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歴史人物辞典
あ行   か行   さ行   た行   な行   は行   ま行   や・わ行   ら行  

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明智光秀 戦国
(あけち みつひで)
安徳天皇 平安
(あんとくてんのう)
安国寺恵瓊 戦国
(あんこくじ えけい)
足利尊氏 室町
(あしかが たかうじ)


足利直義 室町
(あしかが なおよし)
阿野廉子 室町
(あの れんし)
荒木村重 戦国
(あらき むらしげ)
浅井長政 戦国
(あざい ながまさ)


足利義昭 戦国
(あしかが よしあき)
朝倉義景 戦国
(あさくら よしかげ)
秋山信友 戦国
(あきやま のぶとも)
穴山梅雪 戦国
(あなやま ばいせつ)


安倍晴明 平安
(あべのせいめい)
浅野長政 戦国
(あさの ながまさ)
天草四郎 江戸
(あまくさ しろう)
足利義満 室町
(あしかが よしみつ)


阿部定 昭和
(あべ さだ)
芥川龍之介 大正
あくたがわ りゅうのすけ
足利義政 室町
(あしかが よしまさ)
新井白石 江戸
(あらい はくせき)


安藤信正 幕末
(あんどう のぶまさ)
阿部正弘 幕末
(あべ まさひろ)
有栖川宮吉子 幕末
ありすがわのみやよしこ
有馬晴信 戦国
(ありま はるのぶ)


秋山真之 明治
(あきやま さねゆき)
秋山好古 明治
(あきやま よしふる)
有村次左衛門 幕末
(ありむらじざえもん)



井伊直弼 幕末
(いい なおすけ)
井伊直政 戦国
(いい なおまさ)
伊能忠敬 江戸
(いのう ただたか)
伊藤博文 幕末
(いとう ひろぶみ)


今川義元 戦国
(いまがわ よしもと)
今川氏真 戦国
(いまがわ うじざね)
石田三成 戦国
(いしだ みつなり)
石川五右衛門 戦国
(いしかわ ごえもん)


池田恒興 戦国
(いけだ つねおき)
幾松 幕末
(いくまつ)
板垣信方 戦国
(いたがき のぶかた)
伊東甲太郎 幕末
(いとう かしたろう)


石川啄木 明治
(いしかわ たくぼく)
石川数正 戦国
(いしかわ かずまさ)
一休宗純 室町
(いっきゅうそうじゅん)
稲葉一鉄 戦国
(いなば いってつ)


岩瀬忠震 幕末
(いわせ ただなり)



上杉謙信 戦国
(うえすぎ けんしん)
上杉景勝 戦国
(うえすぎ かげかつ)
上杉鷹山 江戸
(うえすぎ ようざん)
宇喜田秀家 戦国
(うきた ひでいえ)


梅田雲浜 幕末
(うめだ うんぴん)
宇喜多直家 戦国
(うきた なおいえ)
上杉憲実 室町
(うえすぎ のりざね)




榎本武揚 幕末
(えのもと たけあき)
江川太郎左衛門 幕末
(えがわたろうざえもん)



織田信長 戦国
(おだ のぶなが)
大久保利通 幕末
(おおくぼ としみち)
大谷吉継 戦国
(おおたに よしつぐ)
大友宗麟 戦国
(おおとも そうりん)


織田信孝 戦国
(おだ のぶたか)
織田信雄 戦国
(おだ のぶかつ)
沖田総司 幕末
(おきた そうじ)
小野小町 平安
(おののこまち)


大久保長安 江戸
(おおくぼ ながやす)
お 龍 幕末
(おりょう)
小野妹子 飛鳥
(おののいもこ)
於大の方 戦国
(おだいのかた)


お市の方 戦国
(おいちのかた)
黄梅院 戦国
(おうばいいん)
大海人皇子 飛鳥
(おおあまのおうじ)
太田道灌 戦国
(おおた どうかん)


大岡忠相 江戸
(おおおかただすけ)
大村純忠 戦国
(おおむら すみただ)
大山巌 明治
(おおやま いわお)
織田長益 戦国
(おだ ながます)


小野友五郎 幕末
(おの ともごろう)
緒方洪庵 幕末
(おがた こうあん)









明智光秀  あけちみつひで

戦国時代の武将

出生は???教養があり、歴史に出てきたのは今川家に客将としてくつろいでたところに、足利将軍がやってきて「オレッチに織田信長紹介してくんない?」と言われてから

信長はおりこうさんの光秀を気に入り、家臣団に加えるも、次第に光秀のインテリさが鼻についてきて光秀イジメをスタート

ノイローゼになりかけた光秀は、中国地方で毛利家とバトル中の秀吉を助けに行ってこい!と信長に命令された

中国地方に行く途中「おれもうヤダ!敵は本能寺にありぃー!」と叫んじゃった

で、本能寺で信長をやっつけるも、ソノ後すぐ秀吉に山崎の合戦にて秀吉にやっつけられた



性格・・・まじめ・お世辞が言えない・プライド高め

あだ名・・・キンカ頭(信長が命名)・三日天下

好きな人・・・奥さんラブ。「ワシは奥さんは1人でいいのじゃ」

嫌いな人・・・信長・秀吉

親友・・・細川幽斎・筒井順慶 「ですが、最後は裏切られました。ショックでした」

心配事・・・娘・ガラシャのこと「細川家へ嫁に行って辛い思いをしているかも・・・ドキドキ」

特技・・・鉄砲の腕前

秘密・・・実は山崎の合戦で農民に殺されたフリをしてたが、生きていた?天海は光秀という説あり

歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★ 「悲劇の死を遂げた人には弱いのです」

キャッチフレーズ・・・詰めの甘い男


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安徳天皇  あんとくてんのう

81代目の天皇

平清盛の娘・徳子と、高倉天皇との間に生まれる。

が、平氏は源氏に都を追われ、壇ノ浦で戦い敗れる

この時、安徳天皇は平清盛の妻・時子の腕に抱かれながら海へ沈む。わずか8歳でした

以後、壇ノ浦で釣りをする人は「正座」して釣りをするように

どうやら安徳天皇へ失礼のないように・・・ということらしい


好きな人・・・おばあちゃん(時子)

嫌いな人・・・おじいちゃん(後白河法皇)

好きなこと・・・おばあちゃんの抱っこ

嫌いなモノ・・・おじいちゃん(後白河法皇)の顔

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★ 「まだ8歳で溺死 かわいそう」


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安国寺恵瓊  あんこくじえけい

戦国時代の人

出身は??

頭が良く毛利家お抱えの外交官に抜擢される

そして「織田信長はもってあと何年かだろ?その後は秀吉が天下を取るな」と予言もした

高松城攻めの時に、毛利家と秀吉との間を取り持ち、秀吉に気に入られ秀吉の下に

関ヶ原の合戦の時は、石田光成に相談され西軍へ入る

が、場所取りが悪く、東軍と一戦も交えることなく家康によって処刑される

どうやら他人のことは予言できても、自分のことは予言できなかったらしい



性格・・・頭脳明晰・口がうまい・博学

ニックネーム・・・怪僧

苦手な人・・・吉川広家

好きな人・・・秀吉

ヒトコト・・・「あーあ、ワシ、天下取りたかったのにな」

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★ 「坊さんはあまり好きじゃない」

キャッチフレーズ・・・「戦国時代の外交官」


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足利尊氏  あしかがたかうじ
←疑惑の絵(笑)

鎌倉時代〜室町時代の武将

室町幕府の初代将軍になった人

源氏のナガレを汲む足利家の長男として生まれたが、実は気の弱いお坊ちゃま

弟の足利直義と、執事の高師直に支えられて頑張ってきた

時の天皇・後醍醐天皇のことがダイスキで、「武士」としての本分を忘れることもしばしば

それを弟や執事に咎められ何とか武家の棟梁として独立してゆく

最後はダイスキな後醍醐天皇とも大喧嘩し、南北朝分裂!

さらには、弟の直義ともバトルし、毒殺させてしまう



性格・・・お人よし・すぐ人を信じる・気前がいい

尊敬する人・・・後醍醐天皇「ダイスキです!」

好きな人・・・後醍醐天皇・弟の直義

苦手な人・・・護良親王「なんかいつもオレのこと睨んでるんだよね」

後悔してること・・・弟を毒殺したこと・武家の棟梁として生まれちゃったこと「弟が長男だったらよかったのに」

ヒトコト・・・「なんで俺の気持ちを後醍醐天皇はわかってくれないんだろ?」「バサラってめちゃくちゃだけど、見てて気持ちいいよね。だってオレ、あんなこと出来ないもん。怒られるの怖くて・・・」

歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★ 「イマイチ棟梁らしくない。いつまでも天皇ラブだし」

キャッチフレーズ・・・「いつの間にか将軍になった男」

足利直義  あしかがなおよし

鎌倉時代〜室町時代の人

室町幕府初代将軍・足利尊氏の弟

幼い頃から利発で、いくじなしのお兄ちゃん・尊氏を支え続けてきた

親も「この子が長男だったらよかったのに」と毎日呟いてた

が、お兄ちゃんダイスキっ子で、お兄ちゃんのために支え続けた

直義が嫌いだったのは後醍醐天皇

「後醍醐天皇って頭良すぎてアブないよ。お兄ちゃんお人よしだからすぐ騙されそうだよ」と、尊氏にしつこく「後醍醐天皇とあまり近づくな」と言ってた

が、尊氏は後醍醐天皇命!

このあたりから2人の意見が合わなくなり、尊氏は「オレってさ、なんかいっつも直義の言うことばっか聞いてる感じがするヨなぁー」と、とうとう直義と大ゲンカ!

最後は直義を涙を流しながら毒殺するのでした



性格・・・用心深い・人をすぐ信用しない・マジメ

好きな人・・・おにいちゃん

嫌いな人・・・おにいちゃん・・・・・。あと、後醍醐天皇も嫌い。あと高師直も嫌いさ

嫌いなタイプ・・・バサラ 「どうしてあの人たちってすぐに熱くなるんでしょうね?それにあの格好。信じられません」

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★★★ 「頭が良く、お兄ちゃんを支えまくった」

キャッチフレーズ・・・「室町幕府の立役者」


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阿野廉子  あのれんし

鎌倉時代後期〜室町時代の女性

当時の天皇である後醍醐天皇の超お気に入り美女

ホントは後醍醐天皇の奥さんつきの雑用係りだったんだけど、あまりの美しさに後醍醐天皇が気に入って愛人にしちゃった

その後、後醍醐天皇が鎌倉幕府をぶっ潰そう計画をたてたんだけど失敗。

島流しにあうときに「女性を1人だけ連れてってもいいよ」と言われ、阿野廉子を選んだ

そこで後醍醐天皇を支え続け、後醍醐天皇が復活してからパワーを発揮しだした。

なんせ賄賂を贈れば何でも言うことを聞いてあげちゃうので、一部の人たちから大人気に

が、この阿野廉子の賄賂政治が武士たちの反乱を募らせる原因となったのです

最後は南北朝に分かれ、南朝に行った


性格・・・いいかげん・贅沢ラブ・贔屓しまくり

外見・・・美女

嫌いな人・・・武士全部「あの人たちってなんて卑しくて浅ましいのでしょう」

好きな人・・・後醍醐天皇

歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★ 「武士を馬鹿にしすぎ」

キャッチフレーズ・・・室町時代のイメルダ夫人



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荒木村重  あらきむらしげ

摂津生まれの戦国武将

子供の頃から怪力の持ち主だった

織田信長が京都上洛をした時に、真っ先に忠誠を誓い織田家臣となる

信長が本願寺とバトルするようになった時、本願寺攻めを命じられる

が、どうやら自分の家臣が敵である本願寺へお米を売ってぼろ儲けしていたという事件が発覚!

「うっわぁー。こんなことが信長にバレたらまずいだろ。というか、あの信長がこんなことしてたってのを知ったら許してくれるわけないよ」と悩みぬき、とうとう信長を裏切ることを決意!

信長はめちゃくちゃ激怒し、攻め込んだ

11ヶ月ほど籠城したが、もはやこれまでと村重は、夜こっそり何人かの家来だけを連れて夜逃げ

おかげで城に残された家臣や妻子はメタメタに殺された

ちなみにこの時の殺害は信長の三大虐殺の一つに入るくらいすごいものだった

この後、村重は1人だけ生き残りお茶の世界へ没頭

秀吉にも気に入られ「利休七哲」の1人にエントリーされた

が、自分のしでかしたことを後悔しまくってたのか自分の名前を「道糞(どうふん)」という道端に落ちてるウンコという意味の名前に改名した


性格・・・バカ正直

苦手な人・・・織田信長

ヒトコト・・・「だって相手はあの信長ですよ?家臣全員が怖がっていました」

歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★ 「自分だけ生き延びたから」

キャッチフレーズ・・・魔王にたてついた男


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浅井長政  あざいながまさ

戦国時代の大名

浅井家はもともと京極家の家臣だったけど、朝倉家の協力のもと、京極家に反抗してなんとか「浅井家」として独立できた

若くて強いという噂が飛び交い、それを聞いた織田信長が「うちのとっておきの美人妹・お市と結婚させて浅井家とは仲良くしよう」と計画

長政とお市の方はこうして政略結婚したんだけど、この時代には珍しく仲が良かった

娘には超有名な淀君もいる

が、浅井長政に決断の時が!

