おばあちゃんの時代

当サイト内にある「戦争実話」で、以前おばあちゃんにインタビューしました
すると「もっと戦争のことを知りたい」というご意見が沢山ありました
皆さん、戦争を知らない時代に生き(自分も含めて)、平和な世の中が当たり前と思っています
そしておばあちゃんも「それでいいのよ」と言います
でも、今現在生きている人の中にも、戦争経験者は数多くいます
少しでも戦争の愚かさを伝えるため、またもおばあちゃんに大正〜昭和初期のお話を聞いてみました

※ちなみに、うちのばーちゃんは、あの時代を生きた中ではちょっとぶっ飛んでる方です(笑)
楽天的というか、物事をポジティブに考えるタイプです
でも、こういう考え方になったのは「何度も死に直撃したけど、生きているから。何度も修羅場をくぐって生かされてもらっているんだから、いちいちクヨクヨしていたら体がもたない」だそうです


Q おばあちゃんは子供の頃、どういうお話を聞いて育った?
A 乃木大将の殉職の話とかはよく聞いたわね。すごい事をする人だと思ったし、それが素晴らしい事だと教わったわ

Q 関東大震災はどうだった?
A その頃はまだ長野にいてねー。でも長野でも揺れたわよ。まだ小さかったけど、お父さんとかが慌ててたのを覚えてるわねぇ。おじいちゃん(ダンナのこと)は関東にいたんだけど、ちょうどその時、弟と2人で公園に行ってたらしいのね。で、地割れしちゃって家に帰れなくなっちゃったみたいよ。次の日戻ったら親が泣いてたって言ってたわ。すごかったでしょうね。あっちの方は

Q 関東大震災の時、朝鮮の人がひどい扱いを受けたって知ってた?
A 後から母に聞いたんだけど、皆でいじめていたみたいね。朝鮮の人が悲しそうに「アイゴー・アイゴー」と言っていたと聞いたわ。すごくかわいそうだったと母がいつも言っていたわね

Q おばあちゃんは朝鮮人を見たことあるの?
A うちは蚕を飼ったり、農作物を育てたりしていて、ある程度裕福だったのよ。だから朝鮮人の使用人がいたのね。「春吉」さんって言うんだけど、どうやらちょっとスネに傷のある人で、長野まで逃げてきたみたいだったの。でもその人がバイオリンを持っててね、あの時代バイオリンが弾ける人なんてなかなかいないでしょ?
おばあちゃんは春吉さんが大好きでね、いっつもひざの上に座ってバイオリンを弾いてもらったのよ。
優しくて大好きだったんだけど、ある日行方不明になっちゃったの。どうしているのかなぁと思うわねぇ

Q おばあちゃんの時代でショッキングだった事件ってある?
A 坂田山心中ってのがあってね。神奈川県の大磯で男女が心中したのよ。あれはビックリしたわ。男と女が一緒に並んで歩けない時代に、男女が結婚できなくて死ぬなんて・・・と驚いたわ
歌も覚えてるわよ。確かねぇ「あなたをよそに嫁がせて 何で生きよう 生きられよう 死んで楽しい天国で あなたの妻になりますわ 2人の恋は清かった 神様だけはご存知よ」だったと思うわぁ
この事件を聞いて、世の中にはこういう人がいるんだ!と驚いたわねー。大騒ぎになったもの

Q なんで結婚できないの?
A 結婚はね、自分の意思で決めることなんてまずなかったわよ。親の持ってくる縁談を「はい」って了解するしかなかったのよ。たとえ嫌な相手でもね

Q そんな結婚に何の意味があるの?
A 時代は生めよ増やせよの時代になってきたからね。満州事変から日本は大変なことになってきたと思ってたけど、どんどん戦争へと突入してきたでしょ?だからとにかく子供を産まないといけないのよ

Q 子供産めないとどうなんの?
A 嫁に行って三年間で子供を産めなかったら去れと言われていたわね。それに夫が戦争に行って死んだら、死んだ夫の弟と結婚しなさいとも言われたわね。今の人からすれば「冗談でしょ?」と思うかもしれないけど、夫が死んだら結婚してない弟と結婚しろなんて平気で言ってた時代なのよね

