性と愛の日本史


         


古代史の性愛と風俗

古代日本の教科書が教えない性と愛がらみの出来事アレコレ

一晩に七回!絶倫雄略天皇

21代目の雄略天皇は残酷・豪快で有名なお人であります
そんな雄略天皇は奥様が3人のほか、美人大好きなので毎晩とっかえひっかえ
でもって、女性側がNOとお断りすると殺しちゃうというすごさ

そんな雄略天皇が童女という女性と一晩過ごしました
すると童女に女児誕生!
が、雄略天皇「アレは俺の子じゃねーよ」と知らんぷり
家臣「なんでですか?」
雄略「だって一晩やっただけだぜ」
家臣「ちなみに・・・何回ほど?」
雄略「あ?7回だけど何か?」
家臣「・・・・。たぶん貴方様の子供だと思います・・・」

ということで、雄略天皇はその女児を自分の子供として認めたのでした

雄略天皇はコチラでも紹介してます
聖徳太子の最愛の女性はナンパでゲット

聖徳太子は4人の女性と結婚しとりますが、どーやら膳部苔岐岐美郎女(かしわべのほききみのいらつめ)という女性のことが一番好きだった

出会いは聖徳太子が27歳の時
神社に行った時にナンパしたのであります
この女性の家は斑鳩にあったので、聖徳太子は斑鳩にお引越し

でもって、この女性が死んだ二日後に聖徳太子も斑鳩にて死亡

そのため、心中説とか他殺説・愛人説など、聖徳太子の死には多くの疑問が残っているのでした

中大兄皇子の花嫁が盗まれちゃった!!

中大兄皇子(のちの天智天皇)は石川麻呂の娘と結婚することに
が!なんと前日に花嫁が盗まれてしまいました!
困った石川麻呂は中臣鎌足に相談し、どーじよーーと二人でオロオロ

そこへ妹の遠智姫が「大丈夫!!ワタシが身代わりになります!」といって、そのまんま花嫁に

中大兄皇子はというと、もともと顔も知らない女性だったので、何も疑わず初夜を迎えました

のちに「実は身代わりだったんです」って告白したんだけど、その頃になると中大兄皇子は身代わりの妹をとても気に入ってたので、何事もなくすみました

采女と密通して自害した男

采女(うねめ)とゆーのは、地方豪族のお金持ちが天皇に対して服従します〜という意味をこめて、13歳から20代後半の自分の娘や姉・妹を天皇に差し出すというもの

女官のようなものですが、今と違うのは夜のお相手もさせられちゃいます
で、その采女が皇女や皇子を産むってこともあるので、天皇以外の男性とは絶対エッチしちゃいけなかった

ところが、時の天皇は推古天皇(女性)
とゆーことで、采女たちには相手がいないため、ちょっとづつ乱れ始めてきた
で、とうとう采女と密通したという三輪という男性が現れちゃいました

が、三輪はビビっちゃって、自ら首を刺して自害してしまったのでした

「ケンカはやめてぇ」で死んじゃった女性

摂津の国にめっちゃ美女がいました
この美女を我が物にしたいと、二人の男が求婚
とうとう「決闘じゃあ!!」となってしまいました

「ワタシ、そんな修羅場みたくない・・・」と、なんとその美女は自殺してしまったのであります

二人の男は「彼女がいない人生なんて耐えられない!!」と、なんと二人とも後追い自殺してしまいました

山上憶良が愚痴る「金さえありゃ、女も寄ってくるのによ〜」

貧窮問答歌で有名な憶良
ちゃちゃっとハガクレなりにその内容をまとめてみました

「才能があると出世できるって大宝律令に書いてあったからさ、俺、めっちゃ頑張ったよ。
そしてとうとう遣唐使に選ばれたんだ!すげえだろ?
帰ってきてからもどんどん出世してさぁ。
それに俺って、歌の才能もあるわけ。だから長屋王とかとも仲良しなんだぜ。
でさ、俺が歌った歌はすげえ絶賛されるんだ。

けどさ・・・・どーせ俺はいっくら頑張ってもダメってことがわかったんだ
これだけ有名になったってのに、しょせん従五位なんだよ
なぜって?俺の生まれが悪いからさ
唐の最先端の知識を持ってるこの俺でさえ、従五位までしかいけないんだぜ?
もともとの生まれがよくないってだけでさ
生まれつきの身分で、馬鹿なくせにいいもん着て、いいもん食って、いい女囲ってよぉ
俺なんて家族を養っていくのに必死だってのによ!!
大宝律令の時代になってもしょせん昔とかわんねーよ」

わたしさえいなければ・・・・美女が入水自殺

下総に手児名(てごな)という絶世の美女がいました
貧乏だったので、身なりは貧しかったんですが、その美貌を隠すことはできないくらい

もうモッテモテで、手児名をめぐって男達のバトルが絶えませんでした

そんな様子をみた手児名は「この身さえなければ、争うことはないのね」と、自ら入水自殺してしまったのでした

女官の愛用グッズ「張形」

張形というのは、男性器をかたどった木製の器具
現代でいうとバイブのようなものです

これがなんと!平城京の跡地から出てきたのであります

使われていた素材は独活蔓(うどかずら)という、近畿地方に生えている木
木目が硬く細かいので、磨くと表面はつやつやになるらしい

この張形が見つかったのは平安京跡地の大膳寮という場所
ココは宮中のお台所のようなトコで、何人もの采女(あんまりお金持ちじゃない人の独身の娘のこと)がお食事の支度をしてたとこ
もちろん男子禁制

ここで欲求がたまった女性同士で、アレコレと繰り広げられていたんですね〜

親子揃って精力家!景行天皇とその息子

12代目の景行天皇は、身長3メートル以上あるといわれているスゴイ人(汗)

そんな景行天皇はかなりの精力家で、21人の妻と愛人を持ち、80人以上の子供を産ませた人であります

ある日、兄比売(えひめ)弟比売(おとひめ)という超美人姉妹がいるという噂を聞いた景行天皇
「俺の后にする!でも天皇自らが行くのもカッコ悪いよな。息子に連れてこさせよっと」

ということで、息子の大碓命(おおうすのみこと)に、姉妹を連れて来るよう命令
が、大碓命も美人姉妹を見てヒトメボレ
なんと二人とエッチしちゃって、子供まで産ませちゃいました

「やっべー。パパに怒られる」と困った大碓命は、身代わりの女性2人を用意し、お父さんの元へ

ところがお父さん、この偽者二人に手をつけなかった
どうやら偽者ってことがバレたみたいなんだけど、大碓命のことを怒らなかった
似たもの親子だから、美人を見るとついつい手が出ちゃう気持ちがわかったのかな

中臣鎌足はお下がりがお好き?

中臣鎌足といえば「藤原の祖」と言われ、大化の改新の立役者
そんな鎌足は孝徳天皇から愛人を貰いうけ、でもって中大兄皇子(天智天皇)からも愛人を貰い受けた

中大兄皇子から貰った愛人は妊娠していて、「男だったら鎌足が育て、女だったら戻してもらう」というのが条件

で、生まれたのは男の子
これが後の藤原不比等(大宝律令を作った藤原氏の大ボス)となるわけであります







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