なんと義兄の信長が、浅井家とずーーーーーっと仲良しだった朝倉家を攻めるというのです

長政は悩んだ。

「信長を取るか・・それとも恩のある朝倉家を取るか」

結果、長政は義理を捨てれずに朝倉家を選び、信長を裏切ることに

コレを知った信長は超激怒!「あれだけ可愛がってやったのに!可愛さ余って憎さ百倍じゃ!」と浅井・朝倉を猛攻撃

姉川の合戦で浅井・朝倉連合軍は破れ、とうとう浅井・朝倉は滅亡してしまうのでした

最後の落城の時、お市の方は「一緒に死にます!」と言ったんだけど、長政は「生きて浅井の血を残してくれ」と言ったためお市の方は三人の娘とともに逃げることに

この「浅井三姉妹」は激動の戦国時代に欠かせない存在となり、三女・お江与は徳川家康の息子・秀忠と結婚し、なんと徳川幕府二代将軍の妻となる

そして三代将軍・家光を出産する

ということで、長政の願いどおり、浅井の血はずーっと続くのでした


性格・・・義理堅い・根がマジメ

好きな人・・・お市の方

苦手な人・・・織田信長

ヒトコト・・・「義兄さん、怖すぎです。ボクを殺した後、ボクの頭蓋骨で盃を作って勝利の美酒を飲んだんですよ!?すごすきです。そもそも、義兄さんはボクとお市が結婚する時、オメーと仲良しの朝倉は攻めないからなって言ったんですよ。なのにボクとの約束を破って勝手にナイショで朝倉を攻撃したんですよ?ひどくないですか??」

歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★ 「生きてれば信長の右腕として活躍できたんだろうなぁ」

キャッチフレーズ・・・世の中、義です


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足利義昭 あしかが よしあき 1537年〜1597年

室町幕府15代将軍

室町末期、応仁の乱によって将軍の権威は地に落ちまくっていた

14代将軍・義輝は暗殺されたりと、戦国の世となり乱れまくっていた室町幕府最後の将軍となったのがこの人

14代将軍だったお兄ちゃん・義輝が松長久秀に殺されてしまい、慌てて逃げた

松長久秀らは、自分達のいいなりになりそうな次の将軍候補を勝手に決めちゃってた

が、義昭はどーーーーーしても将軍になりたかった

焦る義昭は「誰でもいいから僕ちゃんを将軍にしてえ」と騒ぎ、出てきたのがこの頃実力ごグングンつけていた織田信長

義昭は「信長ちゃん、僕を将軍にして!」とオネガイ

信長は「OK。オレ様にまかせろ。フフフ・・・」と松永久秀らをやっつけ、義昭を将軍にしてあげました

めでたしめでたし・・・・・

・・・ではなかった

信長の野望はまだまだこれからで、将軍の権威を利用しまくりはじめた

最初は「信長ちゃんのためなら!」と思っていた義昭だったが、だんだん「アレ?なんかおかしくない?」と思いはじめ、とうとう利用されていることに気がついた

怒った義昭は「むぅーーー!よくも!僕将軍だぞっ!こうなったら!」と、強い武田信玄や上杉謙信などに「信長ってひどいんだよ!やっつけてよ!」と、信長にナイショで手紙を書きまくった

これが信長にバレ、「このアホ!出てけ!」と追い出されてしまった

といっても死んだわけではない

追い出されてからも、いろんなトコに「信長やっつけてレター」を書き続けていた

が、今となってはみんな迷惑

最後は天下ゲッター秀吉が「可哀相だから」と、京都に招き、念願の京都ライフを満喫し死んだ


特技・・・手紙を書くこと

嫌いな人・・・信長 「むかつくよ!あとね、僕の言うこと聞かない人みんな嫌い!だって僕、将軍だよ?」

感謝してる人・・・秀吉 「僕に京都のお家をプレゼントしてくれたんだ。だけど、将軍にはしてあげないよ。だって秀吉って農民でしょ?フン」

声を大にして言いたいこと・・・「言っとくけど室町幕府は滅亡してないから!僕がずーっと生きてたんだからね!滅亡とか言ってるけど、僕がいるんだからね!」

口癖・・・「副将軍にしてあげるから!ね?ね?だからオネガイ。僕を守って」

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★



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朝倉義景 あさくらよしかげ 1533年〜1573年
戦国時代の大名

名門朝倉家に生まれた義景

当主となるべく教育を受けていたが、当の本人は京風大好きなお坊ちゃま

初代当主で戦上手・政治上手であった孝景は一生懸命、義景に帝王学を教えていたものの、老人だったため死んでしまった

すると義景「うるせーじじぃがいなくなったぜ!」と、さらに京風に磨きがかかり始めた

そんな頃、織田信長が15代将軍・足利義昭と大喧嘩

将軍家と仲良しの朝倉家はもちろん信長のターゲットに

信長は朝倉家をやっつけようとするが、ここで問題が

というのも、朝倉家と浅井家は昔から大の仲良し

信長の妹、お市の方は、この浅井家の当主、浅井長政と結婚している

「でもいいや」と、信長は、浅井長政に無断で朝倉家を攻めちゃった

これにビックリしたのは浅井長政 「どうしよう・・・」と、考えた末、昔からの仲良しだった朝倉家の味方をすることに

怒った信長は、同盟者である徳川家康とタッグを組み、浅井朝倉VS織田徳川の姉川の合戦が始まる

ここで浅井・朝倉はボロ負けし、とりあえず家に戻っていった

朝倉家はその後も何度か信長をやっつけるチャンスがあったというのに、すべて「どうしようかなぁ」と言ってる間にチャンスをフイにしまくり

とうとう最後は信頼していた家来に「この人についていってもろくなことない」と見限られ、自刃させられるというお気の毒な最後となった


マイドリーム・・・小京都作り

趣味・・・京都の小物集め

怖い人・・・おじいちゃん

自慢その@ 「僕の家、超名門なんだよ」
自慢そのA 「僕の家、足利将軍家と超仲良しなんだよ」
自慢そのB 「僕の名前、将軍義輝から「義」の字を貰ったんだよ」
自慢そのC 「僕の一乗谷、京都みたいなんだよ」

武田信玄談・・・「あいつはバカだ!今動けば織田信長に勝てたというのに!手紙を何度も送ったというのに動きもしない!本物のバカじゃあ!」

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★

キャッチフレーズ 「チャンスをピンチに変える男」


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秋山信友 あきやま のぶとも 1526年〜1575年

戦国時代の武将 武田信玄の二十四将の1人

信玄・勝頼の二代に仕えた武田家の重臣

16歳で初陣に出た時、大活躍し、信玄に「これからコイツ、使えるかも・・」とチェックされ、なんと「信」の字をもらう(それまでは晴近という名前だった)

信友大喜び

信玄の目は確かで、その後信友は武田家のために活躍しまくる

戦いだけでなく、外交もばっちりで信玄の信頼も厚かった

が、彗星のごとく乱世に飛び出してきた織田信長に翻弄されることになる

信友は、織田信長の叔母と結婚している遠山景任を攻める

この時、信長の叔母にひとめぼれ

なんとこの叔母を側室にしちゃった

さらにこの叔母は子供がおらず、織田信長の五男(のちの織田勝長)を養子に貰ってたので、信友はこの養子を信玄のところに送り込み、監禁させた

自分の息子をそんな目にあわせやがって!と、怒った信長

そんな時、信玄が死に勝頼が新当主になる

武田家の力が弱まっていく中、信長は信友のいる岩村城を総攻撃

半年ほど籠城し頑張ったが、とうとう捕らえられ逆さ磔の刑となって殺された


性 格・・・頭がいい・外交感覚に優れている

武田信玄談・・・「あいつすげーいいヤツだぜ?わし、かなり信頼してるから」

織田信長談・・・「オレの息子を変な目に合わせるなんて許せん!!!むかつくから叔母さんも逆さ磔にしてやったぜ!」

うれしかたっこと・・・「もちろん武田家の家臣として信玄様に出会えたことです」

悲しかったこと・・・「実は攻め込んだ遠山景任とはかなり仲良しだったんですよ。だから攻め込む時は心苦しかったのです」

歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★★


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穴山梅雪 あなやま ばいせつ 1541年〜1582年

戦国時代の武将 武田信玄二十四将の1人

武田信玄の親類衆の筆頭だった梅雪

というのも、梅雪の母は武田信虎(信玄のお父さん)の次女

ということで、梅雪にとって信玄は叔父さんになる

親類筆頭ということもあって、武田家内では一目置かれる存在だった

金山で富を得て、鉄砲を買ったりと武田家のために頑張ってた

が、人生の転機が訪れることとなった

それは「大好きな武田信玄の死」である

武田家VS織田・徳川の戦い、「長篠の戦」で破れると勝頼の本隊とともに甲斐に逃げた

が、徳川家康は「今がチャンス!」と武田家を総攻撃

とうとう梅雪は「武田はもうだめだ・・・」と、剃髪し家康に降参することに

ちなみに今までの名前は「秋山信君」 剃髪し梅雪という名前になった

武田の重臣が寝返ったことを知った織田信長は大喜び

信長は、家康と一緒に京都に遊びに来た梅雪を超丁寧に接待した

が、京都見物を終え、次は堺見物♪という時に本能寺の変がおきてしまう

ビックリした家康&梅雪

「こんなトコでこんな少人数でもたもたしてたら殺される!」と伊賀越えをして逃げることに

が、梅雪は「痔」が痛く馬にずっと乗ることができなかった

そのため家康と別々のルートで歩いて逃げる途中、なんと野盗の襲撃を受け殺されてしまった

主家を裏切った男は悲しい最期を遂げた



武田勝頼談・・・「まさかアイツが裏切るとは!!!あんなにオヤジ(信玄)に世話になってたくせに!親戚のくせに!人間なんて信じられねぇぜ!」

徳川家康談・・・「まさか穴山殿が武田家を裏切るとは・・・。うししし。気持ちがええのー」

ルイス・フロイス談・・・「ドウヤラ穴山ドノハ大変ナメニアッタミタイデスネー!ニゲルトチュウ、ナンドモシュウゲキサレタミタイデスヨ」

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★



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安倍晴明  あべのせいめい 921〜1005年

平安時代の陰陽師

晴明は、幼少時代から賀茂忠行に陰陽道を習ってました

賢かったため、ぐんぐん覚えていった

得意なのは未来や前世を見抜く眼力

藤原道長などに仕え、大活躍した

そんな晴明のライバルは芦屋道満(あしやどうまん)

とうとう2人は勝負し、晴明が勝利!道満は去っていきました

こうして陰陽師として、絶大な人気を得てすごした


花山天皇談・・・「マロはすごい頭痛持ちなのじゃが、晴明に占ってもらったらすぐに治ったのじゃ!いやー、恩人じゃよ!晴明は!」

特技・・・式神を操ること

ヒミツ・・・式神で人を殺せること

嫌いな人・・・芦屋道満

歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★

キャッチフレーズ  平安のミスターマリック


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浅野長政 (あさの ながまさ) 1547年〜1611年

戦国時代の人

秀吉の妻・おねの腹違いの妹のダンナ

身内の少ない秀吉にとっては、かなり力強い存在だった

戦いよりも内政・外交に優れており、五奉行の筆頭となる

が、だんだん力を得てきた石田三成と険悪ムードになっていく

秀吉が朝鮮と戦い始めた時、秀吉が「ワシも朝鮮に行く!」と言い出したことから大喧嘩に

「何考えてんですか?今、秀吉殿が日本を離れ朝鮮に行っちゃったら、国内は乱れまくりますよ!ったく!この狐つき!」

とまでいい、秀吉は大激怒

長政は切腹を覚悟するくらいだった

なんとか切腹はまぬがれたものの、その後、側室淀君が秀頼を出産

秀吉は秀頼にメロメロになり、長政はだんだん秀吉を見限っていく

そんな頃、家康と仲良くなり始める

どうやら外交で家康と色々話しているうちに気があったらしい

関ヶ原の合戦では東軍に加わることなった

以後、家康の碁友達として生きてく


趣味・・・碁「家康殿と身分を忘れて熱中しました」

石田三成談・・・「あれだけ秀吉殿に世話になっておきながらよくも!!」

徳川家康談・・・「あやつはいいヤツじゃった。あやつが死んでから碁は一切やっとらん」

言い訳・・・「ワシ、五奉行の筆頭であるぞ?なのに三成はえばりくさるし、肝心の秀吉殿はバカみたいに息子にメロメロだし。バカバカしくて付き合っておれんわい!」

歴史メジャー度・・・★★

管理人お気に入り度・・・★★



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天草四郎  あまくさ しろう

江戸時代の救世主

江戸幕府三代将軍・家光は、キリスト教は幕府を脅かす存在だということでキリスト教禁止令を出した

九州にはキリシタンが多く、踏み絵などをやり、キリシタンを弾圧しまくっていた

そんな頃、宣教師ママコスが「25年後に天変地異が起きる時、天草に救世主が現れるであろう。その救世主は幼き頃から天才で見目麗しい・・・」

という予言を残し追放された

人々はママコスの予言にあった救世主とは小西行長の家臣であった益田甚兵衛の息子・益田四郎(16歳)のことではないか?という噂が広まる

天草四郎は美少年で秀才だったらしい

人々は四郎のもとへ集まっていくことに

こうして四郎をリーダーとした「島原の乱」が勃発

が、やはり幕府の力には勝てず4ヶ月後に鎮圧されてしまった


外 見@・・・美しくて賢く、立ち振る舞いは上品でゆったり。まるで処女のようだby原城の人々

外 見A・・・ほっぺに水泡の跡がありまくりだった!by細川家の人々

四郎の母談・・・「わが子はデウスの子です!殺されるわけありません!今頃ルソンへ渡ってます!」

ヒトコト・・・「本名は益田です。よろしく」

歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★



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足利義満 あしかが よしみつ 1358年〜1408年

室町幕府三代目将軍

足利尊氏の孫。生まれた時から将軍になることが決まってた

11歳で将軍になったが、幼い上に将軍を支える山名氏や大内氏がいたため、あまり権力がなかった

が、成人してくると「将軍家の権力を高めたる!」と燃えはじめ、全国各地から色とりどりの花を持ってこさせ室町に「花の御所」とういゴージャスな家を建てた

さらに力のある山名氏や大内氏・土岐氏など、えばってる守護大名つぶしにかかりまくった

さらにさらに、真っ二つに分かれていた南北朝をまとめた

そしてこの功績により、義満は太政大臣に出世

さらに「もっとお金が欲しいぜ」と、中国の明との貿易をしまった

こうして最高の権威と権力をゲットした義満

多分足利将軍家の中で一番幸せに生きた人


性 格・・・傲慢・わがまま

中国の明皇帝・・・「義満?日本国王のコトでしょ?たしか天皇より偉いんだよね?そりゃ知ってるさ」

自 慢・・・花の御所・金ピカの別荘金閣寺

各地の守護大名談・・・「あまり派手なことすると、将軍家に潰されちまうぜ!大人しくしてなきゃ」

歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★


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阿部定 あべ さだ 1905年〜消息不明
明治38年生まれ

東京神田の畳職人の娘として生まれた

少女時代からヤンキーまっしぐらで、とうとう両親は定を横浜の置屋に芸者として売り飛ばしてしまった
その後は娼婦となり、大阪・名古屋など色んなところにいく

が、だんだん年をとり始めたため、政治家の妾をやったり、女中奉公したりするように

そして32歳の時に、「吉田屋」という旅館へ勤めることに

ここで主人の石田吉蔵と出会い、恋におちる

吉蔵には妻がいるの定にメロメロ。定もいつしか「いつまでも二人でいたい。私だけのものであってほしい」と思うように

さて、この吉蔵はかなりのマゾで、エッチの時に紐で首を絞めてもらうのがダイスキ
ある日、定がいつものように首を絞めてると、強く締めすぎたため、なんと吉蔵が死んでしまった!!

