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歴史人物辞典
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佐々成政 戦国
(さっさ なりまさ)
真田昌幸 戦国
(さなだ まさゆき)
真田幸村 戦国
(さなだ ゆきむら)
斉藤道三 戦国
(さいとう どうざん)


斎藤 義龍 戦国
(さいとう よしたつ)
坂本龍馬 幕末
(さかもと りょうま)
榊原康政 戦国
(さかきばら やすまさ)
佐久間象山 幕末
(さくま しょうざん)


西 行 鎌倉
(さいぎょう)
斉藤 一 幕末
(さいとう はじめ)
酒井抱一 江戸
(さかい ほういつ)
坂上田村麻呂 平安
(さかのうえたむらまろ)


斉藤 龍興 戦国
(さいとう たつおき)
雑賀孫市 戦国
(さいか まごいち)
佐竹義宣 戦国
(さたけ よしのぶ)



柴田勝家 戦国
(しばた かついえ)
静御前
(しずかごぜん)
白瀬 矗 昭和
(しらせ のぶ)
島 左近 戦国
(しま さこん)


白河上皇 平安
(しらかわじょうこう)
聖徳太子 飛鳥
しょうとくたいし)
島田 魁 幕末
(しまだ かい)
志賀直哉 昭和
(しが なおや)


寿桂尼 戦国
(じゅけいに)
十返舎一九 江戸
(じゅっぺんしゃいっく)
聖武天皇 奈良
(しょうむてんのう)
島井宗室 戦国
(しまい そうしつ)


島津義弘 戦国
(しまづ よしひろ)
島村速雄 明治
(しまむら はやお)
島津義久 戦国
(しまづ よしひさ)
島津斉彬 幕末
(しまづなりあきら)




菅原道真 平安
(すがわらのみちざね)
諏訪頼重 戦国
(すわ よりしげ)
諏訪御料人・諏訪姫戦国
(すわごりょうにん)
末次平蔵 戦国
(すえつぐ へいぞう)


推古天皇 飛鳥
(すいこてんのう)
杉田玄白 江戸
(すぎた げんぱく)
崇徳天皇 平安
(すとくてんのう)



芹沢 鴨 幕末
(せりざわ かも)
千利休 戦国
(せんのりきゅう)
清少納言 平安
(せいしょうなごん)
仙石秀久 戦国
(せんごく ひでひさ)


蝉丸 平安
(せみまる)



蘇我入鹿 飛鳥
(そがのいるか)
十河存保 戦国
(そごう まさやす)



















佐々成政  さっさ なりまさ  1535〜1588年                   

戦国時代の武将 織田家の家臣

織田家の家臣として、東北チームリーダー「柴田勝家」の部下として働いてた

同じ東北チームの前田利家とは気が合わず、柴田勝家が前田利家を可愛がるのにムカムカしてた

さらにサルのくせに調子のいい秀吉のことも嫌いだった

そんな中、柴田勝家が秀吉と大喧嘩。もちろん成政は勝家チームに

が、勝家が秀吉に負けてしまった

成政は大慌て!「やべ!オレ、やられちゃうじゃん!」

が、ラッキーなことに家康と秀吉がケンカをし始めたのでセーフ。

ところが、家康と秀吉が仲直りしてしまい、またもターゲットは成政へ。

「なんで仲直り?ほんとかよ!真相を聞きに行かなきゃ!」と、冬の超寒いときに家康に会いに、伝説の「アルプスさらさら超え」を決行。

なんとかたどりついたものの、家康に「ごくろうさん。」とだけ言われ、終わった

その後は仕方なく秀吉に服従したが、常に秀吉に狙われてた

ちなみに「黒百合伝説」でも有名

最後は成政の国で一揆がおこり、秀吉に「おみゃーの管理がなってないからじゃー」と、切腹を言われ死んでしまった



好きな人・・・小百合ちゃん 「あの時はごめんなさい」

嫌いな人・・・前田利家 「永遠のライバルです」

オモヒデ・・・アルプス越え 「あの時のことを思い出すと目頭が熱くなります」

ヒトコト・・・「ワタシは淀君殿に黒百合の咲いていた場所を教えていません。本当ですネネ様。信じてください」

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★ 「気の毒」

キャッチフレーズ  戦国のアルプス登山家

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真田 昌幸 さなだ まさゆき         

戦国時代の武将 

真田幸隆の三男として生まれた

真田家は、北条や武田など強い大名に囲まれた場所にあった

そのため、こちょこちょと主君を替え、なんとか戦国を乗り切っている家だった

お父さんの幸隆は武田信玄に仕えていて、昌幸は信玄の小姓に

ここで武田信玄に色々とレクチャーされ、「小信玄」と呼ばれる

が、信玄が死に、息子の勝頼が武田の当主になるが、武田家はどんどんと落ちていく

最後に勝頼が城を捨て逃げる時に昌幸は「ぜひワシのとこに来てください!そして武田を立て直しましょうぞ!」と言うも、他の家臣たちが「真田は新参者。昔からの家臣である小山田家を頼ったほうがいい」ということになり、勝頼は小山田家へ

が、小山田家に裏切られ、武田家は滅亡

こうして主君のいなくなった真田家は織田家に忠誠を誓うことに

その織田家の信長も死んでしまい、今度は北条家に忠誠を誓うが、徳川家康が真田の領地を北条に渡せといわれ、家康と大喧嘩!

ムカついた昌幸は、上杉景勝とタッグを組み、豊臣秀吉に仕えることに

秀吉はうまい具合に主君をコロコロ替える昌幸を「表裏比興の者(煮ても焼いても食えない男)」と言いました

そして関ヶ原へ

家康が大嫌いな昌幸はもう老年になってたんだけど「ワシは家康が嫌いじゃ!それにワシは家康には負けた覚えないし。もう一度アイツをギャフンと言わせたる!」と息子の幸村とともに西軍へ

ここで家康の三男・秀忠をかなり熱くさせる

秀忠は関ヶ原に行くために、昌幸のいるお城の前を通らなきゃならなかった

昌幸はたくみに秀忠にちょっかいをかけ、秀忠を翻弄しまくる

おかげで秀忠は家康の跡取りだというのに、関ヶ原に遅れるという大失敗を犯してしまう

が、関ヶ原で西軍が負けたことにより、昌幸は蟄居(引退)させられる

こうして頭にいっぱい詰まった軍事シュミレーションを、息子の幸村に伝えることとなった


ニックネーム・・・小信玄

残念なこと・・・息子の奥さんに家(お城)に入れてもらえなかったこと

徳川秀忠談・・・「ボク、ほんっとアイツ嫌い!だから真田のこせがれ(幸村)のことも大嫌い!ほんとズルイしさ、汚いよあいつら!おかげで関ヶ原の合戦に遅刻したんだから!パパ(家康)にメチャクチャ怒られたんだから!」

徳川家康談・・・「あぁ、昌幸か・・・。あやつはホントにコ憎たらしい男だったぞよ。真田が大坂の陣に参戦するって聞いた時に思わず「それは親(昌幸)の方か?子(幸村)の方か?!」と慌てて聞いてしまったぞい。子の方で多少ホッとしたがのぉ。ホッとしたのもつかの間じゃったよ・・・はぁ・・・」

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★★

キャッチフレーズ  才能を発揮できなかった男

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真田 幸村 さなだ ゆきむら

戦国時代の武将

幸村は名将・真田昌幸の次男として誕生

パパ(昌幸)とともに挑んだ関ヶ原において西軍は負けてしまい、蟄居の身となる

そこで大人しくしていたものの、「大坂の陣」勃発

大阪城で浪人を募集しているので、「オレもこのまま死ぬのは嫌だ!もう一旗揚げたい!」と、大坂城へ

大坂城では元・大名である真田家の次男として大坂五人衆と呼ばれる

こうして大坂冬の陣が始まる

が、昌幸譲りの軍事シュミレーションを発揮しようとするも、豊臣秀頼のブレーンたちにことごとく却下される

理由は「オマエの作戦通りにやると、秀頼殿を危険な目に合わせるだろ!」というものや、実のお兄ちゃんが家康チームに入っていたため、「あいつ、もしかして裏切るつもりなんじゃないの?」という疑惑から