Q 嫁ってすごい辛くない?そんな結婚ならしない方が・・・
A あの時代は女一人じゃまず生きていけなかったわねぇ。とりあえず親が決めた顔も見たことない相手と結婚するのが当たり前だったから、疑問も抱かなかったわ。
結婚したら夫の両親の面倒をみて、絶対口答えしないで、そして子供を産めとね
それに男の子を産まないとダメな嫁と言われる時代だったわ
おばあちゃんは第一子・二子が女だったけど、そのうち男の子が生まれるだろうと思ってたけどね
なんせ子供を5人以上産むのが当たり前だったから、一人くらい男の子が生まれるでしょうと思ってたわ

Q そんなに親の言いなりなの?
A そうよ。親に向かって口答えなんて出来ないわよ。今の子は平気で親に向かって文句言うけど、あの時代は全て「はい」って返事しなくちゃいけなかったわよ
それに親に向かって口ごたえしようとも思っていなかったわねぇ
あんた見てると、おったまげる事ばかりよ。ホホホ

Q 男ってそんなに偉いの?
A あの頃の男性はエバってたからね。というより、エバリ腐ってたわね。まず男と並んで歩けない時代だったわよ。必ず三寸下がって歩かなくちゃいけないし。おばあちゃんはハイカラな方だったから、並んで歩いたりしたけど、田舎の方に行くと皆にヒソヒソ悪口言われたわよ「女が男と並んで歩いている」ってね・・・。
現代だとバカみたいでしょ?でも手をつないで歩くなんて考えられない時代だったわ

Q 満州のことはどう思った?
A あの頃はね、みんな満州へ移民しててね、満鉄なんかも出来て、なんだかすごい場所という漠然としたイメージがあったわ。でも16歳ころかな〜、おばあちゃんも行ってみたいなぁって思ったわ

Q 女工をどう思った?
A お友達が何人も女工になったわ。おばあちゃんはならなかったけど、帰ってくるとキレイな着物を着て帰ってくるのでうらやまいなぁと思ってたの
今思うとバカよね。何にも知らなかったのよ。本当は親に身売りされて奉公しに行ってたなんてね・・・
綺麗な着物を着てるから、お給料貰っていい着物買えていいなぁなんて思ってた自分がホント、何も知らなかったんだと思ったわ

Q 戦争が始まるんだ・・・って実感したのは?
A 2・25事件くらいからかしら。日本は大変な方向へ向かっていくかもしれないと漠然と思ったわね。これからどうなるんだろう?って漠然としたものしかなかったわ

Q 何か変化はあった?
A おばあちゃんはその頃結婚して神田にいたんだけどね、まず女性のパーマが消えていったの。ちなみにその頃のパーマを炭を使っていたのよ。でね、女性の髪形が徐所に変化していったの。そしたらね、デパートに商品が無くなって来たの。今までズラっと並んでいたのに、商品棚がガラガラなの

Q 戦争が始まってからはどういう生活になったの?
A とりあえず「お国のため」という考えが蔓延したわね。戦争が始まってから皆苦しくなったと思うわ。
食べ物も配給制だし、隣組が「配給ですよー」というと、皆で貰いに行ったわ

Q 学童疎開をどう思った?
A 子供が親から離れるのは不安でかわいそうだと思ったわ。でもね、疎開できた子は良かったと思う。疎開できない子も沢山いたから。お金がないので、疎開できない子は親といたわね

Q 防空壕はあったの?
A 近所にあちこちあったわよ。でもね、おばあちゃん防空壕が嫌いだったの。あれって入り口が閉じちゃったら外に出られないじゃない。自分の目で周りを見ている方がいいと思ったわ

Q 空襲警報がなるとどうだった?
A 空襲警報にも鳴り方によって違いがあってね。忘れちゃったけどね。でも鳴ると恐ろしかったわ

Q 前の戦争実話でも聞いたけど、東京大空襲はどうだった
A 逃げ惑う人を見て、自分も含めて本当に怖かったわ。でも皆逃げるのは早かったわよ〜。空から焼夷弾が降ってきた時、おばあちゃんは死を覚悟したのね。ここまで来たら、もう逆に落ち着いちゃったの。焼夷弾が落ちて来るのを「綺麗だな・・・」って朦朧と見ていたわ。今だから言えるけど本当に綺麗だった。人間、死を覚悟すると落ち着くものなのね・・・