すると定は、吉蔵のち○ち○をちょん切ってしまい、流れた血で「定・吉二人キリ」と吉蔵の太ももに書いちゃった

結果、定は殺人罪+死体損壊罪で懲役六年。

昭和16年に出所し、バーのマダムや女中などをし、さすらいつつ行方不明となってしまった


性格・・・情に厚い

定のキメゼリフ・・・「一度も恋をしなくて死ぬ人だってたくさんいるでしょ?」「本当の恋をしたのは一度だけ」

吉蔵の性格・・・マジマゾ

言いたいこと・・・「私はあの人を愛していました・愛するがゆえ、彼の一部を切断したのです。私のしたことは、男に惚れぬいた女ならばよくあることでしょう」


歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★

キャッチフレーズ  エログロの女王



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芥川龍之介 あくたがわ りゅうのすけ 1892年〜1927年

大正の小説家

東京で生まれた龍之介。が、お母さんのフクが龍之介が生まれてまもなく精神病となったため、龍之介はフクの実家の養子となる

で、東大へ入学し夏目漱石と知り合うことに

ここで作家を目指すことになる

23歳で「羅生門」を発表。さらに翌年「鼻」を発表する

以後、短編から童話まで幅広く大活躍する

が、30歳ごろ自らも精神がおかしくなりはじめる

どうやら母が精神病となったのがトラウマで、「俺は狂人の子」というのがいつも心につきまとっていた

34歳の時に「河童」を書くが、これが自らの傷ついた身体を訴えている

で、翌年なんと大量の睡眠薬を飲んで自殺してしまったのである

まだ35歳でした



友人宛に書いた遺書・・・「ぼんやりとした不安・・・」

芥川賞とは?・・・「死後8年目にして作られた。優れた純文学が選ばれる賞」

ショックだったこと・・・「幼馴染の女の子がダイスキだったんです。だけど芥川家に反対されて結婚できませんでした・・・・」

友達・・・菊池寛・久米正雄

夏目漱石談・・・「彼の作品(鼻」はすばらしいよ!」

管理人からみた作風・・・「ひじょーーーに読みやすく、わかりやすい」

管理人お気に入り作品・・・「好色・藪の中・羅生門・鼻・蜘蛛の糸・・・・ってかどれも好き」

管理人のヒトリゴト・・・「この人の作品や手紙には哀しい言葉が散りばめられている・・」

数々の哀しい言葉

・人生は地獄よりも地獄的である
・何故生きてゆくのは苦しいか、何故苦しくとも、生きて行かなければならないか
・僕の母は狂人である
・死にたがっているよりも生きることに飽きているのです
・何の為にこいつも生れてきたのだろう?この娑婆苦の充ち満ちた世界へ
・周囲は醜い。自己も醜い。そしてそれを目のあたりに見て生きるのは苦しい



歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★★


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足利義政 あしかがよしまさ 1436年〜1490年
室町時代の八代将軍

長男がいたため、将軍になる子ではなかったためほっぽらかしにされ育った

が、長男が死んだためいきなり将軍にさせられる

そんな義政、政治能力まったくナシ

さらに遊び大好き

世の中は飢饉で大変だってのに、知らん顔で遊びまくり

奥さんの日野富子もほとほと愛想をつかしてた

将軍がこんなだから、跡継ぎ問題もトラブルをおこしまくり

で、とうとう家臣たちも加わった応仁の乱が勃発

戦いが始まっちゃったとゆーのに、まだ遊び足りなかったらしく、マイホーム「銀閣寺」を建てた

で、世の中は家臣がボスをやっつけていくという戦国の時代に突入してしまうのであった


趣 味・・・茶の湯・和歌・いけばな 「ボクちん、風流な男なんだ♪」

マイブーム・・・美術品集め 「ボクちん、ステキなものには目がないんだ」

マイドリーム・・・風流三昧の生活 「ボクちん、さっさと将軍やめたいんだ」

家出先の場所・・・銀閣寺 「奥さんの富子がうるちゃいんだもん」

嫌いなもの・・・政治 「ボクちん、難しいことわかんないんだもん」

好きだった人・・・お今 「ボクの初めての相手なんだ。だけど富子ちゃんに殺されちゃったんだ」

憧れの人・・・おじいちゃんの足利義満

悔しかったコト・・・「ボクちん、ほんとはおじいちゃんみたく金ピカな家(金閣寺)を建てたかったのにサ、富子がお金がないって言うんだ!で、銀になっちゃったんだ。ひどいよねっ」


歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★


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新井白石 あらい はくせき 1657年〜1725年

江戸時代の政治家・儒学者

父は上総久留里23000石藩主・土屋家に仕えているお目付け役

白石は幼い頃からとーっても賢い子供でした

勉強が好きで、眠くなれば水をかぶってまでも勉強!というほど

12歳頃になると藩主の手紙を代筆するまでに至りました

が、土屋家にお家騒動が勃発

父がそれに巻き込まれ「奉公構え」というほかの家に勤めることを禁止されるという罰を受けて放り出されてしまったのです

そして土屋家が改易となったため、奉公構えを守る必要がなくなり堀田正俊に仕えるようになりました
が、堀田正俊が稲葉正休に殺されてしまい、またも白石は放り出されたのです

とまぁ、子供時代は貧乏で苦労が多かった

そんな中、白石の書いた「山形紀行」が幕府儒官である木下順庵の目に止まりました

順庵は白石の才能を買い、師弟関係を結んだのです

そして順庵の推薦によって甲府藩主徳川綱豊に仕えることに

で、綱豊が家宣と改名し六代将軍に

白石はそのまま家宣についていき政治の最高顧問となったのです。

今まで学んだ全てを君臣一体となって発揮

家宣も白石をすごく信頼して「正徳の治」と称されました

白石は間部詮房とコンビを組み、猛烈な勢いで新政策を推し進めていったのでした

が、家宣が死に、次の将軍に家継がなると幕府内で険悪なムードが

徳川譜代の家臣らは、詮房と白石の偉そうな態度に腹を立て、職務をサボったり、出仕しなかったり

さらに家継が幼くして死んでしまい、8代将軍・吉宗となると、白石は用済みとなってしまいました


著 者・・・「折りたく紫の記」「読史余論」などなど多数

ワシがやったこと・・・正徳小判を作った「質がいいと有名なのじゃ」 将軍の権威を高めた 経費節減をした 幕府の儀式作法を整備した などなど

吉宗談・・・「俺さ、どっちかっつーと武を重んじるんだよ。白石みてーな文治政治するヤツ、苦手」

家継談・・・「ハクチェキ?んーーーっと、んーーーっと、んーーーっと・・・・・」

ニックネーム・・・火の子 「振袖火事の年に生まれたもんで」

柳沢吉保談・・・「フフ・・・あいつに大奥がまとめられるかな?」

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★


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安藤信正 あんどうのぶまさ 1819〜1871

幕末の老中

安藤家嫡男として生まれ、お父さんが死んだので家督を継ぎ老中に

老中になった途端、大先輩の井伊直弼が桜田門外の変で暗殺されちゃったので、いきなり最高権力者になる

討幕運動とか志士たちが何かとうるさい時期だったので、井伊直弼のやり方を否定して穏便に穏便にと動きまくった

朝廷と仲良くするために、天皇の妹・皇女和宮を14代将軍家茂と結婚させようと必死に頑張り、とうとう成功

が、これによって尊皇攘夷派から恨みを買い、殺されそうになる。これが坂下門外の変

その後、女性問題などの噂がささやかれ、老中をやめさせられるハメに

慶応4年になると、新政府軍が立ち上がってきたのでこれに応戦するが敗北

永蟄居となったが、のちに解かれました


目 標・・・「何が何でも公武合体」

苦手なもの・・・水戸藩

オールコック談・・・「驚キマシタ!!坂下門外デ襲撃サレタスグ後ニ会見ガアッタンデスガ、彼ハ包帯ヲグルグルマキニシテ会イニタンデス!!サムライネ!!」

匿名希望A・・・「あいつ、武士のくせに背中に傷を受けたんですよ。あぁ情けない」

匿名希望B・・・「あいつ、武士のくせにハリスと贈賄問題があるんですよ。あぁ情けない」

匿名希望C・・・「あいつ、かなり周囲から妬まれてましたよ」


歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★ 激動の時代の中、よく頑張った!


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阿部正弘 あべまさひろ 1819〜1857

大奥で大人気だった幕末のイケメン老中

阿部家の五男として生まれ、寺奉行になる

この頃、将軍の徳川家慶に「こいつ、できるかも」と目をつけられる

でもって、25歳で老中に大抜擢される

が、時代はペリーが黒船に乗ってきたりとてんやわんや

若い老中の正弘は毎日必死で仕事をし、過労死のため39歳で死んでしまった


マブダチ・・・島津斉彬

心残り・・・「じゅ・・・13代将軍は、ぜひ一ツ橋慶喜様に・・・」

大奥の女中A・・・「あーん。すてきぃ〜」

幕臣A・・・「なんか、みんなにいい顔するとゆーか、いまいち決断力にかけてる気がするんですよね」

譜代幕臣A・・・「外様大名のことを丁寧に扱いすぎるんですよ!!あんなヤツラ、ほっとけばいいんですよ!!」

江戸っ子A・・・「ペリーが来たことによって、色んな意見をワシらにまで聞いてきたんですよ?幕府のお偉いさんとあろうものが情けないこった」

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★


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有栖川宮吉子 ありすがわのみやよしこ 1804〜1893

最後の将軍、徳川慶喜のおかーさん

有栖川宮織仁親王の娘でもある

なぜか結婚が遅れてて、27歳の時にやっとこさ婚約が決まった

相手は徳川斉昭であります

で、斉昭との間に長男の慶篤と七男の慶喜ができた

斉昭が死ぬと、すぐに落飾

明治維新後は、若死にした長男慶篤のあとを継いだ昭武の世話をして90歳で死去した


自 慢・・・皇族出身なこと

ポリシー・・・公家風は貫きますわよ

お付A・・・「えぇえぇ、そりゃあもう中むつまじい夫婦でしたよ」

お付B・・・「あんな浮気者のダンナ様によくついていかれたと思いますわ」

お付C・・・「江戸に下ったというのに、いつまでも宮様とお呼びしないと怒るんですよねぇ・・・」

井伊直弼・・・「正直、とても苦手な女性でした。恐いんですよね」

慶喜談・・・「幼い頃養子に出されましたから、母の思い出は残念ながらあまりありません。僕のことを追討しに来たのは母の父(有栖川宮織仁)です。皮肉なものです。ですが、維新後はよく手紙をやりとりしておりました」


歴史メジャー度 ★

管理人お気に入り度 ★★


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有馬晴信 ありま はるのぶ 1576〜1612

戦国時代のキリシタン大名

お兄ちゃんが早死にしたため、家督を継ぐことに

家督を受けた頃はキリシタンなんて興味なしだったんだけど、ヴァリヤーノがあれこれ助言してくれたおかげで敵に勝てたことにより洗礼を受ける

以後は熱心なキリスト教徒になり、天正遺欧使節を派遣したりもした

朝鮮出兵の時は同じキリシタン大名仲間の小西行長の軍に属して、7年間朝鮮に

関ヶ原では西軍だったんだけど、負けたことを知るとすぐさま寝返って東軍につき、小西行長の居城を攻撃したためなんとかセーフ

が、岡本大八事件(詳しくは歴史の流れをみてね)で騙されてしまい、家康に怒られ資材となってしまった


俺のホントの名前・・・ドン・プロタジオ

恨み節・・・岡本大八め!!よくも・・・・

生きがい・・・キリスト教

特技・・・南蛮貿易 「儲かるんですよ。ウフ」

小西行長の兵・・・「いやいや驚きました。有馬の兵は2000人ほどしかいないのに、最新兵器ばかりなんですよ。これも南蛮貿易をしているおかげなんですかねぇ?」

キリシタンA・・・「有馬様の領地はパライソじゃ」

キリシタンB・・・「サタン秀吉めがキリスト教を禁止しましたが、有馬様はかくまってくれたのじゃ。ありがたやありがたや」

キリシタンC・・・「これはあまり言わないでくださいね!!実は、有馬様はイエズス会から申し出があると、少年少女を進物として贈るのです。ですから我々は子供を隠すのに大変だったのです・・・」


歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★


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秋山真之 あきやま さねゆき 1868〜1918

日露戦争の時の参謀役

四国の松山で生まれた真之は、上京して海軍兵学校に入り、トップで卒業

軍人としては有望株だった

明治30年にはアメリカへ行き、NO1戦略家と言われていたマハンのもとで学ぶ

でもって海軍大学の教官になる

日露戦争が始まると、連合艦隊の作戦参謀に任命された

ここで作戦参謀として大活躍し、日本を勝利に導く


親友・・・正岡子規

残念だったこと・・・帝大にいけなかったこと「家が貧乏だったので・・・」

大好物・・・煎り豆「いつもポケットにしのばせてます」

感謝してる人・・・司馬遼太郎 「坂之上の雲で主役になってから、とても有名になりました。それまでは無名に近かったんで(^^;)」

感謝してる人その2・・・お兄ちゃんの秋山好古 「家がびんぼーだったんで両親がボクを寺に出そうとしたんです。けど、兄が将来自分がお金を稼ぐから、頼むから弟を出さないでくれとお願いしてくれたんです。今のボクがいるのは兄のおかげです」

東郷平八郎談・・・「秋山の頭は水が湧くように智謀が湧いてくる」

坂本俊篤談・・・「彼は海洋大学の教授になるべきだ。海軍大学校の父といわれた私が言うのだから間違いない」

名セリフ・・・「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」

信じているもの・・・「日蓮宗」

むかついたこと・・・第二水雷戦隊司令官を命じられたこと 「正直、不服でした。むかつきました」

友人A談・・・「宗教にこだわっちゃってまいったよ〜。いつも勧誘されまくったよ」

友人B談・・・「彼は本当に頭がいい人でしたね。次から次へと色んな案が出てくるんです」

医者A談・・・「盲腸炎になりましてね、手術しなくちゃ治らないといってるのに信仰の力で治すと言い張りましてねぇ。手術も輸血もしないんで、本当に死んでしまいましたよ」


歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★


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秋山好古 あきやま よしふる 1859〜1930年

明治時代の軍人。秋山真之のお兄ちゃん

四国の松山で生まれ、師範学校を出て教師になるも、その後に陸軍士官学校→陸軍大学校に行くという変わったコースを歩む

大学卒業した時、旧藩主の息子についてフランスへ留学

このときに騎兵戦術を学ぶ

日露戦争に参加し、この時の「黒溝台会戦」でめっちゃ有名になり、日本騎兵の実力を世界にみせつけた

大正十二年に地元の中学校の校長先生に

この学校はヤンキーが多くて有名だったんだけど、秋山がそれを正していった


性格・・・実直・欲がない

容姿・・・体がでかい・鼻筋が通ってて日本人ぽくない・若い頃はかなりのイケメン

モットー・・・質素倹約!男子に美醜は無用!

嫌いなもの・・・お風呂

好きなもの・・・お酒

ヤンキー生徒A談・・・「校長自らが草むしりとかすんだよ。なんか悪くって」

ヤンキー生徒B談・・・「あのセンコーはビンデンブルグってあだ名なんだぜ」

日露戦争時の部下談・・・「いやいや、臭すぎですよ。お風呂入って欲しいですよ」

ドイツのメッケル談・・・「彼はホントに日本人??ヨーロッパ人ではないのか?」

フランス女性談・・・「あーん。ヨシフルかっこいいわぁ〜」

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★


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有村次左衛門  ありむらじざえもん 1838〜1860年

大老・井伊直弼を斬った人

薩摩藩士の四男として生まれるが、父がリストラされ超貧乏生活を送る

22歳の時に江戸へ行き、兄とともに「大老の井伊直弼はダメだ!!」と、過激派グループ「精忠組」を結成した

そして水戸の勇士らとともに密会を重ね、井伊直弼暗殺を計画

総指揮者の関鉄之助ら18人と井伊直弼の乗る駕籠を襲い、首を斬った

が、次左衛門も斬られ重傷を負い、逃げ切れないと悟ると自害した


桜田門外の変後の目撃者・石沢源四郎少年談・・・
「び・・・びっくりしました。外が騒がしかったので野次馬根性で見に行ったんです。母に止められたんですが、おもしろそうなのでちょっと歩いてみたら、大老を斬った後の有村らがいたんです!!
有村は皮の稽古胴を着ていました。どうやら重傷を負ったらしく、周りの仲間に首を斬ってくれとお願いしてたみたいです。
でも、誰もやらなかったので前にある雪をとって口に入れていました!!」

悔しかったこと・・・大老の首を持って帰ろうと思ったのに小川原秀之丈に追いかけられ斬られたこと


歴史メジャー度 ★

管理人お気に入り度 ★★


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井伊直弼 いいなおすけ
幕末の江戸幕府大老

彦根藩の14男で冷や飯食い。日の目を見ることはないだろ・・・と諦めかけの人生を送っており自分のマイホームに「埋木舎(うもれぎのや)」というネーミングまでつけてた

が、信じられないことに次々とオニーさんたちが死に、36歳にして彦根藩主となる

そしてあれよあれよと出世し、なんと江戸将軍と同じくらいの権力のある「大老」の座をゲット

ところで直弼には悩みがあった。なんとペリーが日本に開国を求めてきたのです

「開国・・・?鎖国・・・?どうする??」と悩んだ結果「このままじゃ日本は外国に攻められて家来の国になるかもしれん!そんなのになるくらいなら開国したほうがいいわい!」と、天皇の許可なしに日米修好通商条約を結んじゃった

コレに怒った幕末の志士達は「幕府め!天皇様の許可なしに勝手なことを!外人なんて殺せばいいんじゃ!」となり、幕府に反抗的に。

「ったく!こっちの苦労も知らないで!」と怒った直弼は、「安政の大獄」という、幕府に反抗するヤツラをリストラ・処刑しまくった

リストラされた人たちは、ブチ切れて井伊直弼を暗殺したのでした。これが「桜田門外の変」



性格・・・強気・まじめ・ひねくれ(幼少時代のトラウマ)

ポリシー・・・日本が外国の属国になることだけは避けるぞ!

