歴史トリビア 

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近代史トリビア


裸の大将は日本の敗戦を予言していた!?


輸入第一号の自動車の行く末は??


芥川賞を辞退した唯一の作家


大正時代のアイドル・松井須磨子は整形手術第一号!


開戦の合図の暗号は!?


初めてランドセルを背負ったのはあの人!!


島津製作所って、薩摩の島津家と関係あるの?


皇族には苗字が無い!






裸の大将は日本の敗戦を予言していた!?

裸の大将といえばテレビでお馴染みの山下清

放浪中にいろんな絵を描いていましたが・・・実は戦争について描かれた絵には敗戦予告をしていました

戦争前に書いた戦争画には、いずれも日本軍の敗戦が描かれていたのです

のんびりしている感がある山下清ですが、戦争に対しては冷静にみつめていたのかもですね

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輸入第一号の自動車の行く末は??

日本に初めてやってきた自動車は、サンフランシスコ日本人会が大正天皇の御成婚記念に贈ったものであります

輸入した高田商会という会社は、さっそく組み立てをして試運転をすることに

ところが!車の前におばあちゃんが飛び出したのです
おばあちゃんも「車」というものを初めて見たもんだから、わけがわかんなかったんですね〜

ビックリした運転手
こちらも運転するのなんて初めてなんでとりあえずハンドルぐるぐる

するとそのまま皇居のお堀の中にドボーーーーンと落っこちてしまったのです

修理しようにも修理できる人もいないし部品も無い

ということで、日本第一号の輸入車はそのままお蔵入りになってしまったのでした


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芥川賞を辞退した唯一の作家

その名は高木卓

昭和15年に書いた「歌と門の楯」が第11回芥川賞に決定しました

早速担当者が連絡すると、高木卓は「あ、考えさせてください」と言って、そのまま辞退しちゃいました
なぜか?とゆーと、本人は今回の作品より、前回書いた「遣唐船」のほう出来がよかったから
なのに、それが見送られて「歌と門の楯」が受賞したので、審査員に不審感を抱いちゃったのでした

とゆーことで、第11回芥川賞は受賞者ナシに
後にも先にも受賞を辞退したのは、このお方だけなのでした


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大正時代のアイドル・松井須磨子は整形手術第一号!

「カチューシャの唄」など、空前の大ヒットを飛ばした松井須磨子
天真爛漫なイメージがある松井須磨子は、実は日本初の整形アイドルであります

平凡な生活に飽きた須磨子は、女優を目指し東京俳優学校の面接に
が、「鼻ぺちゃだから女優はムリ」と言われてしまった
あきらめきれない須磨子は、当時ドイツで鼻の手術をマスターして帰国してきた医者のもとに行き手術をしました

当時の手術はかなり痛く、さらにまだ完璧でなかったため、冬になると鼻が薄紫に変色して困ったようです

それでも女優となり大正時代に欠かせない超大物となった須磨子でした!


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開戦の合図の暗号は!?

昭和16年、第二次世界大戦が始まりました

日本では宣戦布告の暗号を陸軍・海軍と作られていて無線で通告されました

海軍の暗号は「ニイタカヤマノボレ」
陸軍の暗号は「ヒノデハ ヤマガタトス」

この暗号を受信したら「開戦は12月8日」と決められていたんですねぇ〜


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初めてランドセルを背負ったのはあの人!!

日本で初めてランドセルを使ったのは、あの大正天皇であります

どうやら総理大臣の伊藤博文が、大正天皇の学習院入学のお祝いに送ったそうです

ちなみにランドセルが現在のように普及したのは昭和三十年頃だそーです


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島津製作所って、薩摩の島津家と関係あるの?

島津製作所の社章は丸に十の字。ってこは、まるじゅうなんであの島津家ゆかりの会社!?と思いきや、実はあんまり関係がないのであります

島津製作所の創業者は、島津源蔵という姫路出身のお方

どうやら島津源蔵さんのご先祖様が、関ヶ原の合戦で負け、逃げる途中の島津義弘の手助けをしたらしいのです

ということで、島津家から「島津姓」をもらい、それと同時に島津家の家紋も貰ったのです

ちょっと紛らわしいですよね(笑)


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皇族には名字が無い!

日本の皇族には、「皇室典範」という特別な権利や義務が規定されております

ほとんど一般人と変わらないんだけど、すごい違いは「戸籍がない」ということ

戸籍法には名前には必ず名字が必要とあるんだけど、皇族には戸籍がないため、名前だけなのであります

雅子さんは「小和田雅子」さんだったのが、「雅子」という名前だけになっちゃいます

ちなみに、皇太子の名前は「浩宮(ひろのみや)」ですが、学校の名簿では名字が「ヒ」のとこにいたらしい


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