影の実力者たち
歴史戯言 戦国三大軍師もチェックしてみてね
軍師とは |
簡単に言うと、色々な戦略・つまりは戦い方を大将にアドバイスする人のこと
大将の頭脳的な役目をする人で、現代版でいうと「ブレーン」みたいなものです
軍師には様々な仕事がありました。
ここでは軍師の仕事・そして戦国における軍師・参謀を紹介します
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天気予報士 |
合戦をするにあたり「天気」はとても重要なことだった
合戦の時に雲の動きなどを読んで、ここはこのようにしたほうがいいと大将にアドバイスする役目をしたのが軍師であります
陰陽道に基づいて雲の動きにより吉凶を占ったりもした
また自分の経験に基づき、「このような雲の時は、天気はこうなる。そしてこの雲が出た場合は・・・」など自然現象の法則を経験的につかんでいた
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首実検 |
首実検とは取ってきた敵の武将の首によって恩賞を決めるというもの
軍師はこの首実験の時に、「弔い」部門を担当していました
討ち取った敵将の首を儀礼的に扱うようになり、この儀式を行うのが軍師の役目だったのであります
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出陣式 |
合戦に行く前の出陣式をまとめるのも軍師の役目であります
出陣式の場所や日にちも陰陽道に乗っ取り、軍師が決めていました
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ここからは有名な軍師・参謀を紹介
山本勘助 |
武田信玄の軍師
戦国一のブ男と言われており、顔はアバタだらけで片目が潰れていた
さらに足も不自由だったが、頭脳だけはすごかった
が、最後は川中島の合戦の時、啄木鳥戦法を上杉謙信に見破られてしまう
責任を感じた勘助は、乱戦の中飛び込み戦場の露となった
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竹中半兵衛 |
豊臣秀吉の軍師
色白で顔立ちが優しく女性のような人であった
その容貌の為に斎藤家でバカにされ、出て行った
噂を聞いた秀吉にスカウトされ、軍師として活躍するも体が弱く、若くして死んだ
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黒田官兵衛 |
豊臣秀吉の軍師
竹中半兵衛とともに「両兵衛」と呼ばれ活躍
が、あまりにも優秀だったため秀吉に不信感を抱かれることに
危険を感じた官兵衛は息子に家督を譲り、隠居した
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片倉小十郎 |
伊達政宗の軍師
最初は政宗の教育係だった
政宗の目をえぐりとったのもこの人
何度も政宗を助け、死ぬまで政宗を支え続けた
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本多正信 |
徳川家康の軍師
軍師というより腹心
家康とものすごく気が合い、会話をしなくても雰囲気で意思疎通ができた
が、武功派の家臣たちからはものすごーく嫌われていた
冷静沈着で隙のない男であった
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直江兼続 |
上杉景勝の軍師
上杉謙信が兼続が賢かったので息子の景勝に仕えさせた
景勝のブレーンとなり、様々な活躍をする
石田三成と仲がよく、関ヶ原では三成方につくが負けてしまう
でも兼続の機転により、何とか上杉家は滅亡を免れた
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鍋島直茂 |
龍造寺隆信の軍師
幼い頃から優秀な少年だった直茂
父親が龍造寺家の筆頭家老だったが、妻が死んでしまった
すると隆信の母が「直茂は優秀だから、うちのこの義理の兄弟にして龍造寺を守って欲しいわ!」ということで、後妻となり、隆信と直茂は義兄弟となる
ずーっと直茂は隆信を助けてきたが、むしろみんな「隆信より直茂のほうがいい」と思っていた
隆信は最期の合戦となった時も、直茂のいうコトを聞いてれば死なずにすんだ
ということで、主君隆信は死んでしまい、鍋島家がずっと残っていくこととなる
ちなみに秀吉も直茂を気に入ってた
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小早川隆景 |
毛利元就の三男
一番上のお兄ちゃんは毛利本家。次男の元春は吉川家へ。で、三男の隆景は小早川家へ養子に出され、次男と三男で、毛利本家を支えていった
隆景はめちゃくちゃ優秀な上、武勇も優れており「戦国の三智将」とまで言われた
ちなみに他の二人は直江兼続と島左近
毛利本家を純粋な血によって守り抜くため、小早川秀秋を養子にとる
が、この秀秋は関ヶ原によって世紀の大裏切りをしちゃった
ということで、小早川家は終わってしまうのでありました
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島左近 |
石田三成の軍師
筒井順慶・豊臣秀長などに仕えていた
が、もう現役引退するといって引っ込もうとしたんだけど、石田三成が「15000石あげるからワシのとこに来て!」とオネガイ
ちなみに三成は40000石しかないので、破格の待遇
これにより島左近は石田三成に忠義することとなる
関ヶ原の合戦の時、左近は三成に色んな戦法をアドバイスするも、真っ正直な三成によって全て却下
そして左近は関ヶ原の合戦で命を落としたのであります
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山中鹿之介 |
尼子経久の軍師
幼い頃から軍法を学び、13歳で上級首をとったほどのツワモノ
が、「軍師」としてはイマイチでありました
七難八苦を与えたまえ!で有名になり、尼子家再興のために尽くしたその忠義が今でも語り継がれているのであります
実際、軍師としての活躍は寂しいことにほとんどナシ
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