嫌いな人・・・幕府に反抗する人全て。水戸藩や幕末の志士なぞなーんも政治がわかっとらん!死ねばいいんじゃ

親友・・・長野主膳

歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★★ 「あの時代はこうするしかなかったんでしょうね」

キャッチフレーズ・・・尊皇攘夷派の天敵



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井伊直政  いいなおまさ
戦国時代の武将

徳川家康の家臣で「徳川四天王」の1人。ちなみに一番若手

鷹狩に行ってた家康が、あまりの直政の美少年さに惚れこみ小姓に

つまりはホモ相手

小姓時代にメキメキと頭角を表し、家康のお気に入りに

とうとう「徳川四天王」の仲間入りをし、「赤備え」をプレゼントされる

井伊の赤備えは戦国時代恐れられるものとなった



あだ名・・・赤鬼

ポリシー・・・先陣はオレ

好きな言葉・・・死に物狂い

好きな人・・・家康!

外見・・・傷だらけ

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★ 

キャッチフレーズ・・・戦国時代の赤鬼



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伊能忠敬  いのうただたか
江戸時代(幕末)の人 日本で初めて「日本地図」を作った人

小さい時から勉強ダイスキ!だけど家が商売をやってたため勉強する暇ナシ

50歳すぎてからやっとダイスキな勉強に打ち込めるように

気になってたのが「測量」

ってことで、56歳過ぎてから「ワシ、測量したい。日本全国測量旅行に出かけたいからちょっくら行ってくる!」と、なんと幕府に「自分のポケマネ出すから、地図作らせて」と言って旅に出た

ただひたすら歩き、歩数で距離を測るという神業をやってのけた

この地図を見たイギリスの人が「こんな正確な地図を作れる日本人ってのは、よっぽど優れた民族に違いない」と言ったほど


性格・・・根気強い

趣味・・・地図作り

欲しいもの・・・時間

一言・・・「だって好きなんだもん」

歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★ 

キャッチフレーズ・・・地図の読める男



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伊藤博文  いとうひろぶみ

幕末〜明治に生きた「初代総理大臣」 昔の1000円札のじーさん

山口県出身。家は超貧乏で、12歳の時に奉公に出させられた

14歳ごろ、吉田松陰の松下村塾に入り、勉強。桂小五郎らとともに「尊皇攘夷」運動に熱をあげる

幕府が滅び、天皇中心の国となるも実際は薩摩藩・長州藩らの人たちが操ってた

ここで伊藤博文の運の強さを発揮!

なんと幕末を動かした坂本龍馬・高杉晋作・西郷隆盛・桂小五郎・大久保利通などがバンバンと死んでしまう。

すると時代を動かすのが伊藤博文となり、初代内閣総理大臣に任命される。ちなみに歴代総理大臣の中で一番若くして総理大臣になった(44歳)


ポリシー・・・いいとこどり・マメ

好きなもの・・・女!女!女!女!女は全てワシのもんじゃ!

思い出に残る女・・・「アレはビックリしたよ。なんとワシの大嫌いだった近藤勇の娘が芸者になっててサ。はぁー時代は変わったなと思ったねぇ」

人生を変えたきっかけ・・・井上馨と一緒に行ったアメリカ旅行「いやー、アメリカはすごいね!町中でキスしまくってるんだよ。恥ずかしくって見れなかったよ。ウフ」

歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★ 「なんかかわいくない」

キャッチフレーズ・・・幕末のプロサーファー




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今川義元  いまがわよしもと

戦国時代の名門生まれの武将

今川家は戦国時代初期、絶好調の家だった

あの徳川家康のいた松平家も今川家の家来みたいなもんで、家康はチビッコの頃、今川家の人質だった。

軍師である太源雪斎と二人三脚で今川家をビックにした

が、雪斎が死んでからストレスのためかブクブク太り、やばいことになってきた

「ここらで一発、今川家の士気を高めねば!」と、京都上洛を決意

京都に行く途中、邪魔くさかったのが織田信長のいる織田家

だけど織田家は小さい家だったのでナメてかかってた

連戦連勝で織田を打ち破り、桶狭間で休憩中のところを織田信長に奇襲され死んでしまった

これにより今川家は衰退の道をたどる



性格・・・京好み

趣味・・・お歯黒・薄化粧・京都グッズ集め

尊敬する人・・・太源雪斉

嫌いな人・・・信長!玄広恵探(お兄ちゃん)

ヒトコト・・・「くっそー!あの時(桶狭間)まったりしなければ・・・」

歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★ 「武将のくせにマロになりすぎ」

キャッチフレーズ・・・京都風命!



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今川氏真  いまがわうじざね

戦国時代の人

今川義元の嫡男

お父さんが桶狭間の戦いで織田信長に殺されたというのに、敵討ちをしようともしなかったお坊ちゃま

どうやら生まれた頃から大きなお屋敷で大きな国で育ったため、お坊ちゃま教育されてた

そのためお父さんが死んでから武田信玄や徳川家康などなど四方八方から攻められ

とうとう今川家は滅亡した



趣味・・・蹴鞠

将来の夢・・・Kリーグ(蹴鞠リーグ)を作ること

自慢・・・織田信長に蹴鞠がうまいって褒められたこと

武田信玄談・・・「いやぁ、あの時はさ、川中島で上杉謙信とバトルして疲れてたのよ。そこへ義元が死んだってのを聞いてさぁ。だるい謙信との勝負より、簡単な氏真のほうが疲れないジャン?だから攻め込んだまでよ。ハハハ。もーとり放題でさ(土地)楽だったぞい」


家臣談・・・「ほんとにお坊ちゃまにはホトホト呆れました。お父上が死んだというのに何一つ動こうともせず。しまいには攻められてるというのに「蹴鞠場を作ってくれ」とまでいうのです。はぁ・・・」

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★ 「情けなすぎる」

キャッチフレーズ・・・戦国のミッドフィルダー


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石田三成  いしだみつなり
戦国時代の人

幼い頃、お寺にいたところを気が利く少年だということで秀吉の小姓に

以後、頭脳明晰さを発揮し、秀吉の超お気に入りに

それがムカついたヤンキー加藤清正・福島正則らは三成と対立するように

秀吉が死んでからは目に見える三成イジメをスタート!

さらに家康も「あー、やっとうるさい秀吉が死んだわい」と羽を伸ばし始めた

生真面目三成は「太閤様の言うことを守らないヤツはこうだ!」とケンカをふっかけ、関ヶ原の戦いへと突き進んでいく

結果、関ヶ原にて石田三成は破れ、処刑されてしまうのでした



性格・・・まじめ・正義感強すぎ・頭良すぎ・不正が大嫌い

嫌いな人・・・徳川家康・加藤清正・福島正則・小早川秀秋・・・・たくさんいすぎる

好きな人・・・大谷吉継・小西行長・島左近・豊臣秀頼

尊敬する人・・・太閤様

特 技・・・お茶入れ

言われて嬉しいコトバ・・・若い頃の秀吉殿に似てますね

おもひで・・・吉継の膿入りの茶はうまかったぞよ

ヒトコト・・・暴力反対!!

歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★★ 「思いっきり判官びいき」

キャッチフレーズ・・・違いのわかる男(茶葉にこだわる男)


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幾松 いくまつ
幕末の芸者 桂小五郎の妻

本名は「松」

8歳の時に父が死に、貧乏生活に

母はちょうちん商人と再婚し、幾松は養女に出された

養女に出された先は、竹中カノという元芸者

そのため幾松は芸事を教わり、14歳でカノの芸名を継ぎ「幾松」と名乗る

幾松は美貌の芸者として「三本木の名花」といわれるほどになった

ある日、料亭吉田屋の接待の場で、桂小五郎と出会う

長州から出てきたばかりの田舎侍小五郎は、幾松の美しさにひとめぼれ

が、その頃の幾松には近江商人のパトロンがいた

それでも諦めきれない小五郎は、パシリの伊藤博文に「なんとかしろ!」とお願い

伊藤博文は「まじかよ・・・」と、しぶしぶ幾松を説得

ところが幾松もかなり小五郎のことを気にいっており、またこの頃、志士と付き合う芸者を「勤皇芸者」といい、ある意味芸者にとって「スティタス」だった

ということで、幾松はパトロンと別れ、桂小五郎の愛人となった

が、小五郎が命を狙われ乞食のフリをして三条河原に隠れ住むことに

ここに幾松は毎朝返送して握り飯を届けた

こうして2人は愛を育て、とうとう桂小五郎らは幕府を破ることに

桂小五郎は木戸孝允と名前を改め、幾松と結婚

幾松は「木戸松子」となり、上流階級の仲間入りとなった


外 見・・・美人

オモヒデ・・・「新撰組の方が小五郎様を追いかけてやってきたのです。わたくし、漬物樽の隙間に小五郎様を隠し、堂々と部屋にキセルを吸いながら座り込みました。すると新撰組の方々が小五郎を出せ!とやってきたのです。わたくし、お疑いなら押入れでもどこでもお探しや!とタンカをきりました。新撰組の方々は諦めて帰っていったのです。わたくし、小五郎の命の恩人でもありますのよ?オホホホ」

伊藤博文談・・・「いやー、まさか成功するとは・・・。やはりボクは交渉能力があるんでしょうかね。フフ」

芸者仲間A・・・「ったく!うまいことやったわよねあの女!」

芸者仲間B・・・「ったく!勤皇芸者NO1になりやがったわあの女!」

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★


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石川啄木 いしかわたくぼく 1886年〜1912年

詩人

岩手県生まれ

お父さんはお寺の住職だった

幼い頃から当時大流行していた「明星」がダイスキで、文学の道に進みたいとずっと思っていた

12歳の時に中学を退学し東京へ

与謝野晶子らと知り合うが、病気になり一度言家へ

が、お父さんが檀家さんとケンカしちゃってクビに。こうして啄木が大黒柱となり家族を支えることに

だけど文学への情熱は冷めておらず、働きながらも「あこがれ」という詩集を発行するもあまり売れなかった

また上京しチャンスをつかもうとするが、家が貧乏で大変でさらに結婚もし、さらにさらに作品も売れず、とうとう肺結核で26歳で死んでしまった

作品が売れたのは死んでからという気の毒な人生だった!?


有名な言葉・・・「働けど働けど なおわが暮らし楽にならざり じっと手を見る」←哀しい〜

外見・・・身長158センチ・体重45キロ

ヒミツ・・・実は女ダイスキ

悩み・・・妻と母の仲が悪いこと・借金がありすぎること

感謝する人・・・与謝野晶子・与謝野鉄幹

代表作・・・一握の砂・悲しき玩具

ヒトコト・・・「貧乏は嫌だ!!!」

歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★ 不幸な人だよなぁ・・・


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板垣信方 いたがき のぶかた ?〜1548年
戦国時代の武将 武田信玄の二十四将

信玄の父・信虎時代から使えていた

信虎はすごく凶悪な正確だったために、信方は嫌気がさし、嫡男である信玄を当主にするべく協力した
以来、信方は信玄にとって信頼のおける家臣となる

新当主となった信玄は、今までの蓄積した鬱憤を晴らすべく、女遊びや、詩作ばかりするように

すると信方が「信虎殿は非道で追放されました。が、新当主となった晴信(信玄のこと)様は好き勝手に遊んでばかり!信虎殿の何倍も悪大将である!腹ただしければ、この場でワシをお斬りください」と、決死の諫言

これにより信玄の態度は改まり、武田家は戦国の世に躍り出ることになるのであります

他に信方のやったことは、後に武田の軍師となる山本勘助を召抱えたこと

こうして板垣信方は、武田家臣の中でNO1となっていく

が、年をとると変わってきてしまった・・・

武名に傷がつくような失敗をたびたびするようになってきたのあります

トドメは、戦の後「御館様」しかやってはいけない褒美の与え方を部下にしてしまい、信玄に激怒される

名誉挽回と挑んだ信州上田原での村上義清とのバトルでは、先鋒として村上軍を破ったものの、すぐ近くで首実検を始めてしまった

そこへ体制を整えた村上勢が攻めてきたため、あえなく首をとられてしまったのであります



正確・・・頑固・忠義一筋

親友・・・甘利虎泰

頑張ったこと・・・詩作の勉強

山本勘助談・・・「すばらしいお方でした・・・」

幕末の板垣退助談・・・「僕の先祖はこの人の次男なんです!ジマンです!」

武田信玄談・・・「ヤツにはメンタルな部分でかなり支えてもらったというに・・・」


歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★★


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伊東甲太郎 いとう かしたろう 1835年〜1867年11月18日
幕末・新撰組の隊士 本名は鈴木大蔵

常陸出身で、水戸にて水戸学を学び、尊皇攘夷思想を持つ

そして江戸に出て、北辰一刀流の道場に入門し、そこの師である伊東誠一郎の一人娘・うめと結婚

この道場に新撰組の「藤堂平助」がいた

藤堂は、甲子太郎にほれ込み、新撰組に入るようお願い
局長の近藤勇も甲子太郎を気に入り、弟の三木三郎らとともに新撰組に入隊した

入隊してすぐに「参謀」という地位につき、近藤勇・土方歳三に継ぐ新撰組NO3となる

が、佐幕派(幕府命!)の新撰組と、尊皇攘夷(天皇命!)の甲子太郎は、だんだん考えが合わなくなってきた

新撰組は脱隊禁止だったため、御陵衛士(ごりょうえじ)という新しいチームを作ることに
そして、13人で新撰組を脱隊し、高台寺を本拠地として、尊皇攘夷派の志士達と交流を深めるように

が、尊皇攘夷派は天敵である「新撰組」の元メンバーなど信用できない
そこで甲子太郎は新撰組の近藤勇を殺すことで、信頼を得ようとするも、スパイである斉藤一がそれを近藤勇にバラす

