明治39年 1906年

 



明治39年 1906年 年表
ここらでちょっと知っとこう★韓国について

この時代の韓国は現在の韓国とは違います

朝鮮全域の国名で、大韓帝国ともいいます

日清戦争で日本が勝利し、朝鮮を清国から独立させ、日本の支配下に置こうとしましたがロシアからストップがかかり、今回の日露戦争によって日本は韓国を完全な属国としたのです

いちおう「保護国」となったんですが、もちろん韓国内では反対運動が起きました

今じゃ考えられないけど、自分達の国の意見なんて関係なく、強い国同士が勝手に「この国はあんたの支配下ね。うちはこっちをもらうから」みたいな条約が交わされちゃってますもんねぇ

日本も列強と同じように、韓国を支配において植民地としていこうとするわけです

で、太平洋戦争の時のGHQのように、日本も自分達の国から軍とかを派遣していくんですねー

韓国はというと、いろんな国に密使を送って日本の理不尽な行為を訴えようとしました

が、すでに日本が韓国を支配することを強い国同士で決めちゃってたので、まったく聞く耳を持ってくれませんでした

日本と戦ったロシアのニコライニ二世までも韓国の訴えを無視したのです

どの国も韓国の話を聞いてあげようとはしなかったんですね

ここから日本による韓国支配が本格的に始まることとなるのです

アジア初★列強の仲間入り

日露戦争が始まる前、世界の列強といえば・・・

イギリス・フランス・ロシア・ドイツ・イタリア・アメリカ・オランダの7カ国でした

が、日露戦争に勝利したことにより、日本も列強の仲間入りとなったのです

ちなみに列強の条件は

@強い軍隊を持っていること

A植民地を持っていること

B世界の政治を話し合いや軍事行動で動かせること

今までアジアで世界政治に関与できる国などどこもありませんでした

が、日露戦争に勝利したことにより、日本はアジアで初めて世界政治に口を出せることになったのです

特に、中国・韓国に関しては欧米列強の国々は日本の意見を無視することはできなくなっていきます

そんな日本にはまだまだ悩みがありました

というのも、日本が鎖国をやめ開国した時に、いろんな国と通商条約を締結したんだけど、めちゃくちゃ不平等な条約だったのです

特に日本にとって困った条約だったのがこの2つ

@外国人の犯罪を日本で裁判できないという治外法権の権利

A外国は日本の製品を勝手に関税を設定できるのに、日本は外国製品に関税を設定することができないという関税自主権の権利

これを改正しない限り、まだまだ列強と対等な関係とはいえないのでした

日本は、この「不平等条約」を改正するために、がんばらなくちゃいけないのでした

が、日露戦争の勝利によりコトは結構スムーズに

この時代はわかりやすいくらい弱肉強食な国際関係だったので、日露戦争に勝利=強い国となった日本はこっからガンガンと不平等条約を直していくのです

ほんと、日露戦争の勝利によって国際的地位があがったのでした

1月7日 西園寺公望内閣成立

2月24日本社会党第一回大会(日本社会党結党)
2月26日 英国のコンノート殿下の歓迎会が日比谷公園で行われました
成金・鈴木久五郎
3月 クリーニングでお馴染みの白洋舎が創業
3月3日 伊藤博文 韓国統監に

韓国(大韓帝国)の支配県を得た日本は、韓国統監府を設置しました

これが後の朝鮮総督府となります

初代統監として元老の伊藤博文が就任しました

天皇の名代というポストで、韓国内での最大権力者となったのです

太平洋戦争でいうと、GHQのマッカーサー元帥のようなものです

もちろん激しい抵抗運動がおきますが、伊藤博文は次々とそうした運動を潰していくことになるのです

3月18日 朝日新聞社主催の世界一周会が横浜から出航。女性も3人いました

4月4日 徳富蘆花、ロシア文豪トルストイ訪問のため横浜出帆(7月、両氏会見)

4月18日 サンフランシスコ大地震 迫害される日本人移民たち

この頃になると、アメリカ西海岸に移住した日本人は数万人となっていました

働き口は鉄道工事・農園・鉱山などです
勤勉だったため、よーく働きお金を貯め、小さな土地を手に入れる人もでてきました

が、こうした日本人の地道な努力はアメリカ社会では歓迎されず、逆に憎しみを買うようになってきました。人種差別の感もありました

特にいっちばん日本人を嫌ったのは下積みの白人労働者

彼らが1日2ドルでしていた仕事を、日本人は1ドル以下でしたが、白人より立派に仕事をこなしてました
それがむかついたらしく、石をぶつけられたりと、迫害をうけまくり

そんな排日運動が高まっている時にサンフランシスコで大地震が起きたのです

市内はめちゃくちゃになり、震災で学校のスペースが無くなった!ということで、日本人児童93人を町外れの学校に移動させました

が、移動先の学校はとても小学生が通えるような場所ではなく、さすがに怒った領事の人が交渉しに行きました

ルーズベルト大統領の仲介で、この問題はなんとか解決しましたが、以後もずーっと排日運動が続いたのです

7月23日 児玉源太郎没(享年55歳)

9月 タバコ「ゴールデンバット」が発売される

9月24日 野間貞七郎が南米最初の日本商店をサンパウロに開店しました
11月26日 南満州鉄道株式会社設立 満鉄ブーム到来

ポーツマス条約でロシアから譲渡された権利をもとにして、南満州鉄道株式会社が設立されました

資本金は2億円で、そのうち1億円は政府の出費
残りの1億は株式の募集で調達し、旅順〜長春の鉄道経営に乗り出しました

その他に、炭鉱・水運業などなど、多様な業務があり、多くの人々が出仕を希望

9万9000株の募集に対して、1億株を超える申し込みがあり、満鉄ブームが巻き起こりました

ちなみに満鉄の初代総裁は後藤新平であります
エリート女学生「海老茶式部」

高等女学校令が施行され、「高女」の卒業生は才媛と呼ばれるようになりまいsた

高女たちは、海老茶の袴に洋風の靴を履くという和洋混合スタイルで、紫式部をもじって「海老茶式部」と呼ばれました

この年の出来事

・銀座に台湾コーヒー店ができました

・石川啄木が岩手で小学校教員に

・高野山が女人と肉食の禁制を解きました!

・日本で始めて「レジ」が登場

・クラブ洗粉という洗顔料が大ヒット商品になりました