明治42年 1909年 | |
明治42年 1909年 年表 |
1月 浅草の凌雲閣の11階から男性が飛び降り自殺 |
好きな女性と結婚できなかったためらしい |
1月 キリンの剥製が上野の博物館に登場 |
1月 スバル創刊 |
が、7月に風俗壊乱で発売禁止 |
2/2 小村寿太郎外相の外交方針演説、満韓移民集中論として衆議院で問題となる |
2月 宮下太吉 幸徳秋水に会いに行く 〜大逆事件の道のり〜 |
「天皇に赤い血を流させれば、民衆は神ではなく人間だということに気がつくだろう」という考えを持ったまま、宮下は巣鴨にある幸徳秋水の平民社を訪ねました そして秋水に爆裂弾による天皇暗殺計画を打ち上げたのです 秋水は「そのような方法も必要であろう。将来はそういうことをする人間も出なければならぬ」と言いましたが、暗殺計画に参加するとは言いませんでした 秋水の考えはというと、無政府主義は必ずしも暗殺主義ではない。が、条件付で暗殺の利点は認めるという考えだったのです そのため、簡単に爆裂弾による暗殺計画を賛成しなかったのでした |
3月 森永 日本初の板チョコを発売 |
3月21日 日本初のマラソン競技 |
この日、大阪毎日新聞社主催による日本で初めてのマラソン大会が行われました コースは神戸の湊川〜大阪西成大橋までの30キロ 参加選手は20人でした 一位をとったのは岡山県の軍人・金子長之助さんで、タイムは2時間10分54秒でした |
4月11日 日糖事件 |
日露戦争後、財政を確保するために砂糖の消費税引き上げが問題になりました このとき、日糖が議員を買収して引き上げを阻止しました これがばれてしまい、この日検挙されることに 24人の代議士が逮捕され、日糖前社長の酒匂常明は自宅でピストル自殺してしまいました |
5月30日 函館疑獄事件 |
6/6渋沢栄一、70歳に達し、財界引退を声明.第一銀行・東京貯蓄銀行を除く61の会社役員を辞任 |
6月 宮下太吉 爆裂弾を作り始める〜大逆事件の道のり〜 |
宮下太吉は亀崎の製作所から信州の製材所へ転勤となりました その途中に幸徳秋水を訪ね「爆裂弾の調合方法がわかりました。信州で作ってみようと思います」と決意を述べました 秋水は激励しましたが、態度は慎重でした が、新村忠雄と古河力作という2人の青年を紹介しました そして宮下は仕事の合間に爆裂弾製造に熱中し、新村忠雄に頼んで1ポンドの塩酸加里などを調達したのです |
6月23日 スリの親分 仕立て屋銀次捕まる |
日本一のスリとして有名だった仕立て屋銀次こと富田銀蔵が逮捕されました 銀次はスリ社会の大ボスで、日暮里と駒込に大邸宅を持っており、妾の母親に質屋を営業させてました 警察の犯罪調査にちょこちょこと協力していたため、捕まらない生活を送っていましたが、柏田元新潟県知事が、伊藤博文から贈られた金時計をスラれた!と訴えたことにより、とうとう逮捕されました |
ビリケン人形が人気 |
ビリケン人形とは、アメリカの女性美術家が、夢にみた神様の姿をモデルに作った人形です 頭がとがっていて、マユゲが釣りあがっている人形なんですが、京橋の文明堂の社長が興味を持ってアメリカからお取り寄せ これが話題となり、大流行しました でもって、この人形の頭に似てることを「ビリケン頭」と言うようになりました |
8月 アメリカ・ワシントンに桜を2000本贈る |
東京市の尾崎行雄市長がワシントンに桜の木2000本をプレゼントすることを決めました 新大統領のタフト夫人らが、美観のために日本の桜を植えたいといってたらしいです これを機会に東京市は、日米両国間を良くする記念物にしたい♪と、考えてました |
9月 芸者の間で、好きな人のイニシャルをハンカチにつけるのが流行 |
9月1日 幸徳秋水の愛人・スガ 〜大逆事件の道のり〜 |
去年起きた赤旗事件でも捕らえられましたが、進歩的な新聞「自由思想」の不法公布でも捕らえられ、40日間出獄したスガは、ここで天皇制権力の末端ともいうべき検事にイジメまくられました 出てきたスガはものすごい敵愾心を持つようになってきたのです そして 「爆裂弾を使って天皇を暗殺するという宮下の計画に賛成します。なるべく大仕掛けにして革命を起こしましょう。革命運動を起こしたら、真っ先にあの検事の頭へ爆弾を投げつけてやりたい」と言いました この意見に新村忠雄も賛成し、秋水も賛成 秋水は冷静な人なので「自由思想」の中で、天皇制を言論の力でぶち壊そうとしていたんですが、高圧的な発禁処分に加え、愛人をいじめぬいた絶対権力に対して憤慨していたのです |
10月26日 伊藤博文 ハルビンにて射殺される |
![]() そして駅に降り立った瞬間、韓国人の民族独立運動化である・安重根にピストルで撃たれました 伊藤博文は「ばかな奴じゃ」とつぶやき、死んでしまいました 安重根はその場で逮捕され、死刑となりました が、挑戦人からは英雄として語り継がれる存在となりました |
11月3日 宮下太吉 爆弾を完成させる 〜大逆事件の道のり〜 |
この日は天皇節のため工場がお休みでした 宮下は夜の闇に紛れ人里離れた山中へ行きました ポンポンと響いている天皇節の祝賀花火に紛れ、完成した手製の爆裂弾をの出来を試したのです これは大成功で、すぐさま平民社宛に秘密文書を出しました 「赤子の鳴き声が非常に大きくて驚きました」と が、喜んでくれるはずだと思っていた平民社からはイマイチの反応 とゆーのも、スガが過労で入院していて、その看護を秋水が行っていたからです で、秋水は天皇暗殺について心境に大きな変化が やはり天皇暗殺計画の直接行動からは手を引き、著述に専念したほうがいいかもしれないと思い始めていたからです |
11月4日 日比谷にて伊藤博文公国葬 |
催促まげって?? |
適齢期になっても結婚しない女性が結う丸まげを「催促まげ」と言うように これは女流画家の榊原芭園(独身)が、結婚している女性が結う丸まげにしたのを見て、家族が「結婚を催促してるみたいね」と冷やかしたことから、こう呼ばれるようになりました |
この年の出来事 |
・ベールの流行始まる ・ビヤホールができる ・グライダーに初試乗するも失敗 ・流行語 「なんて間がいいんでしょう」 ・陸上競技に「スパイクシューズ」が使われる |