それを知った近藤勇は「最近、俺達あんま話してないよね?そろそろ会わない?」と誘う

甲子太郎は近藤の妾の家へ行き、上機嫌で酒を飲み、帰った

そして帰り道、新撰組のメンバーに襲われ、殺されてしまったのであった


性格・・・マジメ・温厚

外見・・・すらっとした美男子

立場・・・温厚にして頭がいいため隊内で信頼されていた

名前の由来・・・干支が「甲子きね」だったので甲子太郎にした

御陵衛士のメンバーA談・・・「だから一人で行くなと言ったのに!伊東先生は、せっかくの近藤の好意を断るわけにはいかないとか言って、出かけちゃったんですよ!!!」

御陵衛士のメンバーB談・・・「よくもぉ!!!!この恨み、晴らさでおくべきか!!」

武田観柳斉談・・・「あいつが参謀としてやってきてから、このワシの立場は最悪ですよ!なんであんなヤサ男を連れてきたんですかぁっっ!かーーーーーっ!!!」

妻・うめ談・・・「だって私、寂しかったんです。だから、母が危篤という手紙を書いたんです。そうでもしなければあの人、戻ってきてくれないでしょ?そしたらすごく怒られました。そして離婚されちゃいました」


歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★★



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石川五右衛門  いしかわごえもん

戦国時代の大泥棒

狙った獲物は数知れず。とうとう豊臣秀吉のお宝を狙った

怒った秀吉は前田玄以らに五右衛門を捕まえることを命令

さすがに捕らえられ、釜茹での刑にされて死んじゃいました


職業・・・泥棒

履歴書・・・忍者出身 お偉いさんの奥さんを寝取ったため追放されちゃいました「いい女でした」

口グセ・・・絶景かな 「城の上から見る景色は最高です」

ラストセリフ・・・「念仏を頼みますぞ」

歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★ 「ルパン三世に出てくる五右衛門のほうが好き」

キャッチフレーズ・・・青春を絶景に賭けた男


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池田恒興 いけだ つねおき 1536〜1584年
戦国時代の武将

お父さんの池田恒利は、織田信秀に仕えていた

織田信長は赤ちゃんの時からギャースカとうるさい子で、乳母の乳首を噛み契りまくってた

が、恒興の母が乳母になったとたん、そのクセがぴたりとやんだ

そのため恒興は信長の遊び相手として育っていく

信長の弟・信行が、あまりにも信長がうつけなので、信長を殺し、自分が家督を継ごうとクーデターを起こした時、信長は「おい恒興!おまえ、信行殺してこいよ!」と言った

「イェッサー!」

恒興は、言われたとおり信行を殺した

さらに「おい恒興、おめー、信行の妻と結婚しろよ!」と言われた時も

「イェッサー!」

と、信行の妻と結婚した。とにかく信長の言うコトを何でもきいちゃう男だった

そんな大好きな信長が本能寺の変で明智光秀に殺された

ショック大の恒興は、秀吉とともに明智光秀を殺した

秀吉からの信頼も厚くなり、小牧・長久手の戦いにも参加

が、この時、討死してしまった

秀吉はとても悲しみ、恒興の息子、輝政に大垣城をプレゼントした


自慢・・・「僕ね、信長様から貰った裃(洋服)を着て、信秀様にご挨拶に行ったんです。そしたら、その裃のこと、すごく褒められたんです。その裃には蝶のマークが入っていたので、池田家の家紋を蝶にすることに決めたんです!」

信長談・・・「恒興?あいつはなーーーーんでもオレ様の言うことを聞いてくれるのさ」

家臣団の暴露話・・・「フン!かーちゃんのおっぱいで出世できたおっぱい大名のくせに!」

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★


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石川 数正 いしかわ かずまさ
戦国時代の武将 家康の側近中の側近

石川家は徳川家(松平)の家臣団の中でもトップクラスの家だった
そんな石川に生まれた数正は、家康が竹千代時代からずーっと家康の側にいた人だった

徳川四天王の酒井忠次とともに、徳川の両家老といわれていた

そんな数正が、なんと!秀吉と家康のケンカ「小牧・長久手の戦い」のあと、秀吉に寝返ってしまったのであります

なぜ家康を裏切り秀吉のもとに行ったのかは色んな説がありますが、家康にとってこの寝返りは大ショック!!

数正は秀吉のともとで10万石を貰ったけど、やはり「裏切り者」として周りからは冷たい目で見られた

徳川時代はめちゃくちゃいい任務をしてたのに、秀吉のトコでは全然重要な仕事をさせてもらえず、悲しみのまま死んだ



家康談・・・信じられぬ。あの数正が・・・

家康家臣談・・・あいつ、秀吉の肩ばっか持ってたよなー。まさかとは思ったけどホントに寝返ってたとはなぁー

新井白石談・・・まこと惜しむべき人なり・・・

徳川家臣談の変化・・・数正が軍事秘密を持ったまま秀吉のとこに寝返ったため、家康は今までの軍制を一掃し、武田信玄の真似をした。ってことで、ココで滅亡した武田の家臣をいっぱい採用した


歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★


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一休宗純 いっきゅうそうじゅん 1394年〜1481年

室町時代の僧

アニメでおなじみの一休さん

京都で生まれましたが、後小松天皇の隠し子という噂。ちなみに母親は藤原家の人

幸せになれなかった母の遺言で、6歳の時に出家

安国寺という臨済宗のお寺にはいりました

めっちゃ頭がよかったため、堕落した禅宗に怒りをおぼえ、自殺しようとするほど悩みました

悩んだ一休さんは寺を出て、宗曇という名僧に弟子入り

27歳で悟りを開き、「一休」という名前をさずけられました

それから70歳過ぎるまで、一つの寺にずーーーっといることはせず、他の人が行こうとしない田舎町や貧しい人たちが集まっている場所に教えを説き歩きました



好きな人・・・80歳の時に惚れた(惚れぬいた)森待者 「こやつは目が見えないんじゃが、とてもかわいいやつなのじゃ」

哀しかったこと・・・応仁の乱で世の中がめちゃくちゃになったこと

嫌いなもの・・・権力・ルール・常識

好きなもの・・・自由・ワシ流・へんなカッコ

クチグセ・・・「ご用心 ご用心」

バカくさいこと・・・「なんで坊主は肉食っちゃいかんのだ?なんで坊主は女を好きになっちゃいかんのじゃ?ったくよーー!くだらねぇ」

弟子たち談・・・「ほんと、まいりました。師匠が死ぬ時、本当に困ったことがあったらこの箱を開けろって言われたんです。で、亡くなってから数年後、僕たち、ほんとに困ったことが起きたんです。で、師匠の言葉を思い出してみんなでその箱を開けたんです。そしたら何があったと思います??丁寧に包んであったその箱には、ただ一枚紙切れがあって「なんとかなる」って書いてあるんです。僕たち、もう笑ってしまいましたよ」

歴史メジャー度 ★★★★★ なんといってもアニメになりましたから♪

管理人お気に入り度 ★★★★


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稲葉一鉄 いなば いってつ 1516〜1588

戦国時代の武将 別名 良通(よしみち)

美濃出身で、はじめは土肥家に仕え、お次は斎藤家に仕えた

でも斎藤龍興を見限って織田信長に寝返った

姉川の戦いでは織田方の勝利の功労者となり、信長の「長」の字を貰って「長通(ながみち)」と名乗っていいよ!と言われるも、一鉄は「この勝利は徳川のおかげ。わしの働きなんぞたいしたことない。自分に武勇があると言われるのは片腹痛いわ!」と言い切った

これによって周りの目を気にせず自分の考えを貫く頑固な人のことを「一鉄(徹)者」と言うように

でもってある日、「一鉄が謀反たくらんでますよ」と信長にチクル人が現れた

信長は「まじか!」と怒り、一鉄を殺そうと茶室へ招待

その時、一鉄は何食わぬ顔で茶席に座り、茶の間にある書幅を見てすらすらと漢詩を詠みはじめた

コレを見た信長は「あいつ、武勇だけじゃなく学問もできまくりじゃん」と感心し、殺すのをやめた

その後、秀吉が天下をとってからは秀吉に従い、戦国の世にしては珍しく73歳という天寿を全うした


性格・・・ガンコ

前歴・・・美濃三人衆

自慢・・・「信長殿に仕えた20年、80回の合戦に出ましたが一度も負けたことがありません」

うんざりしたこと・・・龍興がバカなこと

すきな言葉・・・虚堂智愚 「コレを知ってたおかげで命が延びました」


歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★★


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岩瀬忠震 いわせ ただなり 1818〜1861年

幕末の外交官

旗本の家に生まれ、おりこうさんだったので老中の阿部正弘に見出される

応接掛と海防掛を兼任し、海軍伝習所に力を入れたりと大忙し

井伊直弼に命じられ、日米修交通商条約の交渉も行った

でもって日本人で初めての海外研修にも行った

が、将軍継嗣問題で一ツ橋慶喜をプッシュしたことから、大老の井伊直弼に怒られ失脚!

せっかくの才能を使いこなせず44歳で死んでしまった


ポリシー・・・「目指せ!開国!」

井伊直弼談・・・「慶喜さえ応援しなければ!!日本国家のための大事な部下だったのに!!」

エルギン卿談・・・「彼ハ、私ガ日本デ出アッタ中デ、一番愛想ガ良ク、教養ノアッタ人デシタ」

島崎藤村談・・・「彼は幕府の中で一番賢いと思います」

福地桜痴談・・・「彼は幕末三傑の一人ですね!他の2人は水野忠徳・小栗忠順ですな」

同期連中・・・「あいつ、異例の出世だよな・・・・。」

苦手な人・・・ハリス「だって、うるさいんですよ」

ショックだったこと・・・「いきなりのリストラ」


歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★★


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上杉謙信  うえすぎけんしん
戦国時代の大名

越後出身。ほんとは当主になるはずじゃなかったので、お坊さん修行してた。正直「いらない子」だった

だけどオニーちゃんが死んじゃってなぜか跡取りに。みんな「坊主のガキに何が出来るっつーんじゃ?」のナメまくってたが、才能があったのかあれよあれよという間に武名を轟かせる

ハンパじゃない強さだったけど、領地を広げようとはあんまり思わなかった

川中島の戦いではライバル・武田信玄と5回もバトルするも決着はつかず。そのうち信玄が「謙信のトコ狙うより、別のトコ狙ったほうがいいや」ってことで、うやむやに

最後は「最近織田信長チョーシこいてんな。足利将軍も信長どうにかしてよってうるさいから、京都に上洛してやるか」と、京都上洛を決意するも、トイレで倒れた

どうやら酒の飲みすぎだったらしい。後継ぎを決めてなかったため、死後謙信の養子2人は壮絶なバトルをするようになる


性格・・・義に厚い・挑まれたらやるが、自分からはあまり攻撃しない・頼られたらイヤと言えない

好きなもの・・・酒!酒!酒!酒!酒!酒!酒!

ポリシー・・・結婚はしない

座右の銘・・・敵に塩を送る 酒は飲んでも飲まれるな

嫌いな奴・・・武田信玄

アコガレの人・・・毘沙門天

秘密・・・ホモ

歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★★ 「かっこよすぎです!」

キャッチフレーズ・・・NOと言えない戦国人


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上杉景勝  うえすぎかげかつ
戦国時代の大名

上杉謙信の養子。

謙信が後継ぎを決めずトイレで倒れ死んじゃったので、もう1人の養子・景虎と壮絶なバトル「御館の乱」を繰り広げる

結果、景勝が勝利し、新当主に

が、秀吉に狙われ服従。その後五大老の1人となる

秀吉が死んだ後、同じ五大老の1人、家康が景勝をやっつけようとしたので、景勝はやる気マンマンに

が、関ヶ原にて西軍が1日で負けてしまったため、東北でいつまでも抵抗しててもダメダなこりゃ・・・ってことで、家康に謝って何とか許してもらえたけど、所領が減らされた

おかげで徳川の世「江戸幕府」になってからは貧乏藩の代名詞に


性格・・・寡黙・余計なことは言わんし、言うな・

親友・・・直江兼続

嫌いな奴・・・景虎・徳川家康・最上義光・伊達政宗

家臣談・・・「景勝様?そりゃあもう怖い人でしたよ。なんせ喋らないんですよ!うちらだけですよー、江戸城に行く時モクモクとただひたすら歩いてるの。笑った顔なんて見たことないですよ。あっ、でもね、一度景勝様が笑ったの見たことあるんですよ!猿がね、家来のまねしたんですよー。そしたらクスっと笑ったんです。いやー。笑った顔が怖い人なんて初めてですよ!」

歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★★ 「かっこいいんですよー!」

キャッチフレーズ・・・笑わせたら100万両


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上杉鷹山 うえすぎようざん
江戸時代の米沢藩主

この頃の上杉家は財政難・不作・洪水とまさに風前のともし火。借金だらけの貧乏藩でしたが、名門ゆえのプライドがあり生活レベルを落とせず、最終的にはには破産宣告するほど

そこで飛び出してきたのが優秀といわれていた若干17歳の鷹山

「経費削減」をつきとおし、なんと米沢藩は黒字藩になることに成功したのでした


性格・・・まじめ・まじめ・まじめ

ポリシー・・・節約!節約!節約!一汁一菜!