とにかく大坂城内において、幸村はイジメの対象に

可哀相に思った同じ五人衆の後藤又兵衛は、めちゃくちゃいい場所にある出城を幸村に譲る これが「真田丸」

幸村は真田丸においてものすごい活躍をする

徳川家康は幸村のパパ・昌幸にもこてんぱんに馬鹿にされたことがあるので、幸村の挑発っぽい態度や活躍をみて「またしても真田か!!!」と激怒した

が、せっかくの真田丸での攻防戦も、無駄に終わってしまった

というのも、淀君をはじめ大坂城のお偉いさんたちが、家康の「ま、とりあえず一度仲直りしようや」という口車に乗せられてしまったから

さらに家康はあの手この手で、大坂城の外堀を埋めてしまい、真田丸も壊された

大坂城は丸裸に

丸裸にされたところで、大坂夏の陣が勃発

この時はさすがに勝てる材料がなく、幸村は死ぬ覚悟で家康の本陣へ突入

その勢いたるや凄まじいもので、家康本陣はめちゃくちゃに

家康は信玄と戦った三方ヶ原の戦い以来、軍旗を倒したことがなかったが、この幸村の決死の戦いぶりに兵達は逃げまくり、軍旗を倒してしまった

が、家康軍も体制を建て直し、なんとかセーフ

幸村は疲労のため一休みしていたところを、無名の武士に殺されてしまった


好きな色・・・赤

猿飛佐助・雲隠才蔵談・・・「幸村ッチは、すごいッスヨ!尊敬するボスっすヨ!」

島津家の兵・・・「最後の幸村殿の戦いぶりは忘れられません!真田日本一の兵でございました」

大久保家の日記より・・・「大切な軍旗倒しちゃいました!びっくりしちゃいました!信玄と戦ってから倒したことなかったのにやっちゃいました!焦っちゃいました!」

歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★

キャッチフレーズ・・・オレは日本一


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斎藤 道三 さいとう どうざん

戦国時代の大名

若い頃は何をしていたかイマイチ不明

京都妙覚寺にて「知恵者」と言われ将来有望と言われていた僧だったとも

その後、京都から美濃へ行き、油商人に

その油売りパフォーマンスが大人気となり、美濃の有力な「長井家」に仕えることに

長井家の紹介で美濃を200年にわたって支配していた名門・土岐家の土岐政頼の弟・頼芸に仕えることに

ここで道三、頼芸にあれやこれや色んなことを吹き込み、なんと頼芸はお兄さんの政頼をやっつけちゃった

これにて道三のご主人様が美濃の当主となり、めでたし、めでたし・・・・・では終わらなかった

今度は道三、自分がNO1になりたくなっちゃった

頼芸をたくみに山奥に引っ込ませ、自分がNO1の座をゲット!これを知ったもとご主人の長井氏は激怒したが、道三は長井氏をもやっつけちゃった

自分を取り立ててくれた恩人をも出世のために消す。まさに戦国の梟雄

が、ここでトラブルが

どうや土岐家に可愛がられていた家臣たちが「道三、気に入らない」と思うように

さらに道三の長男「義龍」は道三の実の息子ではない

お母さんの深芳野は、土岐頼芸からもらった側室で、道三と結婚する時すでに義龍がおなかの中にいた

こうして義龍を中心とした反・道三派は膨れ上がり、とうとう道三に牙を向けた

これが長良川の戦い

道三に味方する人はほとんどおらず、最後は息子に下剋上されるという悲しい最後を遂げた


ニックネーム・・・マムシ

得意なこと・・・街頭パフォーマンス

欲しかったもの・・・自分の城

自 慢・・・娘の帰蝶

長井十左衛門談・・・「道三の首を取ったのはオレだよ!だってさ、オレ、長良川の合戦で1人逃げ出した道三を生け捕りにしようと思ってじーーっと疲れるのを待ってたんだぜ?それなのに後から来た小牧源太ってヤツがさ、いきなり横取りだよ!信じられねーよ!悔しいからオレ、道三の鼻をそいでやったぜ!これでオレが殺ったってゆー証拠になるだろ?」

小牧源太談・・・「ったくよー。道三の首を取ったのはこのオレだっつーの!十左衛門なんて道三が疲れるまで待ってじっと黙って見てたんだぜ?いくじなしなだけじゃねーの?」

義龍談・・・「まさか父の首があんな無残な姿になっていたとは・・・。オレを恨むなよ」

ヒトコト・・・義龍のことを見くびっておった。虎の子を猫と見間違うとはワシの目も老いたもんじゃい

歴史メジャー度  ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★

キャッチフレーズ  猫に喰われたマムシ


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斎藤 義龍 さいとう よしたつ

戦国時代の大名

斉藤道三の息子・・・ということになっているが、実は道三の子ではない

というのも、義龍の母で道三の奥さんでる深芳野は、道三のモトご主人様・土肥頼芸の側室だった人

おなかに頼芸の子を身ごもったまま道三と結婚した

そのため道三は後継ぎを長男の義龍ではなく、一番可愛がってた三男に継がせようとした

その情報を察知した義龍は三男と、ついでに次男を呼び出し殺しちゃった

それを知った道三は激怒!

が、土岐家の家臣たちがことごとく「土岐家の血が流れている義龍様の味方をしよう」ということになったため逆に道三は長良川の合戦でやられた

こうしてマムシの道三の後を引き継いだ義龍だったが、道三が死ぬちょっと前に娘のダンナ「織田信長」に美濃一国譲り状という「美濃を信長にあげちゃいますヨ」という手紙を送ったため、たびたび織田家から攻撃にあう

なんとか持ちこたえていたものの、なんと肝心の義龍が突然病死してしまった

35歳でした

こうして義龍の息子・龍興が14歳で新当主となり、織田信長にとって超ラッキーなこととなった


見た目・・・でかい・のろい(らしい)

趣 味・・・読書

ヒトコト・・・ワシが死んだら龍興はどうなるんじゃぁー。心配じゃ

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★

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坂本龍馬 さかもと りょうま

幕末の爽やか志士

土佐(高知県)に生まれた坂本龍馬は「下士」だったため、土佐では活躍できそうになかった

そのため武市半平太を頼り土佐を出て行った

色々な人と知り合い、「日本は貿易をして大きくならんとだめじゃき」と思うように

時代は薩長VS幕府だったというのに、フツーの人とはちょっと違う考えで大きくモノを見ていた

そのため現在でも「龍馬の周りにはいい風が吹いている」感がする



龍馬を知るワード・・・「千葉道場」「薩長同盟」「海軍操練所」「亀山社中」「海援隊」「大政奉還」

ライバル・・・新撰組

有名ゼリフ・・・「今一度 日本を洗濯したく候」

ラストゼリフ・・・「脳をやられた。もういかん」

逆らえない人・・・乙女姉さん

尊敬する人・・・勝海舟「ほんとは殺そうと思ったんじゃき。会ってみて懐の大きさにびっくりしたき!」

親 友・・・中岡慎太郎

好 物・・・軍鶏(しゃも)

ビックリしたこと・・・黒船を見たときのこと

徳川慶喜談・・・「わし、知らんかった。ん?何がって?この男のことじゃよ。全てが終わった後、色々調べたら大政奉還はこやつの案だったとはのー。もったいない浪士じゃったな」

西郷隆盛・・・「・・・・・・」

歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★


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榊原康政 さかきばら やすまさ
戦国時代の武将 徳川四天王の1人

幼い頃家康に見出され小姓となり、同じく四天王となる本多忠勝とともにぐんぐん伸びていく

姉川の合戦・長篠の合戦と戦功をあげた

が、信長が死んだ後、エバりはじめた秀吉のことが大嫌いで、豊臣VS徳川の小牧・長久手の戦いが始まろうとすると、文句ブーブーの手紙を書きまくった

内容は「秀吉ってサ!信長が死んだ後めちゃ偉そうにしてるよね!もしかして織田家を乗っ取るつもりなんじゃねーの?な?な?そう思うだろ?」というもの

これを見た秀吉はすっごい怒って「康政を殺したやつには褒美をたくさんやる!」と、康政の首に懸賞金を賭けるほど

のちに豊臣と徳川が仲良くなった時、秀吉は「あの手紙を見てお前の首を取ろうと思ったが、それも徳川家への忠誠の証とわかり、今は感服しているぞ」と言った。

その後、家康というより、家康三男秀忠の付き人となり、康政の娘は秀忠の養女となった

家康からも信頼されてたけど、むしろ家康より秀忠の信頼を得まくっていた

が、関ヶ原の合戦で大失敗をおかす

秀忠率いる軍が、信濃にいた真田昌幸に翻弄されまくり、徳川の後継ぎだというのに関ヶ原の合戦に遅刻するというとんでもないことをしでかした

この時、怒る家康をなだめたのが康政

これにてさらに秀忠の信頼を得て、二代目将軍となった秀忠に大事にされまくる



言い訳・・・「真田・・・。聞くだけでムカつく名前じゃ!ワシはな、家康殿から今までの功として加増を言い渡されたが、関ヶ原で戦功がないということでみずから辞退したのじゃ。武士らしいだろう?これも全て真田のせいじゃ」

嬉しかったこと・・・「家康殿から「康」の字をいただいたことじゃ」

嫌いな人・・・本田正信「アヤツは一度は家康殿を裏切った男ぞ?味噌の勘定しか出来ない男だとうのに!それなのになぜ?!」


歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★ 「やはり武勇のある人はいいです。でもプチ本多忠勝ってイメージもある」


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佐久間象山 さくま しょうざん

幕末の人

松代藩の下級武士の子。幼い頃からケンカッ早く、山へ行くと行ったきりで何日も帰ってこない摩訶不思議少年。

6歳の時に四書をマスターし、近所の子に教えるという頭のいい子でもあった

それに目をつけた藩主・真田幸買が「この子、賢いから江戸に行かせて学問をさせてあげましょう」ということに

象山は14歳で江戸へ

江戸では藤田東湖ら一流学者と仲良くなり、ぐんぐんと才能を伸ばしていった

弟子には吉田松陰など粒ぞろい

そして勝海舟の妹と結婚

が、安政の大獄のときに捕らえられてしまう

が、こんな優秀な人をほっとくわけにはいかない

色んな藩からスカウトがきまくり、「象山が敵に回ったらヤバイ」と危険人物として要チェックされちゃう

とうとう幕末の三代人斬りとして有名な河上彦斎に暗殺された

この時象山は前に傷を受けず、後ろばかりに傷があったため「武士のクセに立ち向かおうとせず逃げようとした」ということで、佐久間家は潰された


性格・・・かなりの自信家・プライドはエベレスト並み

勝海舟談・・・「象山はすごい物知りだけどさ、ホラ吹きで困るよ」

江川太郎左衛門談・・・「象山が大砲を作りたいっていうから、教えてあげたんですよ。だけど、試しうちの時点で壊れちゃってね。そしたらそれを全て人のせいにするんだよね。プライド高すぎて困るよ」