Q 無事生き延びた後の神田の町はどうなったの?
A 大きな建物が全てなくって、上野まで見渡せたわ。あの風景は忘れることはできないわね。
沢山の人が井戸に頭を突っ込んで死んでいるの。全てが無くなっていたわ
信じられない光景だったわね

Q 敗戦の放送を聴いたときは?
A 日本はね、神風の吹く国だと思っていたし、皆まさか負けるとは思っていなかったの。でもね、おばあちゃんはあの爆撃には勝てないんじゃないか?と思っていたのね。絶対言えなかったけど
終わったときは、感無量というか、「あぁ・・・終わったんだ・・・・」と、呆然としたけれど、心の中ではホッとしていたのも事実よ。これで空襲に恐れる毎日が無くなるんだ・・・ってね

Q 終戦後はどうなった?
A なんせ食べ物がないの。本当に。日本は一気に貧乏になっていったのよ。闇市もすごくてね、お金がある人は買えたけどね

Q 戦争孤児とかいたの?
A 沢山いたわ。子供も大人も、全てを失ってしまった人が数多くいたもの。おばあちゃんね、「火垂の墓」っていう映画、観れないの。怖くて。
戦争孤児なんかはね、集団を作って泥棒をする子達が多くいたわ。生きていく為に仕方の無いことだったんでしょうね

Q 天皇についてはどう思った?
A はっきり言って、気の毒だと思ったわ。皆天皇の悪口は一切言えないし、雲の上の人だったけれど、軍に操られていたというか、軍のいいなりにされていたような気がするわ。おばあちゃん、一番怖かったのは軍隊だもの

Q 闇市ってどんな感じ?
A 焼け野原の後に、色んなほったて小屋が建っててね。でもね、闇市で品物を買うのはホントは禁止なのよ。フフフ。でもね、雑炊とかすいとん・ふかし芋が売っててね、その他、何でも売っていたわ。でも高いの。だから貧乏人は買えないのよ。お金持を持っている人だけが買えるの

Q 禁止されたのを買うとどうなるの?
A 運が悪ければつかまるわよもちろん。
おばあちゃんはね、闇市じゃなくてね田舎に行ってお米を譲ってもらったのね。それを汽車に乗って家へ持って帰ったら、逗子駅で検査があったの。せっかく持って帰ってきたお米を取られちゃうなんて・・・と悲しかったわ。するとたまたま「はい、そこの人早く通りな」って言ってくれた検査員がいてね、ほんと安心したわ。子供達にご飯を食べさせることができるんですもの

Q 「パンパン」って何?
A 今でいう売春婦のことよ。ロングスカートを着てタバコを吸って、頭にネッカチーフをしてね、アメリカの進駐軍が来ると口笛を吹くの。そこらかしこにいたわ。親や弟達を育てる為に、娘さんが売春していたの。パンパンの歌もあるのよ。えっとね確か・・・「星の流れに身を占って どこをねぐらの今日の宿 人は見返る わが身は細る 泣いて涙も枯れ果てた こんな女に誰がした」だったと思うわ。
でもね、結局この人たちが日本をしょって立ったと思うわね。芸者なんかもいないから、この人たちがいなければ日本の女性は大変な目に会っていたかもしれないもの。

Q 日本の敗戦についてはどう思った?
A 日本は思い上がっていたと思うわ。竹やりの訓練をさせられたり、バケツリレーをやらされたりしたけど、あんなの全部無駄だったわね。あの頃は知らなかったけど、今思うと全世界を敵に回していたのよね。勝てるわけがなかったんだわ。でも、当時は負けるとも思っていなかったんだけどね

Q 戦争についてどう思う?
A みんなが悲しい思いをする。喜ぶ人なんて絶対いないと思うわ。息子や夫が死んでしまのよ?それに全てが失われるのよ?絶対にしてはいけなこと。これだけは言えるわね

Q 最後に!今を生きる若い世代に一言
A 自由でうらやましい。全てが自由。自分の意見を言え、自分の夢に向かっていける。当たり前のことだけれど、その自由はうらやましく、そして素晴らしいことだと思うわね。自由すぎて、嫌な事件が多くて可哀相になる時もあるけど、やっぱり「自分」というものが男も女もあるんだもの。大切に生きて欲しいわ
そして「わが田にだけ水を引く」という考えは捨てるべきね(自分さえ良ければいいという考え)


以上、おばあちゃんのお話でした!