義父談・・・「いやービックリしましたよ!彼はワシの娘と結婚したんですけどね、ワシ、実は娘と会ったことなかったんですよー。で、娘にあったらビックリ!ちょっと身体的に障害がある娘だったんですよ。鷹山クンは一言もそんなこと言わずにいたんです。いやあー、いい若者ですよ」

ケネディ大統領談・・・「こないだね日本人に尊敬する日本人はいますか?って聞かれてねぇ。上杉鷹山って答えたら、逆に日本人の方々が誰?ソレ?って感じだったねー。WAHAHAHAHA」

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★ 

キャッチフレーズ・・・財政ならまかせろ


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宇喜田秀家  うきたひでいえ
戦国時代の大名

宇喜田家の嫡男として生まれたお坊ちゃま

秀吉に気に入られ、前田利家の娘と結婚。ラブラブだった

さらに若いくせに「五大老」のメンバーに抜擢されウッキウキ♪

が、ダイスキなおじちゃんの秀吉が死に、徳川家康がエラソーにし始めると「なんだよ!あのタヌキオヤジ」とムカつきはじめる

そこを石田三成が「一緒に家康やっつけませんか?」と相談

「OK!まかせときな!」とノリノリで副大将に

関ヶ原の戦いでは、一番の主力としてバトルしまくったが、小早川秀秋の裏切りによりあえなく退却

熱い男・秀家は「秀秋を殺してオレも死ぬ!」と怒りをあらわにしたが、家臣に止められた

その後は、前田利家の娘と結婚してるということで死罪を免れ八丈島に流された

死んだのは江戸幕府 三代将軍・家光の時代

すごく切ない老人となった


性格・・・義理堅い・熱い

口癖・・・「若いからってなめるなよ」

好きな人・・・豪姫

嫌いな人・・・小早川秀秋!「あいつって、秀吉殿にあれだけ世話になっておきながら、よくあんなことできるよな」

感謝してる人・・・前田家の方々

ヒトコト・・・八丈島は寂しいところです

歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★★ 「やっぱりこういうドラマのある人は好きです」

キャッチフレーズ・・・熱すぎた男 



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梅田雲浜 うめだ うんぴん 1815〜1859

幕末の人

小浜藩士の次男として生まれ、成績優秀に育つ

で、大津に湖南塾を開くんだけど、めっちゃめちゃビンボー

奥さんもできて子供も生まれたんだけど、2畳間で親子三人ギューギュー詰めで暮らしてた

それでも夫婦仲が良かった

が、奥さんが死んでしまい、新たに後妻を迎えるんだけど、この後妻の実家がお金持ちだったので、資金援助してくれた

これを元手に長州藩に行ってブローカー業をスタート

これがめっちゃ儲かって、材木・薬・塩・呉服といったものを扱いまくる

この頃から「攘夷」と「将軍は慶喜がいい」といったスピリッツを持ち、この運動に対して経済的な援助をするように

また、尊皇攘夷を求める志士たちの精神的なリーダーとなり、幕府の政治を批判しまくった

これが時の大老・井伊直弼にチェックされ、安政の大獄によって捕らえられる

捕らえられてからは激しい拷問にあうんだけど、「攘夷の大儀を知るのみ」とだけ言い、ついに死んでしまった

性格・・・温厚

嫌いな人・・・井伊直弼・長野主膳

お世話になった人・・・上原立斎先生

ショックだったこと・・・最初の妻が死んだこと

プラスになったこと・・・猛烈な貧乏生活

隣人談・・・「毎日毎日訪問客ばかりで、酒宴だらけでした。贅沢すぎて見てて腹が立ちますよ」

歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★


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宇喜多直家 うきた なおいえ 1529〜1581

戦国時代の大名

宇喜多家は、もともとは浦上家の家臣だったんだけど、おじーちゃんが浦上家内の騒動に巻き込まれ没落

直家はめっちゃビンボーな子供時代を送ってた

で、やっとこさ浦上家に戻ってきていいよ!と言われ、直家は頑張って働きまくる

そして浦上家に謀反を企ててる人をやっつけたため、南備前をゲットし、ここらあたりから「俺、独立したいな」と思うように

そんな直家が次に狙ったのは難攻不落の龍ノ口城。しかもココの城主はめっちゃ強い

まったく勝てない直家だったんだけど、龍ノ口城の城主が「男色」とゆー情報をキャッチすると、家臣から美初年を選んで送り込み、暗殺させる

龍ノ口城をゲットしてからとゆーもの、ガンガンと支配を強めてくんだけど、ここで出てきたのが主家の浦上家

「家臣のくせに生意気!」と怒り、とうとう浦上家VS宇喜多家のバトルに

ここで直家は毛利家に「ちょっと助けてよね」とお願いし、浦上家は織田信長に「ちょっと手助けしてよ」とお願い

でもってちょーど豊臣秀吉が中国攻めにやってきて宇喜多家をやっつけよーとした

直家は「こりゃヤバイな。仕方ないから毛利を捨てて織田につくか」と、さっさかと毛利を裏切った

でもって秀吉が天下ゲットすると、息子の秀家を養子に送る

こーして宇喜多家は生き残り成功となった


特技・・・謀略・暗殺

趣味・・・のっとり

好きな言葉・・・下克上

尊敬する人・・・おかんとおじい

目障りな人・・・毛利元就・浦上宗景

家臣A談・・・「え?直家様ですか?そーですねぇ、誉めると色んな物くれますよ」

家臣B談・・・「なんというか、その・・・関わる人みんな不幸になりますよ」

豊臣秀吉談・・・「あやつの妻は美人だったにゃ〜」

心配事・・・自分が死んだ後、家臣が殉死してくれるかなぁ??

言いたいこと・・・梟雄とでも何とでも言えばいいさ


歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★★


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上杉憲実 うえすぎ のりざね 1410〜1466

室町時代の武将

越後で生まれ関東管領の上杉憲基(山内上杉氏)の養子となり鎌倉へ行く

10歳の時に憲基が死んでしまったので関東管領に就任する

6代目将軍・足利義教の時に、憲実の上司である関東公方の足利持氏が「なんでワシが将軍後継ぎになれなかったんだよ!」とブーブー怒り、兵を率いていこうとしたのを憲実がなんとか止めた

が、将軍義教をやっつけたる派の足利持氏と、まぁまぁ、穏便にやりましょうよ派の憲実との間が険悪ムードになってしまう

で、とうとうバトル勃発!これが永享の乱

これは憲実が勝つんだけど、憲実は足利持氏の助命を将軍・義教にお願いするとゆー優しさ

だけど義教はそれを許さず、殺すよう命令したのでした

この後すぐに憲実は隠居するも将軍義教が暗殺されるとゆー事件が

将軍家から出陣命令が出るんだけど、憲実はそれを拒否

この後諸国を旅しつつ57歳で死去した


言いたいこと・・・余計な権力は争いの種です。そんなものいりません

ショックだったこと・・・息子の憲忠が関東公方になったこと 「あれほど権力に固持するなと言ったのに」

嫌いな一族・・・関東公方の足利家

苦手な人・・・将軍・義教

評 価・・・人望が厚い

後悔していること・・・「理由はどうであれ、主君の足利持氏殿を自害に追い込んでしまうとは・・・」

頑張ったこと・・・足利学校を再興したこと

趣 味・・・勉強 「儒学は大好きです」


歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★★★


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榎本武揚 えのもとたけあき
幕末〜明治の人

江戸生まれ。伊能忠敬の測量の旅を手伝ったり、ジョン万次郎の私塾で勉強したりしてました。

徳川幕府で働くようになり長崎の海軍伝習所で勉強し、その後はオランダへ四年半留学。そして海戦の知識を身につけ、さぁこれからエリートとしてバリバリ徳川株式会社で花開くぞ!と思ったのもつかの間、時代は激動

大政奉還・鳥羽伏見の戦い・江戸開城・戊辰戦争とあれよあれよという間に徳川株式会社は倒産の道へ

義理人情に厚い榎本サンは、「徳川を守るぞ!」と、新撰組の土方歳三とともに北海道の五稜郭へ

が、軍艦が沈没したりとトラブル続き

もーダメだってことで、死を覚悟しましたが、榎本サンのあまりの優秀さに「殺すのは惜しい」と、なんと敵側からヘッドハンティングされちゃいました

で、新政府の高官に取り立てられ外交手腕を発揮し、晩年は幸せに暮らしました

やはり優秀な人は違いますねぇ



性格・・・正義感あり・勉強ダイスキ・マジメ・謙虚

宝物・・・開陽丸 「沈んだ時は、土方さんと一緒に泣きました」

お助けマン・・・黒田清隆

蝦夷の人々談・・・「榎本?最低な男です!榎本ブヨめ!」

マイ・ドリーム・・・「ラテンアメリカへの領土拡大」

ヒトコト・・・ワタシは徳川株式会社を裏切ったわけではありません。不景気だったので仕方なかったのです

歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★



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江川太郎左衛門 えがわたろうざえもん 1801〜1855年

江戸時代のお代官様

伊豆の韮山で幕府代官の世襲をしていた江川家に生まれた

34歳で代官職を受け継ぎ、農民のために色々と貢献しまくった

幕府の老中・阿部正弘は「あいつ、なかなかやるな」とチェックし、太郎左衛門を抜擢★

阿部老中は鳥居耀蔵を送り込むんだけど、ここで太郎左衛門と対立

どーやら西洋嫌いの鳥居耀蔵とはあわなかったらしい

で、太郎左衛門は高島秋帆の門人となり、兵学や法学を学ぶ

そして小銃の製造に成功し、幕府から大砲を作っていいよという許可をゲット

ペリー率いる黒船軍団がやってくると、太郎左衛門は幕府の海防会議に加わり、お台場を作った

翌年、韮山にあの有名な反射炉を製造!(めっちゃかっこいいよーー!)

が、完成する前に55歳で死んでしまった


自 慢・・・日本で初めてパンを作った

恩 人・・・水野忠邦「鳥居耀蔵のせいで失脚しかけた時、助けてくれたんです」

嫌いな人・・・鳥居耀蔵「あの方は何なんでしょう?まったくもって時勢がわかってませんね」

残念だったこと・・・反射炉の完成を見る前に死んだこと

ジョン万次郎談・・・「ミーは通訳の仕事をしてた時出会いました!彼はとってもいい上司でしたネ!」


歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★★

キャッチフレーズ・・・世直し江川大明神

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織田信長 おだのぶなが
戦国時代の大名

尾張の小国生まれ 若い時は変わり者で、ヤンキー仲間・前田利家らとともに歌舞伎まくってた

乱暴モノだったため、重臣の柴田勝家らに嫌われ、むかついたので弟を殺した

出世のきっかけは桶狭間の戦いで今川義元を殺したこと これにより運が開けた

が、あまりにもえばりくさってたため、家臣の明智光秀に本能寺で殺された

ラストゼリフは「是非に及ばす」



性 格・・・残虐・自分に逆らうヤツは殺す!・1を言って10をやるヤツがスキ・南蛮モノ大好き・友達がいない

ポリシー・・・天下布武 武力で天下をゲットする・とにかく逆らうヤツは殺す!!

口 癖・・・殺すぞ?・いいからオレ様の言うことを聞け・オレ様に意見を言うな!・オレ様に足を向けるな

お気に入り・・・森蘭丸・ビロードのハット・幸若舞敦盛

趣 味・・・明智光秀イジメ

苦手な人・・・武田信玄・上杉謙信 「信玄が死んだ時はマジ嬉しかったぜ!」

嫌いなモノ・・・くそ坊主ども

気分が良かったこと・・・比叡山延暦寺焼き討ち

歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★★ 「天才!!!」

キャッチフレーズ・・・日本一の殺人鬼



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大久保利通  おおくぼとしみち
幕末〜明治時代に生きた人

薩摩藩出身 下級武士だったが、仲良しの西郷隆盛とともに薩摩藩主島津斉彬を支える

その後、島津斉彬が死に、新当主が久光になったがみんな久光に反発

が、大久保利通だけはうまい手をつかって近づいた。

そして倒幕運動に参加し、薩摩藩は長州藩とともに日本の中心の座をゲット

もちろん大久保利通もエリートになりつつあったが、ココで悩みが

親友・西郷隆盛とだんだん意見が合わなくなり、とうとう西南戦争が勃発!

大久保利通は西郷隆盛を討つことになった

最後は自分も49歳の時に暗殺されてしまうが、フツー日本人ってのは「非業な最後を遂げた人は生前ナニをやってても許す」という「滅びの美学」がスキだけど、この人に限ってはなぜかない

お気の毒なくらい人気のない政治家



大久保利通ワード・・・「維新の三傑」「廃藩置県」「版籍奉還」「西南戦争」

元・親友・・・西郷隆盛

性 格・・・口ベタ・志はデカイのに、どーもわかりにくい行動なため好かれない・現実派

ヒトコト・・・「ワシには高い高い目的があったのに、だーーーーれもワシのことをわかってくれん。」

カルチャーショック・・・アメリカ・ヨーロッパ視察

お気に入り・・・葉巻

サツマ人A ・・・「あの人は最低でごわす」

島津久光談・・・「あれ?ワシのこと将軍にしてくれんじゃないの?」

大隈重信談・・・「最初は張り合ってましたけどね。途中で膝を屈しましたよ。そのほうが得ですから」

中江兆民談・・・「すごい人ですよ!なんていうか気遣いがハンパじゃないです。わかりにくいですけどね」

江藤新平談・・・「ええ!大嫌いですとも!!」

歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★★ 実は意外と好き


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大谷吉継  おおたによしつぐ
戦国時代の武将

出生は???

秀吉の家臣となり「百万の兵を持たせて戦わせてみたい」といわれるほどの軍略家

が、ハンセン病を患っており、悪化しまくり

そんな時、親友の石田三成が「家康をやっつけよう!」と言い出し、関ヶ原の合戦へ

そこで西軍一の果敢な戦いを繰り広げるも最後は自刃した

大谷吉継のインタビューはココ


好きな人・・・石田三成

嫌いなこと・・・お茶会

ポリシー・・・男とは、義に厚く生きるべし

願い・・・この病気を治してくれ

歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★★ 「かっこいいです!!」

キャッチフレーズ・・・友情優先


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大友宗麟 おおとも そうりん 1530年〜1587年
戦国時代の大名

大友家の長男として生まれたが、お父さんに嫌われてた

どうやらお父さんは、大好きな側室の息子・塩市丸を溺愛し、後継者にしたかったらしい

ムムっと怒った宗麟や重臣たちは、なんと側室&塩市丸を惨殺し、さらにお父さんも殺しちゃうというド派手なクーデター「大友二階崩れ」という事件を起こし、宗麟は新当主となった

が、宗麟はわがままなお坊ちゃま

さらにかなりの女好き

軍師である立花道雪が何度も注意してもなおんなかった

トドメは家臣の一万田親見の大好きな奥さん(超美人)を無理やり「ワシにくれ!」と奪い、大喧嘩!

ムカツイた宗麟は、なんと一万田親見を殺しちゃった

これに怒ったのが親見のお兄ちゃんである高橋鑑種

宗麟に反旗を翻し、そこに謀略のプロ毛利元就もからみ、さらに島津・龍造寺など九州の強敵に狙われ大友家はボロボロになっていく

ボロボロになるトドメの事件は島津VS大友の「耳川の戦い」

前線で兵達が頑張って戦っているのに、大将の宗麟は遠く離れたトコで「勝てますように♪」とイエス様にお祈り

これにて兵の士気は下がりまくり

とうとう大友家は衰退しまくるが、秀吉に助けられ何とか一国だけは安堵された


ニックネーム・・・ドン・フランシスコ

好きなもの・・・女!女!女!美人は全てオレ様のもの

苦手な人・・・立花道雪 「だってアイツ、説教するにも手がこんでんだもん」

ポリシー 「イエス様を信じていればいいコトあるよ?だって、新兵器くれるもん。あの人たち」

頑張ったこと・・・「ローマに少年使節団を送ったんだから!イエス様のためなんだから!」

嫌いな人・・・塩市丸「あいつ弟のくせに生意気だよ!あと、九州の大名達全員嫌い!息子もちょっとむかつくしさ」

フランシスコ・ザビエル談・・・「ソーリン、イイヒトネ!キョウカイモタタセテクレタヨ!ダカライロンナモノプレゼントシテアゲタネ!」

歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★


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織田信孝 おだのぶたか 1558年〜1583年

戦国時代の武将 織田信長の三男

信長の三男ということになってるが、本当は次男

というのも、信孝の母は身分が低かったため出生届けが遅れた

そのため20日遅く生まれた信雄が次男になってしまった

ちなみに信雄の母は、生駒吉乃という信長お気に入りの女性

ということで、信孝は「ほんとはオレが次男なのに!」という思いが強く、信雄が大嫌いなまま成長する

時代は過ぎ、信長にとって伊勢・志摩を制圧するのに邪魔だったのが神戸(かんべ)氏

神戸氏の当主に息子がいないので、信長は信孝を神戸氏の養子に送り込んだ

こうして神戸信孝となったが、いつまでも「いつか信雄を超えてやる!」という野望は捨てなかった

そんな時本能寺の変が勃発

「お父さんが殺されたの!?」と、ビックリの信孝

よーし!俺がお父さんの仇を討ってやる!と張り切るも、なぜか主導権を秀吉に奪われてた

こうしてお父さんの仇である明智光秀を討った信孝(主導権は秀吉)

「お父さんの弔い合戦に参加したんだから、次の当主はオレ様!」と思っていたのに、なぜか秀吉がプッシュした三法師が新当主になっちゃった

信孝、むかつきまくりで秀吉に反抗しまくった

さらに秀吉と仲の悪くなってきた柴田勝家とつるむも、勝家が秀吉に殺されちゃったので、仕方なく秀吉に降参

秀吉は自分が信孝を殺したら主君の息子を殺すことになっちゃうので、ライバルである次男の信雄に「信孝を自害させて」と命令

信孝が嫌いな信雄は二つ返事でOK

信孝を自害に追いこみ、とうとう信孝は26歳で死んでしまったのでした


ムカつく人・・・信雄!信雄!信雄!秀吉!