友人A談・・・「女を紹介しろってうるさいんだよね。どうやら頭が良くて尻のデカイ女がいいんだと。オレ様の子は優秀になるから、あるていど出来のいい女をよこせだとさ」

勝海舟の妹談・・・「どうやらワタクシなら優れた子を産んでくれるだろうということで選ばれました」

スキな女性のタイプ・・・「頭が良くて健康で、オレ様の優秀なDNAを受け継げるような子供を産める女」

ペリー談・・・「思わず象山を見たとき、おエライさんかと思ってペコリと挨拶しちゃいましたヨ」

ペリーの部下談・・・「象山は武士らしい顔をしてるネ!写真一緒に撮りたいネ!」

象山の息子談・・・「ボクは父の仇を討つために新撰組に入隊しました。だけど厳しすぎてやめました。ボクは象山の息子ですから、扱いが悪いのでやめてやりましたよ!ボクはあの象山の息子ですからね!」

河上彦斎談・・・「恐ろしかった・・・。アレ以来、人斬りは卒業しました」

歴史メジャー度・・・★★★★

管理人お気に入り度・・・★★

キャッチフレーズ・・・幕末のセクハラ男


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西行 さいぎょう 1118年〜1190年
平安・鎌倉時代の歌人

もと武士だった西行は鳥羽上皇に仕えていた

が、23歳の時、突然武士をやめて出家

鞍馬や嵯峨などに小屋を作り、全国各地を旅しながら和歌を作りまくった

69歳のときに、奥州に旅立つ途中、源頼朝とであった

頼朝は西行に色々と教えを乞い、お礼に銀で作った猫の置物をプレゼント

が、西行はそんなもんいらんと、その辺で遊んでいた子にあげちゃった

そして最後は吉野山の奥に小屋を作り、沢山の桜の歌を作った

そして72歳で死んだ


願い・・・「ワシは源平の戦いなどで乱れた世を捨てたかったのじゃ」

西行の娘談・・・「パパはひどいの。出家するとき、アタシ、泣いてパパにまとわりついたの。だけどパパは私を縁側から庭に蹴落としたの!パパなんて大嫌い!」

夢・・・「できることなら桜の花の咲いている下で、春に死にたい。2月頃がいいな・・・」ちなみにこの夢は叶った

自慢・・・「ワシの歌は新古今和歌集に94首もあるんじゃ。あの藤原定家でさえ46首じゃぞ。フフ」

歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★


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斉藤一 さいとうはじめ 1844年1月1日〜1915年9月28日
幕末・新撰組の隊士

幕臣であった山口家に生まれたが、人殺しをしちゃったため京都に逃げちゃった

その頃、上洛してきた浪士組(新撰組)と出会い、隊士となる

新撰組に入ると、剣の腕を買われ副長助勤となり、最終的には三番隊の隊長となる

伊東甲子太郎が新撰組を抜けた時もスパイ活動をしたりと、近藤のために働きまくる
スパイをしたため、伊東甲子太郎の部下達の復讐の対象となり、名前を「山口二郎」に変え、鳥羽伏見の戦い等にも参加

が、とうとう幕府はぼろぼろになり、ダイスキな近藤勇が処刑される

ずーっと新撰組として戦い続けるも、剣の時代は終わりを告げようとしていた
薩長の新兵器にはかなわず、とうとう敗戦色が濃くなると、土方歳三と対立するように

というのも、土方は新撰組を仙台に連れていこうとしてたんだけど、斉藤は会津藩の恩義を忘れられず、会津に残って戦いたかったのだった

こうして斉藤は会津に残ったが、なんとか生き延びた

その後も名前をたびたびかえ、警察官となり、最後は東京教育博物館に勤め亡くなった


性格・・・無口・余計なことは一切しゃべらない・きれい好き

好きな人・・・近藤勇・松平容保

謎・・・会津のスパイという説もある

好きなもの・・・酒

死因・・・胃潰瘍 (酒、飲みすぎました)

新撰組隊士談・・・「とにかくとにかくとにかく寡黙です。寡黙すぎて怖いです」

すっきりしたこと・・・警察官となり、西南戦争で薩摩をメタメタにできたこと


歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★



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酒井 抱一 さかいほういつ 1761〜1828
江戸時代の姫路藩主の弟

幼い頃から賢く、武道のほかにも能や和歌・お茶などありとあらゆるものをうまくこなす子だった

そのため、色んな大名家から「是非養子に来てください!」とスカウトされまくる

が、抱一は「大名になったら俺のスキなことできないじゃん?」と全て断った

そのため酒井家では「もしや酒井本家をのっとる気なんじゃないか!?」とゆーことに

抱一はそれを聞くと「うるせぇなぁ!そんな気ねぇよ!俺は自分の行動が縛られるのが嫌なんだよ!」と、突然37歳で出家してしまった

酒井家はあまりの抱一の身勝手さに、お金をあげるのをやめちゃった

すると抱一は色んなトコをうろうろし、画を書いて売ったりして生計を立てていった

どうやら憎めない人だったらしく、いろんな人が手助けをしたらしい


趣 味・・・たくさんありすぎて困るよ

夢・・・たくさんありすぎて困るよ

好きなこと・・・たくさんありすぎて困るよ

お気に入りスポット・・・たくさんありすぎて困るよ。その中でもしいていえば吉原かな?可愛い子いっぱいいるしさ

遊女A談・・・「ん・もーーー!抱一ちゃんは吉原で大人気よぉ!センスいいものぉ〜」

遊女B談・・・「ん・もーーー!抱一ちゃんみたいなマルチ人間なっかなかいないわよぉ。トークも楽しいし、ほんといいお客さんなのぉ〜」

鴻池儀兵衛談・・・「いやいや、あの人はほんとに色んな才能がある人ですよ。商売人の鴻池としては、あーいう生き方はうらやましいですよ。このワシも色んな画を買わしていただきましたよ」

幕末の岩崎家談・・・「はい。明治時代になってから抱一さんの画を手に入れました」

酒井家家臣談・・・「あれだけ優れたお方だというのに、出世を嫌がるとは・・・。宝の持ち腐れとはあのことですよ」


歴史メジャー度 ★

管理人お気に入り度 ★★★★



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坂上田村麻呂 さかのうえたむらまろ 758年〜811年

日本初の征夷大将軍

桓武天皇の時代、日本列島統一を目指してた

で、桓武天皇は2度失敗したので、田村麻呂を征夷大将軍に任命して蝦夷征伐に向かわせた

今までは天皇や皇族しか指揮官をしたことがなく、一介の職業軍人が指揮官になるというのは初めて

で、蝦夷を制圧しました

以後、軍神として崇められています


体型・・・身長180センチ 体重120キロ 目は鷹のように鋭く、ひげは黄金に光っていて、赤ら顔

鬼人談・・・あいつが怒ると、まじでこえーよ

チビッコ談・・・タムラマリョがわらうとうれちい

オレの屍・・・甲冑姿のまま立って棺に入り、平安京に向かって葬られた。死んでも守れってこと

オレの後悔・・・蝦夷のヤツラとの約束を守ることができなかったこと・・・。思い出すだけでも辛い

歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★



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斉藤 龍興 さいとう たつおき 1547〜1573年

戦国時代の大名。斉藤道三の孫

お父さんの義龍が死んだことにより、14歳で家督を継ぐも若かったこともあり素行が悪くって、家臣からあまり好かれてなかった

でもって、斎藤家をやっつけよーと思っていた織田信長にはチャンス到来

信長はねちっこく斎藤家を攻撃する

龍興の家臣に竹中半兵衛がいたため、なんとか織田軍の攻撃をストップできてたんだけど、ホント龍興は人を見る目がないため、竹中半兵衛を全然優遇せず、むしろいじめてた

怒った半兵衛はとうとう龍興の居城である稲葉山城を占拠し、気が済んだのがさっさかと出て行ってしまう

これがきっかけとなり、龍興はますますバカにされるようになっちゃう

でもってとうとう信長が本格的に動き出し、とうとう稲葉山城を出て逃げてしまった

以後、縁戚関係にある朝倉義景のとこに逃げて、客分として居座ってたんだけど、朝倉家も織田に攻められ、逃げる最中に殺されてしまった


秘密・・・出生は謎だらけ

好きなもの・・・酒と女

嫌いな人・・・織田信長

驚いたこと・・・朝、眼が覚めたらいきなり城ができてた!(秀吉の墨俣城)

すごいこと・・・織田信長・豊臣秀吉・竹中半兵衛といったこの時代の天才3人に攻められたってことがあ る意味すごい

家臣A・・・「はぁ・・・。もう殿の世話は疲れました。おじい様はお父上はあんなに立派だったというのに」

家臣B・・・「美濃三人衆や竹中殿をまったく重宝しないんです。自分のお気に入りの愚鈍な家臣ばかりを側に置いているんですよ。あれじゃだめです」

ルイス・フロイス談・・・「世間デハ龍興殿ヲバカダトイイマスガ、彼ホド有能デ思慮深イ人ハイマセンヨ」


歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★


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雑賀孫市 さいか まごいち 

戦国時代、鉄砲集団を率いてた謎の名将

別名を鈴木重秀(こっちの名前も有名だよ。でも同一人物じゃないとゆー説も)

