのです
が、沖田は尊敬する近藤のためにコウの求愛に応じるわけにはいかない
そのためコウは刀で喉を貫いて自殺をはかったのです
が、一命をとりとめました
ここまで大事件になってしまっては、谷周平と結婚させるわけにはいかず、近藤の手配により商家へ嫁ぎました


お次は永倉新八

永倉の妻は島原にある亀屋の芸妓・小常(こつね)
女児を出産しますが、産後の肥立ちが悪くすぐに死んでしまいました

小常が死んだ日、新撰組は大阪に行く日で、急ピッチで小常の埋葬の手配
そこで初めて娘の「磯」に会うことが出来ました
以後、ずーっと会っていませんでしたが、明治24年に磯と再開
磯は女優として「尾上小亀」と名乗っていたそうです


お次は原田左之助
新撰組にしては珍しく一般人と結婚しました
政(まさ)という女性で、町人の娘です
左之助が26歳・政が18歳でした
そして長男の茂が誕生し、二人目の子を身ごもっている時に新撰組は京都を去ることに

鳥羽伏見の戦いで敗けた新撰組は江戸に敗走し、左之助は彰義隊が行った上野戦争にも参加
それも負けてしまいました
そして妻子に会いたくなった左之助は、京都に戻ろうとしますが死んでしまったのです
ちなみに政は伊藤博文の知遇を得て不自由なく暮らせました


お次は山南敬助
土方と対立し、脱走したため切腹をすることになってしまいました
山南には島原遊郭で天神(太夫の次のクラス)だった明里という恋人がいました

明里は21歳くらいで、上品な美人であり武士の妻にしても恥かしくない身のこなしをしていたと言われています
山南が切腹するという知らせを聞いた明里は、山南のもとへ走りました
そして部屋にいる山南に格子越しに最後の別れを惜しんだのです


お次は伊東甲子太郎
この人は新撰組に入る前から妻がいました
名前を「ウメ」といいます

伊東は近藤に誘われて新撰組に入り、子供のいないウメは一人江戸に残されました

淋しくて淋しくて仕方なかったらしく、甲子太郎に「あなたのお母さんが大病を患ってます」という手紙を出したのです
慌てて甲子太郎が戻ってくると、実は嘘でした
ウメは淋しさのあまり嘘の手紙を書き、甲子太郎に新撰組をやめるよう懇願
すると甲子太郎が「国の一大事の時にこのようなバカげたことをするとは!!!」と、即刻ウメと離婚したのでした


さてさて、ではここで新撰組がしょっちゅう通っていた「島原」についてサクっと説明しましょう!

島原というのは京都の南西部にある遊郭であります
新撰組がよく通っていた店は「角屋」
島原遊郭の中でも老舗です

ちなみにこの頃の京都の遊女にはランクがあり、上から 太夫(たゆう)→天神(てんじん)→端(はし)→鹿恋(かこい)
で、この角屋は天神以上の女性しかいないという高級店
建物も贅沢で豪華でした
ですがここで芹沢鴨が何度も暴れまくったので、新撰組の評判は悪かった
ケド金払いがいいため、店からみれば上客だったためむげにはできなかったのでした


お次は新撰組隊士に大人気だった壬生寺の裏にある水茶屋「やまと屋」の女将の娘
めちゃ美人で隊士たちはその娘目当てにしょっちゅう通っていました
そんな娘が選んだのが山野八十八(やそはち)
八十八はいっつもニコニコして愛想がいい少年でした
ちなみに八十八は新撰組美男子五人衆の一人です
他には楠木小十郎・馬越三郎・馬詰柳太郎・佐々木愛次郎が入ってます








女性史TOPに戻る?

TOPに戻る?


参考文献はすべてこちら



1