むかつくこと・・・世の中全てムカつく

声を大にしていいたいこと・・・「オレ、次男!織田家の次男!」

最大の屈辱・・・「信雄に自害を命令されたこと」

むかついた事件・・・馬揃えの時 「長男・信忠の馬は80騎 信雄は30騎 そしてこのオレ様はたった10騎!どうゆーことだよ!」

歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★ 「気の毒」



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織田信雄 おだのぶかつ 1558年〜1630年
戦国時代の武将 織田信長の次男

信長の三男は信孝だが、実は信雄より信孝の方が20日間早く生まれていた

が、信雄の母が生駒吉乃という信雄の母より身分の高い女性だったため、信雄を次男にしちゃった

そのため、次男信雄と三男信孝はめちゃくちゃ仲が悪くなっていく

その後信雄は北畠家へ養子に行くが、ここで「いっちょお父さんにイイトコ見せてやりたい!」と、思い、信長にナイショで勝手に伊賀攻めをした

が、ボロ負け

信長は激怒して「もう親子の縁を切ってやる!」とまで言った

そうこうしているうちにお父さんの信長が本能寺の変で死んじゃった

信長後継者争いで、秀吉推薦の三法師が選ばれ、それに怒った柴田勝家と秀吉がバトルをおっぱじめる

戦いは秀吉が勝ち、柴田勝家は自刃

さらに柴田勝家に味方した三男・信孝を殺すことができてウッキウキ

これでオレ様の時代到来だぜ!と思ったが、うまいことやって出てきた秀吉がすでにイイトコ取りしまくり

「なんだよアイツ!オレのオヤジの草履取りだったくせによ!」とムカついた信雄は、なんとお父さん信長の同盟者だった徳川家康に「秀吉どうにかしてよ!」と相談

秀吉のことを快く思っていなかった家康は「よし、まかせろ!」と、小牧・長久手の戦いが始まる

ここで家康が勝ちそうになったんだけど、焦った秀吉が得意の人たらし作戦にでる

なんと信雄に「ごめんって!機嫌なおして!」とごますり作戦

気をよくした信雄は、家康にナイショで勝手に仲直り

それを後で知った家康は呆れまくった

こうして信雄は秀吉にうまーーーく利用されまくる人生を送るが、いつまでも殿様気分が抜けず、秀吉に追放されてしまった

信雄は信長時代の栄光が忘れられない悲しい人生を送ったのでした



嫌いな人・・・人生の前半は信孝 後半は秀吉

聞くとムカつく言葉・・・「太閤様」

悔しかったこと・・・「オレって秀吉よりエライはずだよね?なのに秀吉の御伽衆をやらされるなんて!」

感謝してる人・・・家康 「このオレを秀忠の後見人にしてくれると言ってくれたんです。優しい人です」

信長談・・・「ワシの息子はバカばっかじゃ!」

歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★

キャッチフレーズ 「ホントの敵がわかってなかった男」


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沖田総司 おきた そうじ 1842年6月1日〜1868年5月30日
幕末 新撰組のメンバー

9歳の頃から試衛館道場に住み込み、19歳で免許皆伝という天才剣士

近藤勇に従って京都へ行き、新撰組にメンバーになる

池田屋事件では、大活躍するも、斬りあっているうちに血を吐く

どうやら結核だったらしい

その後は、新撰組のメンバーとともに戦いたいと願いつつも、体が言うことをきかず、鳥羽・伏見の戦いでは寝たきり状態に

そしてとうとう、千駄ヶ谷の植木職人の離れの家で最後を迎えた



性格・・・明るい・子供好き

好きな人・・・近藤先生

特技・・・三段突き

女性関係・・・一度、京都の医者の娘と相思相愛になりました。が、近藤先生に反対され、諦めました

自慢・・・剣の腕は誰にも負けません

ちょっとビビったこと・・・芹沢鴨暗殺の時、鼻の下をちょっと斬られてしまいました

トラウマ・・・昔、女性をフったら自殺未遂されたこと

悔しいこと・・・誰にもいいたくないんですが、近藤先生の養子になりたかったんです・・・

好きな遊び・・・鬼ごっこ

腹が立つこと・・・自分の病気

病気の世話役談・・・「総司さんは最後まで近藤先生の安否を気遣ってました。処刑されたなんて口が裂けてもいえませんでした」

ショックだったこと・・・黒猫を斬れなかったこと

歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★

キャッチフレーズ 「散った天才剣士」



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小野小町 おののこまち
平安時代の美女

世界三大美女と言われてる小野小町。

といっても、世界三大美女に小野小町を入れてるのは日本人だけらしい

出生は不明

自分が世話してた惟喬親王が皇太子になれなかった頃から田舎に移り住んだと言われてます

また、「あまりにも美しいので肖像画として絵に描けない」と言われたため、後姿の絵が多いらしい

平安時代初期の代表的な女流歌人で、数多くの男性から求愛されたんだけど、一生独身のまま過ごした

中でも小野小町に熱心だったのは四位深草少将

小野小町が「100日私のとこに通ってくれたらあなたと結婚するわ」

と言うと、深草少将は100日目に死んじゃったらしい

が、これはホントの話じゃないみたい。

死んだのは92歳ごろと言われてる謎の美女でした。

代表的な歌は

花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに.

思いつつ 寝ればや人の 見えつらん 夢と知りせば 醒めざらましを


外 見・・・絵にもかけないくらい美人

哀しいホンネ・・・「花の命は短いのです。私のこの美しさも過去のものです」

歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★



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大久保長安 おおくぼながやす 1545〜1613年
江戸時代の鉱山奉行

猿学師の子として生まれ、武田家に仕えていた

武田滅亡後、徳川に使え大久保忠隣(おおくぼただちか)の家臣となり、大久保姓を貰う

金山の採掘能力に優れており、家康からも信任されまくる

が、どうやら裏金を取っていたらしく、生活が豪華に

鉱山観察に行く時にも、250人ほどの美女を連れて行ったらしい

ちなみに、江戸からのびる街道を整備したのもこの人

ということで、豪華で贅沢な生活を満喫した長安心は天寿を全うした

が、この後大変なことが起きる

ちょうどこの頃、徳川家の家臣内で大久保忠隣VS本多正信がバトルをしていた

本多正信は、「大久保長安が裏金を取りまくっていた!」と暴露

これに連座し、大久保忠隣は失脚となる

さらに長安の一族もメタメタに

本人が一番ラッキーな人生を送ることとなった


性 格・・・贅沢スキ

大久保家談・・・「ったく、あいつのせいで大久保家は大変なことになったじゃねーか!!」

本多正信談・・・「うしし」

功 績・・・一里塚を作ったこと「江戸庶民は大喜びですぞ」

歴史メジャー度  ★★★

管理人お気に入り度 ★★


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お龍 おりょう 1841年〜
幕末の女性 坂本龍馬の妻

医者である楢崎将作(ならさきしょうさく)の長女として生まれた

が、父が安政の大獄に連座し捕まってしまい、そのまま獄中で死んでしまう

一家は貧乏になる

苦労したためお龍は気の強い性格に

ある日妹2人が遊郭に売り飛ばされるという事件が!その時お龍は売人の家に乗り込み「妹を帰せこんにゃろう!あ?殺す気か?あん?殺してみろや!オラ!」とタンカをきり、売人もビビって妹を返すほどの気の強さだった

そんな中、坂本龍馬と出会う

龍馬はお龍を気に入り、自分の宿にしている寺田屋にお龍を預けた

1866年、寺田屋に坂本龍馬を捕まえに来た奉行所の役人がやってきた

気配を感じたお龍は、ちょうどお風呂に入っており、裸のまま龍馬&三吉慎蔵の元に行き「逃げて!」と叫んだ

こうしてお龍は龍馬らの命の恩人となる

そしてとうとう2人は結婚

日本で初めての新婚旅行に出かけるも、この後すぐ坂本龍馬が暗殺されてしまう

龍馬の死後、お龍は土佐の坂本家へ行く

が、ちょっといただけで出て行ってしまった

どうやら龍馬の姉・乙女と気が合わなかったらしく、ケンカ別れしたらしい

ところが、龍馬のお仲間は誰もお龍に援助の手をさしのべなかった

もともとお龍は志士仲間から嫌われていたらしい

こうして生活に困るようになったお龍は横須賀へ行き、呉服商人と結婚

が、性格が悪くなり夫は非常に困ったという


性 格・・・あまり言いたくないが悪い

志士A・・・「龍馬の奥さん?あぁ、あの人さ、いっつも寺田屋で龍馬を助けたことばーーーーーーーっか自慢するんだよね。何回聞かされたかわかんないよ」

乙女姉さん談・・・「あんな生意気な女見たことないわ!出て行ったとき、すぐ籍を抜いてやったわよ!」

新夫談・・・「お龍は酒癖が悪くって・・・。それにいつも元ダンナの自慢ばっかなんですよねぇ」

歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★ 「なんか晩年気の毒だよね」


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小野妹子 おののいもこ  ?〜7世紀はじめ
飛鳥時代の人

皇族出身で、優秀だったため取り立てられ、遣隋使に抜擢された

聖徳太子から隋の皇帝・煬帝(ようだい)に手紙もってって!と頼まれ中国へ

聖徳太子の手紙の内容は「日出づる処の天子・・・・」というもの

内容は「はーい!おれっち太陽が昇る国のエライ人!あんた太陽が沈む国の偉い人!そこんとこ夜露死苦!ところで、元気なの?」というもの

煬帝はこの手紙を見てめちゃくちゃ怒った

「ふざけんなや!小さい国のくせになんで俺が太陽が沈む国なんじゃあ!ナメとんのか!」と、悪口をたんまり書いた手紙を妹子に渡した

妹子は「やっべー!こんな手紙聖徳太子に見せられないよ・・・」と、思い、聖徳太子に「すんません。失くしました」とウソついた

もちろん怒られたけど、なぜか遣隋使をやめさせられることはなかった




声を大にして言いたいこと・・・「わしは男だ!イモコって名前だけで女と決め付けるなぁ!」

ホンネ・・・「ほんとは遣隋使なんてやりたくないっすよ!この時代はねぇ、難破なんて当たり前で、死ぬ覚悟で隋に行くんですよ!」

歴史メジャー度 ★★★★(名前だけはインパクトがあるはず)

管理人お気に入り度 ★★


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於大の方 おだいのかた  1528年〜1602年
戦国時代の女性 徳川家康の生母

刈谷の水野忠政の娘

14歳で松平広忠(家康の父)と結婚し、竹千代(家康)を出産する
が、於大の兄が今川義元から織田信秀に寝返っちゃった為に大変なことに

この頃、松平家は今川の援助が無ければ生きていけないほど弱っちい家だったので、於大は松平家から離婚されてしまう

その後、久松俊勝という人と結婚

そんな中、自分の生んだ竹千代(家康)が今川家の人質となったニュースを聞く

於大はわが子が心配で、洋服や食べ物を送り続けた

成長した竹千代と会うことができたのは1560年

16年ぶりの再会に泣いて喜び、その後も家康の幸せを祈り続け75歳で死んだ



ダンナ広忠談・・・「ぶっちゃけ、ワシ、於大のこと好きでした。離婚したくなかったです」

家康談・・・「母上はいっつもワシが苦労しないよう、色んな物を送ってくれておりました。尊敬する母でございます」

松平家の家臣談・・・「お若いのに、非常によくできたお方でありました・・・。離縁なされた時は、家臣一同悲しみました」

広忠の側室談・・・「あの小娘がやってきたおがげでアタシの立場は悪くなる一方だったわ!出てってくれてせいせいしたわよ!!!」

嬉しかったこと・・・「竹千代があんなに出世するなんて・・・」


歴史メジャー度 ★★★ (名前を言われても?だが、なんといっても家康の生母)

管理人お気に入り度 ★★★★


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お市の方 おいちのかた  1547年〜1583年
戦国時代の絶世の美女!?織田信長の妹

お市の方への歴史人物インタビューあります

通説では信長の13歳年下と言われています

どうやらすごい美人だったらしく、信長の政略の切り札としてとっておかれました

また信長もお市のことをとっても気に入っていたらしい

そんなお市の結婚相手は浅井長政

信長のお気に入り武将であります

こうしてお市の方は長政と結婚し、茶々(後の淀君)と、お初・お江与の戦国三姉妹を出産

政略結婚でありながら、この夫婦はとっても仲が良かったが、大事件が起きてしまう

信長が朝倉家を討つべく挙兵したのであります

実は浅井長政は、お市と結婚する時に「ぼくんちは朝倉家には恩があるので、朝倉家のことは絶対攻めないでくださいね」と信長にお願いしていた

それを信長はシカトして朝倉家を攻めたのであります

困ったのは浅井長政

「義理の兄をとるか?それとも恩のある朝倉家をとるか?」

こうして悩んだ末の決断は織田信長を裏切るということ

この時、お市は兄への陣中見舞いとして小豆を入れた袋の両端を縛って送った

「袋の鼠ですよ」という意味であります

お市のメッセージを受け取った信長は、長政の裏切りを知り命からがら岐阜へ戻った

その後、信長は浅井家を攻める

小谷城にいたお市は、長政とともに死のうとするが、長政が「浅井家の血を絶やすな。逃げてくれ」とお願い

こうしてお市は小谷城を脱出したのであります

さて、戻ってきたお市に信長は新たな縁談を持ってきました

それが重臣NO1の柴田勝家

お市LOVEの豊臣秀吉はめちゃくちゃ悲しがったが、お市は柴田勝家と結婚することに

が、またも大事件!今度は織田信長が本能寺の変で明智光秀に殺されちゃった

そして明智光秀を「主君の仇!」と討ち取ったのが秀吉。そのため秀吉の力が織家内で強くなり、とうとう柴田勝家と秀吉がケンカ!