雑賀孫市率いる「雑賀衆」は、紀伊半島の南西部にいました

雑賀衆は鉄砲技術がめっちゃ優れているとこでした

本願寺顕如VS織田信長の戦いが始まると、本願寺は雑賀衆に助けを求めてきました

雑賀衆は鉄砲隊を見事に駆使し、25人を一組とし交互で射撃

が、孫市も銃撃戦で負傷し、ついに降伏

以後、消息は不明であります


名文句・・・「かかるところに雑賀の軍勢 あまた馳せ参り 入れかえ 入れかえ 放ちかけたれば 鉄砲の音百千の富も鳴り落ちたるやうに覚えたる」

嬉しかったこと・・・信長の足をケガさせたこと

仲間・・・根来衆

織田信長談・・・やつらの鉄砲隊の射撃術を長篠の戦でマネしてやったぜ


歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★★ ゲーム「信長の野望」で鉄砲を持たせるとめっちゃ強いっ♪


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佐竹義宣 さたけ よしのぶ 1570〜1633年

戦国時代の大名

秋田藩の初代藩主

お父さんは「鬼義重」と言われるほどすっごく強い人で、その長男として生まれた

義重が隠居したので、家督を継ぐことに

家督を継いだころの佐竹家の廻りは敵だらけで、伊達政宗や北条氏直から攻められまくってたんだけど、豊臣秀吉が出てきて天下ゲット

この頃、石田三成と仲良くなり三成のおかげで実質82万石を支配することができた

でもって、秀吉の北条をやっつけるぞ!という命令に参加し、徳川・島津・毛利・上杉・前田と並んで豊臣政権の六大将と言われるように

「俺がここまで来れたのは三成のお・か・げ」と、三成に恩義を感じまくりなんだけど、これがその後大変なことになっちゃう

まず秀吉が死んだ後、加藤清正らが「三成やっつける!」とゆー三成襲撃事件が起きる

この時、義宣は三成を助けたので、徳川家康は「あいつは三成の味方だな・・」と、義宣を要注意人物リストに入れちゃう

で、関ヶ原の戦いが始まると佐竹家はてんやわんやに

義宣は「次の天下人は家康だろうな。でも、三成を裏切ることはできないぜっ!」と言ったため、家中大騒ぎに

義宣はとうとう三成の味方になって西軍に入る!!って決意したんだけど、お父さんがダメダメ!!西軍は負けるから東軍に入るべきだ!と、反対

結局悩みに悩んだ末の決断は、上田城を攻めた徳川秀忠に300の兵を送っただけ

関ヶ原は東軍が勝ち、佐竹家の曖昧な態度に怒った家康は佐竹家の所領をめっちゃ減らした

大阪の陣では徳川につき、三成のいない豊臣家を相手に武功をたてた

以後は穏やかに日々を過ごし65才で死んだ


趣 味・・・茶の湯

特 技・・・城作り

親 友・・・石田三成 「あいつがいないと生きてる意味ないぜっ」

最大の後悔・・・三成を見捨てる形になってしまったこと

せめてものお詫び・・・「三成に仕えていた者たちの世話をしました」

大阪の陣の時のキモチ・・・「三成が大阪方にいなくて良かったぁ。恩義ある三成と戦うなんて絶対無理」

徳川家康談・・・「義宣は天下一の律儀者じゃ。が、あまりに律儀すぎるのも困ったもんじゃわい」

徳川秀忠談・・・「ぼく、けっこう義宣のこと好きなんだ☆」

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島村速雄 しまむら はやお 1858〜1923

明治時代の軍人

土佐で生まれ、海軍学校へ入学する

日露戦争の時に第一艦隊兼連合艦隊参謀長として出陣

ロシア軍のバルチック艦隊がやってくるので、東郷平八郎率いる連合艦隊は対馬沖で待機してた

が、なかなかやってこないので「もしかしたらバルチック艦隊は津軽海峡行ってるんじゃないの??」ということになり、急遽津軽へ・・・

が!!ここで大反対したのが島村で「絶対ここにいたほうがいい!」と猛反対

しかたなく島村の意見を取り入れまつことに

でもって、本当にバルチック艦隊がやってきた

この時、島村が反対してなければ日本は負けてたかもしれないってくらい、重要なポイントを押さえた男


性格・・・控えめ・判断力がいいが、情が深すぎる

趣味・・・相撲観戦

マブダチ・・・吉松茂太郎・加藤友三郎

ショックな出来事・・・婚約が決まってたのに、馬から落ちて耳鳴りの後遺症が残ったら婚約破棄されたこと

島村家談・・・「家系は火の車でした。人が良すぎるのでご馳走してあげてばかりなんです」

知人A談・・・「島村の活躍は、全部秋山って感じになってたよな〜。島村って控えめだからさぁ」

知人B談・・・「あいつは人が良すぎるよ。同郷者のめんどうばっかみてたよ」

知人C談・・・「人の世話するために、自分の養老保険を使ったらしいよ」

知人D談・・・「軍人のくせに、功名心が全然ないんだよ。珍しい奴です」


歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★★ 

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柴田 勝家  しばた かついえ
戦国時代の武将

織田家の重臣。信秀・信長に仕えた

が、嫡男・信長のあまりのうつけぶりに呆れ果て、品行方正な弟・信行を織田家の跡取りにしようともくろみクーデターを決行

しかし信長はいち早くソレを察知し、抵抗

その時信長に怒鳴られ、しゅんとなる

さらに信長の采配をみて「こいつ、いえるかも」と見直し、以後は信長に絶対的に服従するようになる

そして前田利家・佐々成政らを率いて「東北・上杉牽制チーム」のリーダーに抜擢

だけど勝家、気に入らないことが

自分の名前の一文字をあげた羽柴秀吉がメキメキと頭角を表してきた

「なんだよアイツ。農民出身のくせにヨォ。口ばっかうまくて調子いい男だぜ」とムカつきはじめる

ムカツイてたので、浅井長政と離婚してきた秀吉のアコガレのマドンナ・お市の方と結婚してやってニヤリ

そんな勝家にとって大事件が!

なんと本能寺の変で明智光秀によって信長が殺された

敵討ちしたくても上杉勢とバトル中のため、敵討ちという絶好のチャンスを秀吉に奪われた

その後、重臣として信長の三男を新当主にプッシュするも、秀吉のプッシュする三法師が新当主になってしまいムカムカ

秀吉とケンカすることになったが、雪に埋もれた東北にいるためなかなか身動きとれず、雪解けをまってバトルに挑むも賤ヶ岳の合戦にて負けてしまい、最後は城に戻り妻・お市の方とともに炎の中に消えた



性格・・・一本気・こう!と決めたら曲げない・熱い

ニックネーム・・・瓶割り柴田

信頼してた人・・・前田利家 「裏切られた時のショックは言葉にできぬ」

嫌いな人・・・サル(秀吉)

歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★ 「あまりにも筋が通り過ぎてたのがかえって気の毒」

キャッチフレーズ・・・一本気


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白瀬矗 しらせのぶ

1861年〜1946年 秋田出身

お寺の子供として育った白瀬矗はかなりの悪ガキでした。

その後、軍人となり「北極に行きたいな」と思い始め計画するも、日露戦争のため計画はポシャる。

そうこうしているうちに北極にたどり着いた人が出てきてしまい、ターゲットを「南極」に

同じ頃、アムンゼン隊やスコット隊も南極を目指してスタート!

白瀬矗は「負けてたまるか!」と南極を目指すも、日本政府は探検にお金を出してくれないので食料不足になったりとすったもんだ

そしてやっとこさ南極大陸に到着

すると前方に見えるのがアムンゼン隊の「フラム号」

白瀬隊は「追いつくぞ!」と盛り上がりを見せましたが、実はアムンゼン隊はすでに南極点に到達し引き返す途中でした

それでも南極探検レースに参加できたことはとても素晴らしいことと褒められました

ちなみに南極大陸に到着し、犬ぞりで南極点を目指しましたが激しい吹雪にあいとうとう諦めた

南緯八十度五分の「あきらめたスポット」に「大和雪原(やまとゆきはら)」と名づけて引き返したのであった

さらに大変なことに、帰国してからは借金返済のエブリディ

晩年は超貧乏で過ごしたが、功績を称えられ南極観測船は「しらせ」というネーミングに決定



後悔してること・・・「もう少し早く出発していれば・・・・」「ー塊の岩石も採集できなかった」

感動した映画・・・南極物語

嫌いな人・・・アムンゼン・スコット

歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★


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静御前  しずかごぜん

平安時代の白拍子  義経の愛人

京都で白拍子をやっていた静

京都に雨が降らず天皇が「100人の美しい白拍子を舞わせたら竜神が雨を降らせてくれるかも」ってことで、100人の美女白拍子のトリに選ばれた

静の番になった時に雨が降り始めたので、「日本一の白拍子」のお墨付きをもらう

その後、義経と出会い愛人となる

が、義経はおにーちゃんの頼朝とケンカして都を追われることに

静はついていくも、途中「女人禁制」の山で別れ、鎌倉幕府の兵に捕まり、鎌倉へ連れて行かれる

そこで頼朝が「鎌倉繁栄の舞をやれ!」と命令するも、反対に「義経ラブ」の舞を踊る

義経は超激怒するも、妻の政子に「まぁまぁいいじゃないの。」となだめられなんとか静はセーフ

が、静は義経の子を妊娠しており「女だったら生かすが男だったら殺す」宣言をされる

ビクビクの中生まれたのは男

静は生まれたばかりの赤ちゃんを海にしずめられ、泣く泣く行方をくらましたのでした

静御前のインタビューあります。



好きな人・・・義経サマ

嫌いな人・・・頼朝・東国武士たち

感謝してる人・・・政子さん・大姫さん

特 技・・・舞で男のハートをノックアウトすること

歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★

キャッチフレーズ・・・日本一の白拍子


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島 左近 (しま さこん)

戦国時代の武将 石田三成の家臣

出生は??