が、柴田勝家が負けてしまった

城に戻ってきた勝家は死を覚悟し、酒宴を開く。お市に逃げろと言ったが、お市は戦国の女らしく勝家とともに死ぬことを選んだのでありました



浅井長政談・・・「お市は賢く、美人で、とってもステキな女性でした」

豊臣秀吉談・・・「お市様は永遠のマドンナです!!結婚できないのなら、娘を頂きます。ウキー!」

死んでも嫌だったこと・・・「サルの側室になること」

ショックだったことその1・・・「長政殿がお兄様を裏切ったこと・・・」

ショックだったことその2・・・「サルが小谷城を攻めてきたこと」

ショックだったことその3・・・「勝家殿がサルに負けたこと」

常日頃ムカついていたこと・・・「サルがこのワタクシをじろじろ見ることでございますわ!」

とにかく嫌なもの・・・「サル!サル!サル!」

尊敬する人・・・「お兄様」

歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★


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黄梅院 おうばいいん・こうばいいん 1543年〜
戦国時代の女性 武田信玄の娘 俗名は不明

武田信玄と正室・三条の方との間に生まれた娘

信玄が23歳の時の初めての子供で、かなり可愛がられて育った

12歳の時に北条氏康と武田信玄の同盟のための駒にされる

政略結婚のお相手は氏康の嫡男である氏政(のちの北条家四代目当主)

こうして黄梅院は北条家へ

だけど案外夫婦仲はうまくいっており、7人の子供(2人は死産)を出産

長男は五代目当主となる氏直

こうして平和な生活をしていたが、なんと武田信玄が三国同盟を破って侵略してきた

怒った氏康は、黄梅院と氏政を離婚させ、甲斐の国へ戻してしまった

黄梅院はショックで、甲斐に戻ってから半年ほどで死んでしまうのでありました



夫・氏政談・・・「ワシ、別れたくなかったのに・・・。パパには逆らえんかった・・・」

舅・氏康談・・・「武田の娘なんぞ、磔にしてやりたかったくらいじゃ!生きて戻してやっただけでもありがたく思え!!」

息子・氏直談・・・「ママン・・・」

北条家の領民・・・「いやー、さすが武田の姫ですな。輿入れの時の行列ったらアンタ、すごいもんでしたよ」


歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★


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大海人皇子 おおあまのおうじ
飛鳥時代の人 のちの天武天皇

中大兄皇子(天智天皇)の弟として、兄を支え続けた人

前半生はイマイチ不明

奥さんの額田王をお兄ちゃんに取られても、それでもお兄ちゃんを支え続けた

もちろん大海人皇子は「お兄ちゃん、次はボクを天皇にしてくれるんだろうな♪」と思ってた

が、お兄ちゃんの方は天智天皇になった頃から、実の息子の大友皇子に天皇の座を譲りたくなってきた

こーして兄・弟の仲は険悪ムードに

ある日お兄ちゃんは弟を呼び「おまえ、天皇になりたい?」と聞いた

弟は「ううん。ボク、なりたくない!ボク、吉野に隠居する!」と言い、吉野へひっこんだ

安心したお兄ちゃんは、よしよし・・・と死んでいった

が!お兄ちゃんが死んだ瞬間、弟の大海人皇子は立ち上がった!

そしてなんと大友皇子をぶっ殺しちゃった

これが壬申の乱

こーして天皇の座をゲットした大海人皇子

武力で天皇の座をゲットしたので「天武天皇」と言われるようになった



天武天皇がやったこと・・・八色(やくさ)の姓(かばね)・日本書紀や古事記の元になった本づくり

願い事・・・息子達に仲良くしてほしい・・・

有名な奥さん・・・持統天皇(ちなみに天智天皇の娘)

嫌いな人・・・おにいちゃん「ひどいよ!ボク、すごい尽くしてきたのに!奥さんだってあげたのに」

忘れられない人・・・額田王





歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★


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太田道灌 おおた どうかん 1432年〜1486年
戦国初期の人

関東の名族の扇ガ谷上杉氏に仕えていた重臣・太田資清の息子

小さい頃から頭がめちゃめちゃ良く、家督を継ぐと江戸城を築城した

将軍や天皇に会った時も、武将ながら和歌や漢詩を披露し、文化人としても一目置かれた

そんな道灌の主家である扇が谷上杉は、関東管領の山内上杉と仲が悪かった

山内上杉の当主・顕定は、「道灌、賢すぎてヤバイな。あいつどうにかしなくちゃ」と焦り始める

ってことで顕定は、扇が谷の当主に「おたくの道灌、主家のっとりを狙ってるよ」と嘘を言った

それを信じた扇が谷の当主は、道灌を呼び寄せた

で、お風呂に入ってる時に、道灌を殺害!

道灌の最後の言葉は有名な「当家滅亡!!」

意味は「自分を殺すようでは、扇が谷上杉は滅びる!」というものであーる

ちなみに、ほんとにすぐ滅びた



性 格・・・温和・野望ナシ

特 技・・・和歌 「だけど一度失敗しました。あの山吹の少女はどこにいったのでしょう・・・」

ホンネ・・・いや、ほんっとに謀反の心なんてコレっぽっちもなかったのに・・・。馬鹿当主ですよ!

扇ヶ谷上杉家家臣・・・ふふふ。あいつの賢さには実は嫉妬してました。邪魔者が消えてせいせいですよ

父・資清談・・・幼い頃からホントに賢い子であった。あーいえばこーいうヤツであった

曾我兵庫談・・・ボク、道灌を暗殺しました。当家滅亡!と叫ばれた時は、かなりビビりましたよ

主君・定正談・・・殺しちゃった!殺しちゃった!だっだいじょうぶかな?おれんち・・・。でもでも、道灌ってホント頭よくってさ、ボク、不安だったんだよ。ほんとに乗っ取られるんじゃないかって!

山内上杉家談・・・うっしっし。これで邪魔者がいなくなった。わーはーはー。馬鹿な主君を持つと苦労するのー。わーはーは


歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★★


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大岡忠相 おおおかただすけ 1677〜1751年

江戸時代のスーパー裁判官

旗本の四男として江戸で生まれた忠相

26歳の時に初めて書院番士という役職につき、以後は順調に出世

36歳の時に伊勢山田で部長を務めました

この時、山田とお隣の松坂でたびたび争いが

松坂は御三家の紀州の領内だったんで悪いことしても見逃されることが多かったんだけど、忠相は「それはいけない」と、厳しく処罰

これを知った八代将軍吉宗が、41歳の忠相を江戸奉行に抜擢したのです

異例の出世に周囲はビックリ

吉宗は将軍の権威を高め政治を立て直していくには、自分の手足となり働いてくれる有能な部下が必要だったんですね〜

江戸南町奉行になった忠相は権力を恐れない公平な裁判をしまくりました

江戸末期に書かれた「大岡政談」という本によって、胸のすくような名裁判ぶりを書かれました

ですが殆どが作り話で、他の奉行が名裁判をしたとしても全て大岡忠相のお手柄となってしまっているそーです

といっても、大岡忠相が優れた奉行(裁判官)であったことは間違いなく、20年の間に裁いた件数は25万6200件

1日平均36件裁いてたことになります


性格・・・まじめ・几帳面

江戸庶民の声A・・・「火事が多いってんで、いろは四十七組っつー火消しチームを作ってくれたんだよ。助かるねぇ」
江戸庶民の声B・・・「どうやらサツマイモの青木昆陽さんを将軍に紹介したのも忠相さんらしいよ」
江戸庶民の声C・・・「厳しいだけじゃねぇんだよ!芝居とかもほとんど許可してくれたんでぇ!」
江戸庶民の声D・・・「庶民の気持ちをよく分かってくれてるお奉行さんでぇ」

秘密・・・実はお役所仲間からイジメられていた

嬉しかったこと・・・一万石もらったこと

自 慢・・・「毎年、オレの墓がある茅ヶ崎市でオレの祭りがあること(大岡祭)」

歴史メジャー度 ★★★★★ ドラマになってるし

管理人お気に入り度 ★★★


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大村純忠 おおむら すみただ 1533〜1587

戦国時代のキリシタン大名

有馬晴純の次男として島原で生まれ、大村純前(すみあき)の養子に

大村家には妾の子供・貴明がいたんだけど、純忠が養子に来たため追い出される

貴明はこのことで一生純忠を恨みまくる

大村家はちっちゃい大名だったんだけど、純忠がポルトガルと南蛮貿易を始めたためメキメキとでかくなっていく

でもってポルトガル人に横瀬浦を開港し、キリスト教が急速に広まった

キリシタン大名として有名になっていくんだけど、お隣の龍造寺家からめっちゃ狙われ、子供4人のうち3人を人質にとられる

が、豊臣秀吉の九州征伐の時、秀吉に従ったため本領を安堵されました

55歳の時に肺結核で死亡

ラッキーだったのは、バテレン追放令の前に死ねたこと

後を継いだ純忠の息子と孫は二代続いてキリスト教を迫害した


嫌いな人・・・龍造寺家の人々

自 慢・・・日本で初めて港を開いたのはこのオレ

目 標・・・全領民をキリスト教に改宗すること

ライバル・貴明談・・・「だって俺、大村家継ぐはずだったんスよ?アイツのせいで追い出されたんスよ?
むかつくからあいつがポルトガル人と貿易してる港を焼き払ってやりましたよ!フフ」

領民A・・・「ええ。出て行きましたとも。こんなところにいられませんよ。純忠様の息子である喜前(よしあき)様は3歳で洗礼を受けておきながらイエズス会と断交したんですよ。信じられません」

ポルトガル人談・・・「スミタダハ トテモ モウケサシテクレル オトノサマネ!!」

宣教師談・・・「スミタダハ トテモ キキワケノヨイ オトノサマネ!!」

歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★

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大山巌 おおやま いわお 1842〜1916年

明治時代の軍人

薩摩藩の下級武士に生まれる

あの西郷隆盛のイトコなので、小さな頃から西郷どんにアレコレ教わって育つ

西南戦争では幕府側につき、ガンガン出世していく

伊藤博文が内閣総理大臣になった時に陸軍大臣となり、それから山県有朋と西郷従道とともに、日本初の「元帥」に

日露戦争が始まると満州軍総司令官(NO1の座)となり、自分が育てた陸軍を引率した


ニックネーム・・・ガマガエル

趣味・・・食べること「ビフテキとワインが大好きです」

好きな人・・・奥さんの捨松

好きな時間・・・奥さんとすごす時間

好きなもの・・・西洋文化

マイ・ハウス・・・西洋のお城のよーなお家

悲しかったこと・・・西南戦争で大恩のある西郷隆盛と争ったこと

マブダチ・・・西郷従道

悩み・・・糖尿病

老後の生活・・・栃木県に農場を買って、ゆったり過ごした

自慢・・・ルイ・ヴィトンの日本初の顧客になったこと


歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★

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織田長益 おだ ながます 1547〜1621年

戦国時代の武将・織田信長の実の弟・別名 有楽斎

織田信長のお父さんは12人の男の子がいて、長益は11番目

信長とはかなり歳が離れてるので、小さい頃は何をやってたかは不明

とりあえず織田信長の長男・信忠の下にいたらしい

で、本能寺の変の時には信忠と一緒に二条御所にいた

この時、信忠は自害するんだけど長益は脱出

その後は甥っ子の織田信雄に仕え、秀吉が天下を取ってからは御伽衆の一員に

ちなみにお兄ちゃんの信長をはじめ、一族が次々に死んでいき、「織田家」はどんどん無力化していくんだけど、大名として生き残ったのは長益だけ

「織田の後継者になれ」という声もあったんだけど、どうやら血なまぐさいことが好きじゃなかったらしい

秀吉の御伽衆の一人でいいです・・・と、剃髪し「有楽斎」と名乗る


性格・・・ビビリ

嫌いなもの・・・合戦

好きなこと・・・茶道 「利休七哲になりました♪」

茶道の先生・・・平手政秀 「小さい頃から手ほどきを受けていたんです」

奥さん・・・平手政秀の末娘 「平手家の茶道具一式貰っちゃいました♪」

自慢・・・「ボクの江戸屋敷があった場所は、ボクの名前をとって有楽町となりました!数寄屋橋はボクの茶室があったところです」

頑張ったこと・・・大阪の陣でのスパイ活動

いいたいこと・・・「なんだかんだ言って、織田で大名として残ったのはボクだけですからね!」

本能寺の変の時の町民らソング・・・織田の源五は人ではないよ♪ お腹召せ召せ 召させておいて われは安土へ逃げるは源五 むつき二日に大水出て おた(織田)の原なる名を流す♪

最後にヒトコト・・・「有楽流をヨロシクね」


歴史メジャー度 ★★ どっちかっていうと有楽町のほうが有名(笑)

管理人お気に入り度 ★★★★ よく頑張った(^^;)

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小野友五郎 おの ともごろう 1817〜1898

笠間藩士の三男として生まれる

和算・算学を勉強し幕府天文方として働く

測量と航海術もばっちしで、オランダ語もできたので、老中の阿部正弘から「長崎の海軍伝習所に入学しなさい」と言われ、測量術をばっちし学ぶ

で、江戸に戻って築地の軍艦操縦所の先生に

そして日米修好通商条約の使節として勝海舟とともに咸臨丸に乗り込む

この時一緒に乗ってたアメリカのブルック大尉は「小野ブラボー!」と、小野の測量術を誉めまくり

その後は徳川慶喜に仕え、榎本武揚とともに大阪城の財宝を江戸に持ち帰ったりと、地味だけどあらゆるトコに出没している

で、幕府が負けちゃって牢獄に入れられるんだけど出獄を許可され自宅謹慎してるんだけど、優秀なので新政府から「先生になってよ」とお願いされる

新政府では大久保利通に天文台を設置してよ!などなど、意見を出したりしている

なんせ地味だけど、ちょこちょことポイントの場面に出現しているとゆー人

その後、82歳まで生きた


得意なもの・・・数学

勝海舟談・・・「あ?一緒に咸臨丸に乗ったけどさ、帰国後ヤツだけ将軍家茂と謁見したんだよ。俺は呼ばれなかったっつーのによ!!」

ブルック大尉・・・「彼ノ技術ハ素晴ラシイ!ソノ点、勝海舟トイウ男ハ最悪デシタネ」

旧幕臣仲間・・・「けっ!アイツは新政府に魂を売った男さ!!」

笹間藩主・牧野談・・・「いやー、わが藩士が将軍様に謁見できるとは!素晴らしい!!特別ボーナスを与えようぞ!!」

新政府談・・・「いや〜どうしても彼の才能を埋もらせるのは惜しい!!海軍に誘いまくりましたが、全然OKしてくれないんですよ。口説き落とすのが本当に大変でした」


歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★★ 

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緒方洪庵 おがた こうあん 1810〜1863年

備中藩士の三男として生まれる

お父さんと一緒に大阪に出て蘭学をお勉強し、江戸・長崎でも勉強

その後、大阪に適塾を開くと、続々と門下生がやってきた

めっちゃ評判がよく、適塾で学んだ弟子は3000人と言われている

また、種痘(天然痘・当時はめっちゃ恐ろしい病気だった)の予防を研究して、幕府もそれを公認した

幕府は洪庵をめっちゃ欲しがり、奥医師兼西洋医学所頭取として江戸へ迎えた

そして江戸で54歳で死んだ


性格・・・穏やか

代表的な功績・・・種痘研究

医療への思い・・・「蘭学医だけではなく、漢方医も行います。それぞれいい箇所だけを取り入れます」

適塾の門弟・・・大鳥圭介¥橋本左内・福沢諭吉・大村益次郎高松凌雲・佐野常民などなど

適塾門弟A談・・・「先生は全然怒らないんです。とても優しいんです」

適塾門弟B談・・・「先生は貧乏人にもとても優しいんです」

門弟・福沢諭吉談・・・「ボクが適塾にいる時、腸チフスになってしまったんです。先生はとても手厚く看病してくれたんです」


歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★★ 

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