最初は筒井順慶の家臣だった。

その時に松倉右近という家臣とともに「左近・右近」と呼ばれ大事にされてた

が、順慶が病死すると、養子の筒井定次の家臣になったが、どうやら気が合わず出て行ったらしい

その後は羽柴秀長(秀吉の弟)→秀保に仕えたがこちらも死んでしまい、浪人に

有名人だったので他の武将からスカウトがきまくったが、誰のところにも行かなかった

そんな左近がなんと石田三成に仕えることに

どうやら三成は自分の知行4万石のうち半分をあげるから!と言ってスカウトしたらしい

こんなに自分を買ってくれるんだ!と感動した左近は三成に忠誠を誓うことに

ちなみに三成のご主人様である秀吉は、三成が左近をゲットしたというのを聞いてめちゃくちゃ驚いた

こうして左近は「三成に過ぎたるものが2つあり。島の左近と佐和山の城」とまで言われるように

そんな左近にとって大事件が起きた

ご主人様の石田三成と徳川家康が天下を巡っての大喧嘩「関ヶ原の合戦」に突入!

左近はもちろん三成とともに戦うことに

左近は戦争屋として色々なアドバイスや作戦を三成に言うんだけど、三成は正義感溢れまくってるヒトなので「そんな卑怯な手は使えない」と、せっかくの左近のアドバイスを却下しまくり

左近はムッとしながらも、三成とともに死ぬ覚悟を決める

こうして左近は関ヶ原の合戦においてめちゃくちゃすごい戦いぶりを見せる

左近は田中吉政・黒田長政隊に向かっていった

その戦いぶりたるや、めちゃくちゃ凄まじいものだったが、とうとう討死してしまいました

ちなみに左近の首は見つからなかった


好きな人・・・石田三成

黒田隊A・・・「いやー、彼のあの時の姿を思い出すだけでゾッとします」

黒田隊B・・・「実はね、合戦時の島左近の軍装を誰も覚えてないんですよー。いやホント、恐ろしすぎてねぇ。恐怖で誰も覚えてないんです・・・」

田中隊・・・「アレは死兵だ!マジでマジでマジで怖かった!ほんとマジです!」

ヒトコト・・・「家康?あんなヤツたいしたことねぇよ!オレ、三方が原の戦いに出たんだけどよ、家康なんてちょちょいのちょいだったぜ!信玄や信長のほうが全然イケてるんじゃねーの」

ヒミツ・・・幼女好き

歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★★★

キャッチフレーズ  戦国の七不思議武将


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白河上皇 しらかわじょうこう 1053年〜1128年

平安時代の権力ゲット天皇

藤原道長全盛期時代のすぐ後に飛び出してきた天皇

お父さんの後三条天皇は藤原氏にいじめられ続けてきたので、徹底的に藤原氏弾圧しまくった

白河は藤原氏の流れを汲んでいる為、お父さんはなんとしても白河を天皇にしたくなかった

が、白河は頭がよかったので、お父さんの死後、天皇の座をゲット

それからはもうやりたい放題

自分の息子を皇太子にして9歳の時に天皇を譲り、上皇となる

そして「院政」をスタートさせる

「院」というのは、モト天皇が住む場所

上皇となって「院」で政治をするから「院政」と言います
無断転載禁止です ハガクレ★カフェより
今までは天皇の外戚が権力をゲットしてたけど、白河上皇からは「天皇のおじーちゃん」から「モト天皇・天皇の父あるいはじーちゃん」という存在が権力を握るようになる

こうして白河上皇は死ぬまでの43年間「院政」を続けて、この間ずーっと独裁者として政治を仕切った



思い通りにならないもの3つ

「私の思い通りにならないのは加茂川の水とサイコロの目と山法師の3つだけ」

@加茂川の水 洪水はどーにもならん!
Aサイコロの目 ギャンブルはどーにもならん!
B山法師 武装した坊さんのこと。こいつらが暴れだしたら手がつけられん!

女性関係・・・「覚えとらん」

ヒミツ・・・ロリコン

隠し子・・・平清盛

お気に入りの女性・・・藤原璋子(しょうし)「かわいいオナゴでのぉ。ワシの孫と結婚させたわい。ん?そうじゃよ。ワシは孫の奥さんとずーっとラブラブだったのじゃ」

孫・鳥羽天皇談・・・「ボク、璋子のこと地味にスキでした。だけど、おじいちゃんとデキてると思うと・・・」

家臣談・・・「いやービックリしましたよ!雨が4日も降ったから怒っちゃって雨を器に入れて牢獄に入れろ!って言うんですよ。いや、一応はやりましたけどね、雨は反省しないでしょうね きっと」

歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★



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無断転載禁止です 
聖徳太子 しょうとくたいし 574年〜622年

飛鳥時代の超有名人 昔の一万円札の人

用明天皇の息子で、母は蘇我氏系の穴穂部間人

どうやら母が宮殿内にある厩(うまや)のドアにぶつかって産気づいたらしい

どいうことで厩戸皇子(うまやどのおうじ)と呼ばれていた

この頃の最大の権力者は蘇我氏

蘇我氏のプッシュで日本初の女帝「推古天皇」が誕生すると、厩戸皇子は摂政となり、推古・厩戸・蘇我氏の三頭立てで政治を行った

冠位十二階や十七条憲法もつくったと言われている

さらに中国の煬帝という王様に手紙を出し、外交も頑張った

が、人気がですぎて蘇我氏に疎まれ始める

困った皇子は「都を出て斑鳩の実やで平和に暮らしたい」といい、ドロップアウト

そしてひっそりと死んでいった

ちなみに聖徳太子という名前は死んでからつけられた



特技・・・一度に10人の話を聞くことができる

農民A談・・・「厩戸皇子が死んだとき、何人もの人が口を聞けなかったんですよ!」

農民B談・・・「厩戸皇子が死んだとき、うちのガキが泣き止まないんすよ」

蘇我氏談・・・「あいつ、人気ありすぎてウザイ」

煬帝談・・・「なぁーーーーにが日出づる処の天子じゃぁ!なーーーーーーんでこの俺様が日没する処の天子なんじゃあ!!なんて失礼な手紙じゃあ!」

小野妹子談・・・「いやー、煬帝さんの怒りようったらなかったですよ!すごい怒った返事の手紙をいただきましたが、こんな手紙日本にもって帰ったら大変なことになると思ってね、捨てちゃいましたよ」

ウワサ・・・実は冠位十二階も十七条憲法も聖徳太子の功績ではない!?

歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★★



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島田魁 しまだ かい 1828年1月15日〜1900年3月20日
幕末 新撰組の隊士

美濃出身で、29歳の時江戸の心形刀流・坪内主馬のもとへ入門。ここで永倉新八と出会う

新撰組に入隊したのは36歳の時。もちろん局長である近藤らよりも年上だった

すごい力持ちで、池田屋をはじめ、新撰組の大きな事件にはほとんど関わっている

鳥羽伏見の戦いでも活躍したが、負けてしまい、江戸に戻る

新撰組が甲陽鎮撫隊になってからも参加

土方歳三とともに行動するように

近藤勇が処刑され、土方らは榎本武明らとともに箱館に行くが、この時も一緒に参加

が、五稜郭では新政府軍に負けてしまい、名古屋に身柄を預けられ、明治5年に釈放された

それからは京都で雑貨屋さんをするが、つぶれる

するとこんどは剣術の道場を開いたが、それもつぶれる

最後は西本願寺の警備員のアルバイトをし、明治33年に本願寺の境内で倒れた。73歳でした


外見・・・でかい 身長182センチ 体重150キロ

自慢・・・「私は新撰組を最初から最後まで見届けました」

仲良し・・・永倉新八

永倉新八談・・・「オレ、鳥羽伏見の戦いの時に、逃げようとしたら鎧が重くて塀が登れなくてさ、それをアイツ、ひょいと軽くオレのことを持ち上げたんだよ。すげー怪力だよな」

むかつくこと・・・「箱館で最後まで戦った榎本武明がさ、明治新政府のお偉いさんになったんだぜ?許せねーよ。あいつ、久々に会いたいとか言ってきたけど、俺はぜってー会わねーぜ!!」


歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★



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志賀直哉 しが なおや 1883年2月10日〜1971年
明治〜昭和の小説家

宮崎県生まれ、2歳の時に父が銀行員だったため東京へ

そして学習院大学へ入学

ここで武者小路実篤と同級生になり仲良しに

で、文学にハマっちゃって、学校を退学しちゃう

ちょうどこの頃「足尾銅山問題」というのがあって、これに自分のおじいちゃんが開発に関わってたことを知り大ショック!

コレが原因でお父さんと大喧嘩!以後、お父さんとの関係は悪くなる

その後、武者小路実篤らとともに「白樺」という雑誌を作る

ここに自分の作品「網走まで」を発表し、作家人生がスタートする

「或る朝」などを発表し、少しずつメジャーになるも、30歳の時とうとうお父さんと決裂し、放浪人生を送る

このお父さんとの関係がある意味「暗夜航路」といった作品を作り上げるきっかけとなる


ニックネーム・・・「小説の神様」

オモヒデ・・・実篤や有島武朗らと作った「白樺」

自慢・・・「白樺派」として社会的ブームとなりました

嫌いな人・・・太宰治

ビックリしたこと・・・「電車に跳ねられたこと」

オモヒデの作品・・・和解 「父との関係を暴露しました」

代表作・・・「暗夜航路」「城の崎にて」「和解」「小僧の神様」

管理人読書感想・・・「城崎にて・・・イマイチよくわからんかった(笑)」

芥川龍之介談・・・「彼の作品は最高です!」


歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★


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寿桂尼 じゅけいに

戦国時代の女性 今川義元の母 俗名は不明

寿桂尼は、京都の公家である中御門家の娘

戦国時代が始まる頃、京都の公家はビンボーになりつつあったので、守護大名としてお金持ちだった今川氏親と結婚させられた

寿桂尼は長男の氏輝と五男の義元、そして北条氏康と結婚することとなる瑞渓院を出産する

1526年にダンナが死ぬと、長男氏輝が跡継ぎとなったが、まだ14歳だったため、後見人を選ぶこととなった

このとき、後見人となったのが寿桂尼

ちなみにこの時代、女性が後見人になるなんて考えられない時代なので、いかに寿桂尼が政治能力に優れていたかがわかる

こうして寿桂尼は息子が一人前になるまで!と、後見人となるが、氏輝はもともと病弱だっため24歳で死んでしまった


ここで次の跡継ぎ問題が起こる

三男である玄広恵探(げんこうえたん)と、四男と五男の義元であります

四男ははじめから跡継ぎ争いを降りたらしい(ちなみに、この人は後にかなりの高僧になる)

この頃はまだ長男が跡継ぎになるのではなく、正室の産んだ息子が跡継ぎになる時代った

ということで、五男の義元がなるはずだったんだけど、三男の恵探の母である福島氏はかなり勢力を持っていたためバトルを繰り広げることに!

これが「花倉の乱」と呼ばれる戦い

が、義元にはナイスな軍師がいた。それが太源雪斎で、寿桂尼はこの雪斎とつるみ、勝利をおさめ、義元を跡継ぎとすることに成功

「あとは雪斎におまかせしましょ♪安定した老後が送れるわ〜」と思ったのもつかの間、なんと雪斎が死んでしまい、さらに義元が桶狭間の戦いで織田信長に殺されてしまったのであります

今川家は義元の息子である氏真が継ぐが、イマイチ能力がない

こうして寿桂尼は今川家の将来を心配しつつ、死んでいったのであります



遺 言・・・「わが墓を駿府今川館の東北に建てよ!!」東北ってのは鬼門なので、寿桂尼は死んでからも今川家を守ろうとしていたのであります

お宝・・・ハンコ

家臣談・・・「女性が後見人ということですが、いやいや、あの方は例外ですぞ。誰も反対しませぬ。いや、できませぬ」

太源雪斎談・・・「義元様のために寿桂尼はかなり尽くしてくださいました。最高の女傑でございます」

ショックだったこと・・・「まさか義元ちゃんが、あんなうつけにやられるなんて・・・」


歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★★

キャッチフレーズ 女戦国大名

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十返舎一九 じゅっぺんしゃいっく 1765年〜

江戸時代の作家 「東海道中膝栗毛」の作者 本名は重田貞一

駿府(静岡県)で生まれた一九は武士の家で生まれました

一九も武士として大阪奉行で働いてたんだけど、どーやら武士が嫌だったらしく、大阪の材木屋のお婿さんになっちゃった

が、一九はお酒大好き遊び人だったので、離婚させられちゃった

困った一九は浄瑠璃の台本を書き始め、何とか生活してました

30歳の時に心機一転江戸へ向かいました。で、本屋さんをやっていた重三郎さんの家に居候させてもらうことに

ここで黄表紙本を書いたら人気に

そしてついに!38歳の時に「東海道中膝栗毛」を出版

江戸に住むヤジロベエとキタハチの2人が東海道中を旅する物語で、江戸庶民に大人気に!

7年間かけて17冊を出し、完結するも「もっと続きを書いて!」と言われ、また書き続けることに

そんな一九も病気になり、とうとう「こりゃもうダメだ」と思った一九は弟子達を枕元に呼び「おりゃー、もうすぐ死ぬけど湯灌はいらないからね。着替えもしなくていいから。その代わりにさ、この箱を棺に入れてくれ。んでもって火葬にしてくれ」と言った

こーして一九は弟子達に看取られて死んじゃいました

さて、遺言どおり弟子達は箱を入れて火葬すると、突然爆発音が響き渡り、棺おけから火がゴウゴウと出始めた

お葬式に来た人はビックリ!!

どうやら一九は箱の中に花火を入れて皆を驚かせたらしい

死に際までこっけいな人であった


性 格・・・遊び好き・気前がいい

好きなこと・・・人を楽しませること

自 慢・・・足が健康なこと。「おかげで色んなトコを旅して、作品の資料にできました」

一九のセリフ・・・この世をば どりゃお暇と線香の 煙とともに 灰(はい)さようなら

弟子A・・・「まったくすごい先生ですよ・・・。花火ですよ!?花火!!僕たちに火が襲い掛かってきましたよ!!!」

歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★


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聖武天皇 しょうむてんのう 701年〜756年

奈良時代の天皇

生まれたときから天皇になることが約束されてた

そのためぬくぬくと育っていた

当時の政治の権力者は藤原家。それに対抗してたのが長屋王とゆー皇族だった

で、聖武天皇はというと、ぶっちゃけ長屋王が嫌いだったので藤原家を応援してた

ってことで、藤原家は長屋王を殺しちゃった

が!こっから流行病などが続出し、藤原家でも死者続出

聖武天皇は「これは長屋王の呪いだぁ!」とびびりまくり

意味不明の遷都(都を移すこと)を繰り返し、庶民から税金をしぼりまくった

極めつけは「奈良の大仏」

自分の身を守る為に大仏を建てるというビックプロジェクトを計画するも、お金が無い

ってことで、三世一身の法を強化した墾田永年私財法を作った

今までの三世一身の方は三代限定だったけど、これからは自分で墾田したらずーっと自分のモノにしていいよという法律

さすがにずーっと自分の物になるよ!となったら、農民は必死に墾田しまくった

これによって完全に公地公民は崩れることとなる

とまぁ、なんとか無理やりお金をかき集めた聖武天皇

なんとか大仏を完成させましたが、その5年後に死んじゃいました



性 格・・・ビビリ屋

憧れの人・・・鑑 真

はまってるもの・・・神だのみ

奥さんの光明皇后談・・・「もう世の中がめちゃくちゃでね、伝染病や災害なんかで大変でしたわ!わたくし、なんとか色々と頑張ろうとしてたんだけど、肝心の聖武天皇が長屋王の呪いだーワー!ワー!とちょっとノイローゼ気味でしたの。ったく・・・」

逆らえない人・・・おばあちゃん元明天皇(グランマザコン)

自慢・・・奈良の大仏を建立したこと「すごいでしょ?高さ15メートルだよ?工事に参加した人なんて260万人なんだから!ボクちゃんの自信作!えへん」

ボクのお宝・・・「ふふふ。東大寺の大仏殿裏にボクのお宝コレクションがあるんだ。すごいものばかりだよ!!触らせないから!」


歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★★


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島井宗室 しまい そうしつ 1539〜1615年

戦国時代の商人・茶人

博多で生まれ、金融業&酒屋をしつつ朝鮮と日朝貿易を行い、めっちゃ稼いだ

最初のお得意様は大友家だったんだけど、島津家のほうが力をつけてくると、織田信長にプレゼントを差出して保護してくれるようお願い

その後は秀吉の保護を受けるも、秀吉の朝鮮出兵に大反対したため嫌われる

関ヶ原の戦いの後は黒田家がお得様となり、なんとか無事に過ごせた


マブダチ・・・千利休

お得意様・・・豊臣秀吉

苦手な人・・・豊臣秀吉

自 慢・・・「ワシが売る茶器は、国一つと交換できるレベルの茶器ばかりじゃ」

ライバル・・・神屋宗湛と大賀宗九 「同じ商人で博多の三傑と呼ばれていました」

自 慢・・・かなりの朝鮮通

特 技・・・金儲け

安心したこと・・・秀吉が死んだこと


歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★


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島津義弘 しまづ よしひろ 1535〜1619年

戦国時代の武将

薩摩藩16代目の島津義久の弟

島津家の武力担当

初陣の岩剣城攻略から始まり、横川城攻略、朝鮮出兵での勝利など、52回におよぶ合戦にずっと勝利し続けるという猛将

この輝かしい武将人生の唯一の汚点が、66歳という老齢で大敗した関ヶ原の合戦

最初は東軍に着くつもりだったのに、成り行きで西軍につくことになっちゃった

でもって、会議の時に石田三成に対してめっちゃ腹を立てた

三成はちょっとダメなとこがあって、百戦錬磨の義弘に対して礼をあんま尽くしてなかったんですね〜

そのため本番の関ヶ原の戦いでも、義弘はいつまでたっても動かなかった

そのうち小早川秀秋の裏切りによって東軍ががんがんやってきた

島津軍を取り囲むのは背後の伊吹山と、左右前方の東軍8万と正面の家康軍

八方塞となった状態で、逃げることを決めステガマリ先鋒で中央突破に挑み、狂気にも似た熾烈な撤退作戦を行った

これが成功し、島津軍はある意味「すげえ」ということに

死ぬ思いで薩摩に戻り、義弘は家康と和平交渉を行いなんとかセーフ

家康は関ヶ原の合戦後、島津家をやっつけにいこうとしたんだけど、戦上手の義弘がまだ残っていたためあきらめた

その後義弘は隠居し、若者の教育に力をそそいだ


性 格・・・勇猛果敢な戦上手

恩 人・・・井伊直政・福島政則・立花宗茂

腹の立つ奴・・・鳥居元忠・石田三成

合言葉・・・チェスト!

薩摩の若者談・・・義弘殿は薩摩が誇る武人です!!

朝鮮の兵談・・・「石曼子(シーマンズ)は恐ろしい・・・」

家臣談・・・「義弘様がお亡くなりになる少し前のことです。もう食事をするのもままならなかったのですが、私たちが戦場での鬨の声をあげると、ガバっと起きてお食事をなさるのです。まっことの武人でございました」

関ヶ原時の家臣談・・・「必ずや義弘様を薩摩へお戻しするのだ!!我々の忠誠心を今こそお見せするのだ!!」

井伊直政談・・・「関ヶ原で逃げる時、島津の撃った弾がワシにあたって大怪我をしたんじゃ。が、義弘は後にワシに家康殿との仲を取り持ってくれるようお願いしてきた。あのような凄まじい戦い方を目の当たりに見たワシは、あやつを殺すのは惜しいと思ったのじゃよ」


歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★★


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島津義久 しまづよしひさ 1533〜1611

戦国時代の島津家16代当主 

島津貴久の嫡男として生まれた

チビッコの頃はめっちゃ大人しい性格で、3人の弟がすごい優秀だったので「あんなんで大丈夫なのかよ」と陰口言われまくってた

でもおじーちゃんが「義久は大丈夫!」と太鼓判

おじーちゃんの言うとおり、武勇で抜群の義弘・知略で抜群の歳久・兵法で抜群の家久といった優秀な弟達をまとめあげ、島津軍団を最強に育てていった



困ったときの作戦・・・おみくじ

習慣・・・毎晩反省をすること

家臣A談・・・弟達がどれもこれも優秀すぎたので、ほんとにどうしようかと思いました。でも「島津に暗君なし」という言葉は真でした

家臣B談・・・義久様ですか?ええ、そりゃあ地味ですよ。ですがなんていうんですかねぇ、素朴な雰囲気に皆なごむというか・・・。弟3人はすごすぎるので、義久様の雰囲気が安心感を与えるんですよねぇ

徳川家康談・・・「自らは動かず人を動かすのが大将である。その様は島津義久に並ぶものはいないな」

マイ・ドリーム・・・九州統一

嫌いな人・・・徳川家康

むかついたこと・・・秀吉に九州を攻められたこと

言いたいこと・・・地味ですけど、なにか?


歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★★★


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島津斉彬 しまづなりあきら 1809〜1858年

薩摩藩21代目の当主

小さいころからおりこうさん

お父さんの斉興よりおじいちゃんの影響が強く、特に洋学に興味津々だった

ちなみにこのおじいちゃんが浪費家だったので、薩摩藩の上層部は斉彬が藩主になったらおじいちゃんの代のようにお金を使いまくるんじゃないか?そうしたら薩摩藩は大変だ!とゆーことになっちゃう

ということで、お父さんの側室・お由羅が産んだ久光を当主に!とゆー声が出てきて薩摩藩が真っ二つに

これは斉彬と仲良しの幕府老中・阿部正弘らが仲裁に入り、斉彬は当主になることができた

藩主になってからはメキメキとその実力を発揮

開明的な斉彬は世界に視野を向けまくった

そして将軍継嗣問題(慶喜VS家茂)では慶喜をプッシュ

が、敗北してしまい抗議するべく江戸へ向かおうと計画するが、そのさなかで死んでしまった

コレラと言われてるけど、藩の保守勢力に暗殺されたとゆー説もある


特 技・・・人材育て「優秀であればビンボーでも金持ちでも関係ないのだ」

興味のあるもの・・・写真

斉彬に抜擢された有名人・・・西郷隆盛「斉彬様が死んだ時は後追い自殺しようかと思ったでごわす」

尊敬する人・・・母親の弥姫「この時代、乳母をつけて育てるのが当たり前なのに、母は自らの手でワシを育ててくれたのじゃ」

嫌いな人・・・父・斉興の側室・お由羅「彼女のせいで御家騒動がおきましたからね」

作った名産品・・・薩摩切子

自 慢・・・日の丸を掲げるよう提案したのはこのワシ

松平春獄談・・・「ワシと山内用堂・伊達宗城と斉彬の4人が幕末の四賢候と言われてますが、この4人の中じゃダントツに賢いです。ワシらは足元にも及びませんよ」

篤姫談・・・「ま、私は利用されたようなものですから」


歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★★


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菅原道真 すがわらのみちざね

平安時代の人 

道真の生まれた菅原家は学者として代々朝廷に仕える家柄だった

頭の良かった道真は宇多天皇のお気に入りに

ソレが気に入らないのはもちろん平安時代の大物一族藤原氏

さらには道真の異例のスピード出世をねたんだ学者仲間からもイジメにあう

とにかく頭が良かったばっかりにイジメられまくりの人生

とうとう藤原時平というおエライさんに騙され、九州の大宰府に左遷されてしまう

何にもしてないのに左遷されショックの道真

九州の地で「都に帰りたい・・・」と嘆く毎日を送るが、願かなわず死んでしまった

こっからがスゴイ

道真は怨霊になっちゃいました!

自分を騙した藤原時平が病死し、さらには都は疫病・凶作続き

道真の後に右大臣の座をゲットした人も泥沼に落ちて死亡

さらには皇太子まで死亡

もう次々死亡!死亡!死亡!

道真のタタリじゃー!と恐れたおエライさんたちは焦って清涼殿で緊急会議

ところがなんと!この清涼殿に突然ピカゴロドカーン!と雷が落ち、おえらいさん達が真っ黒こげになってしまった

もう朝廷は大パニック!!

道真の怨霊をしずめるために太宰府天満宮などを作りまくった

そのため日本全国「天満宮」だらけになった


バリバリ伝説・・・「オレって頭いいだろ?だからカンコー学生服がオレッチの「菅公」っつー呼び名を取ったらしいぜ」

バリバリ伝説その2・・・「オレって頭いいだろ?だからいつの間にか学問の神様になったらしぜ」

平安時代の学者A・・・「学者のくせに政治家になるとは何事じゃ!学者は学者らしくしろ!右大臣辞職しろ!」

平安時代の学者B・・・「わし、いじめてないです!悪口言ってないです!だから殺さないでぇ」

平安時代の学者C・・・「菅公殿が遣唐使を廃止してくれてホッとしました。唐に行くのは命がけでしたからねぇ。ホント、ワシ心から感謝してるんですよ。だからワシは呪わないでくだされぇー」

藤原道長談・・・「フフフ。道長の怨霊が邪魔なお偉いさんを全て死なせてくれたわい。おかげでわしの望月の世の到来じゃ。わははは」

宇多天皇談・・・「わし、道長のこと好きだったのに・・・。助けてあげられなくってゴメン!」

功績・・・遣唐使を廃止させたこと「だって唐に行くのは命がけですヨ?わしみたいな優秀な人が難破して死んじゃったらお国にとって損失ですよ!」
  
歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★★

キャッチフレーズ・・・平安の冤罪博士



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諏訪頼重 すわ よりしげ ?〜1542年

戦国時代の大名 

諏訪の大名であった頼重のとこに武田信玄の父・信虎が侵略してきたことから戦国時代に躍り出た一族

以後、武田VS諏訪は何度も何度もバトルをしたが、なかなか決着がつかず、信虎はとうとう諦めた
そして信虎は三女のネネ(武田信玄のおねーさん)と頼重を結婚させた

以後、諏訪は武田家に協力する家となっていた

が!!なんと信玄が諏訪攻めを始めてしまった

それを聞いた頼重は「は?だって信玄の実の妹と俺、結婚してんだよ?しかも諏訪と武田仲良くなってるじゃん!信玄が攻めてるなんて嘘だろ?」と信じなかった

が、事実としった頼重は大慌て
すぐさま兵を出したが間に合わなかった

すると信玄、なんと「俺ら武田と諏訪の仲を裂いたのは高遠頼継だぜ?あいつが俺に嘘言ったから攻めたんだよ!こうなったら一緒に高遠をやっつけようぜ!」と言ってきた

「なるほど。そうだったのか!」と、頼重は高遠を討つべく信玄のいる甲府の東光寺へ行った

が、いつまでたっても信玄は来ない

「アレ?」と思っていた頃、なんと頼重のもとに一本の刀が送られてきた

ここで初めて信玄の思惑に気がついた頼重

が、ここは武田の領地。いくら騒いでもどうにもなんない

かくして頼重はこの刀で腹を十文字に引き裂き死んだのであった


ラストセリフ・・・「わが骸(むくろ)は、諏訪の湖に沈めてくれ!!死んでも甲斐にはいたくない!」

諏訪の領民・・・「信玄という男はなんと非道な男じゃ!!!」

自慢・・・「娘です。絶世の美女なのじゃ」「わが諏訪家は超名門の家柄なのじゃ」

妻・ねね談・・・「兄が私の夫を切腹させるなんて!信じられない!!ショックで私も死んでしまいました!まだ20歳にもなっていないというのに・・・ヨヨヨ・・・」

後悔してるコト・・・「信玄めを信頼していたこと」

死んでも嫌いな人・・・「信玄信玄信玄信玄信玄信玄信玄」


歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★


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諏訪御料人 すわごりょうにん すわひめ 

戦国時代の姫 由布姫とも言う 武田信玄のお気に入り

上に書いた諏訪頼重の娘
めちゃくちゃ美人だったそうです

9歳の時に甲府に人質として送られ、12歳の時に父が殺されちゃいました

甲府で暮らしていましたが、年を追うごとに美人になってきたので、信玄が側室にしちゃいました

信玄の家臣達は大反対!!
「滅ぼした家の娘を側室にするなんて!諏訪の人たちが怒りますよ!!」

が、山本勘助だけが「いやいや、諏訪姫に子を生ませ、その子を諏訪の領主にすれば、諏訪の民たちは喜んで、もっと頑張りますぞ」

こうして諏訪姫は信玄の側室となった

絶世の美女である諏訪姫に信玄はメロメロ。正室の三条の方を差し置いて、寵愛は諏訪姫に注がれた

そして諏訪姫は男児を出産した。これが後の「勝頼」

が、諏訪姫は25歳という若さで死んでしまったのでした



驚いたこと・・・「まさか父の仇である男の妻にさせられるとは・・・」

密かな野望・・・「いつの日か、勝頼を跡継ぎに・・・」

苦手な人・・・三条の方 「だって怖いんだもん」

頼りにしてる人・・・「勘ちゃん」

由布姫の由来・・・「風林火山」という本で使われているから。実際は諏訪御料人らしい

歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★


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末次平蔵 すえつぐ へいぞう 1546〜1630年

戦国時代の海商

博多の豪商の家に生まれ、朱印船貿易で大もうけした

めっちゃ商売が上手く、長崎屈指の商人として大名に匹敵するほどのお金持ち


船印・・・「平」

主な輸入品・・・水牛や鹿、鮫の皮 「武具の製造に使うんですよ」

お得意様・・・豊臣秀吉 「8人の長崎商人に一隻づつ朱印状をくれるんですが、ワシだけ二隻いただいていたんですよ」


歴史メジャー度 ★

管理人お気に入り度 ★★★


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推古天皇 すいこてんのう 593〜628

飛鳥時代の33代目天皇

お父さんは欽明天皇でお母さんは蘇我稲目の娘・堅塩媛

前天皇の崇峻天皇が蘇我馬子に暗殺されちゃったので、「次の天皇どうする??」問題が

候補は2人いたんだけど(一人は後の聖徳太子)まだ2人とも若く、「若い人を天皇にしたら蘇我氏の思うがままになっちゃうかも」とゆーことに

そこでご意見番として天皇家にいた炊屋姫(あ、推古天皇のことね)を急遽天皇にすることに

そして厩戸皇子を「摂政」という地位につけ、政務を行わせることにして、推古・蘇我馬子・厩戸皇子の三頭政治がスタート★

政務のほとんどを厩戸皇子にお任せしちゃってたんだけど、なんと厩戸皇子が死んじゃった

そのあとすぐに蘇我馬子も死んでしまい、ほぼお任せ状態だった推古天皇はがっくり

でもって、次の天皇を決めないまま推古天皇も死んでしまった


別名・・・豊御食炊屋姫尊(トヨミケカシキヤヒメノミコト)・額田部皇女

裏仕事・・・シャーマン

溺愛息子・・・竹田皇子「死んだ時はどうしようかと思いました」

マイ・バック(後ろ盾)・・・蘇我氏

外 見・・・めっちゃ美人とゆー話


詳しく知りたい人はコチラをみてね


歴史メジャー度 ★★★★★ なんといっても、日本初の女帝ですからね〜

管理人お気に入り度 ★★★


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杉田玄白 すぎた げんぱく 1733〜1817

江戸時代の蘭学医

江戸で生まれ医学修行をして育つ

日本橋で町医者として開業し、蘭学医仲間も出来始める

ある日友達の中川淳庵がオランダ商館から借りた「ターヘル・アナトミア」を持って遊びにきた

その本を見てめちゃくちゃ衝撃を受ける

藩に相談して「この本買ってくれ!!」とお願いし、ターヘル・アナトミアに書いてある解剖図が正確なのかどうかを確かめるべく、お仲間たちと処刑された人間を解剖することに

そして「ターヘル・アナトミア」を和訳して「解体新書」として発行した


マブダチ・・・前野良沢・中川淳庵

苦労したこと・・・オランダ語の勉強 「だって、ホントに難しいんですよ」

解体新書完成の瞬間・・・「その時のうれしさは、何にも例えられません」

ホッとしたこと・・・解体新書を発行した時、全然弾圧がなかったこと

ナイショ話・・・「解体新書=ワシって感じですが、実はオランダ語を一番勉強して頑張ったのは前野良沢なんじゃ」

言いたいこと・・・「大事なのは努力より根気じゃな」

衝撃だったこと・・・「初めてターヘル・アナトミアを見た時」

嬉しかったこと・・・解体新書を発行したら、門人が殺到したこと

感動したこと・・・将軍に御目見えできたこと



歴史メジャー度 ★★★★★ 

管理人お気に入り度 ★★★


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崇徳天皇 すとくてんのう 1119〜1164

平安時代の75代目天皇

お父さんは鳥羽天皇でお母さんは待賢門院の第一皇子

崇徳はお父さんにめっちゃ嫌われてた

とゆーのも、実は待賢門院は鳥羽のお父さん・白河法皇の愛人で、崇徳はこの2人の子供だから

とゆーことで、第一皇子でありながら、実の子じゃないため疎まれてた

でも、白河法皇がめちゃ可愛がってたので鳥羽はじーっと我慢

崇徳が11歳になった時、白河が死ぬと鳥羽はもー大喜び(?)

さっそく若いお嫁さんをゲットしてホントの子供(近衛)を産ませた

でもって、この子を次の天皇に!と、メラメラ燃えはじめる

でもまだ待賢門院がいたので大人しかったんだけど、待賢門院が死んでからは崇徳をいじめ放題

いよいよやばくなってきた時に、なんとこの弟(近衛)が死んじゃった

ホッとしたのもつかの間、近衛の母親が「近衛が死んだのは崇徳が近衛をキライで呪ってたからよ!絶対崇徳の子を皇太子にしないでちょうだい!キー!!」と、言い出した

鳥羽はも崇徳の息子に後を譲りたくなかったのでコレ幸いと、近衛が死んだのは崇徳らが呪詛をしたせいだ!と、重仁親王即位を却下しちゃったのです

で、天皇レースから思いっきり外れていた「忘れられていた崇徳の弟」(母親は待賢門院璋子)を天皇に無理やりしちゃったのです

77代 後白河天皇

とゆーことで、とうとう崇徳VS後白河の大喧嘩が始まっちゃうのです

これが保元の乱

崇徳チームには、源為義・源為朝・平忠正(清盛の叔父さん)藤原頼長(弟)

ここに出てくる「源氏」は、白河上皇が引き立てた源義家の孫とひ孫

後白河チームには、藤原忠通(兄)・源義朝(源頼朝のおとーさん)、平清盛・平重盛(清盛の長男)

で、崇徳側の源為朝が「夜中のうちに後白河んとこに行って奇襲してやっつけちゃおう!」と提案

が、おエライさんの藤原頼長が「皇位をかけた戦いは白昼堂々とやるもんだぁ!」と却下

そしたらなんと、後白河天皇側が7月11日早朝、崇徳の家に不意打ち!

準備の整ってない崇徳側はあれよあれよと3時間ほどでボロ負け

崇徳は讃岐に流された

崇徳は、一応反省の日々を送る

で、保元の乱で死んじゃった人を供養するために、3年もかけ一生懸命お経を書いて京都の高野山に奉納してくれと送りました

が、後白河天皇が、「謀反人の書いたお経なんて置けるか!」と突っ返したのです

反省して書いたお経を突っ返された崇徳はブチ切れた

「オレは魔王になって天皇家を呪ってやる!天皇家以外の民をのし上がらせるようにしてやる!」といった内容の呪いの手紙を書き続け、ボロ布を身にまとい、髪の毛も伸ばしっぱなしのまま(天狗になったとか)その手紙に血を滴らせ瀬戸の海に沈めたのです

で、とうとう死んでしまいますが、死んだ時にも怪異が起きたとか色んな伝説が残ってます


特 技・・・蹴鞠

マイ・スポット・・・京都にある白峰神社 サッカーがうまくなるとゆー神社で有名

白峰神社伝説・・・崇徳チーム対後白河チームで蹴鞠をやった時に、崇徳が日頃の恨みを込めたシュート(?)を打ち込み、その鞠が岩にのめり込んだらしい。ストレス溜まってたのねー

嫌いな人・・・父と弟

好きな人・・・祖父と母

ちょっと言いたいこと・・・「崇」がつく天皇は悲劇の死を遂げた天皇に与えられる文字なのですよ

最大の仕事・・・呪い

スッキリしたこと・・・「俺の呪い、見事実を結んだぜっ♪保元の乱以降、天皇家はめっちゃ弱くなって武士がメキメキ頭角をあらわしてくるからな〜。スッキリだぜ」


歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★★★


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芹沢鴨 せりざわ かも 1827年?〜1863年9月18日

幕末 新撰組の初代局長

茨城で生まれた鴨は、神道無念流の免許皆伝となり、さらに水戸勤王派の武田耕雲斎に学び、天狗党に入った

が、ある日部下と大ゲンカし、むかついた鴨は部下3人を殺してしまった

ということで、死罪となった鴨でしたが、浪士募集というニュースを耳にする

その浪士募集要項に「以前犯罪を犯しててもOK」という項目があり、鴨は天狗党仲間とともに参加

初代局長となり、近藤勇らとともに京都へ

が、鴨の乱暴狼藉は留まることを知らない

こまった新撰組の大ボス・松平容保は近藤らに芹沢鴨暗殺を命令

こうして芹沢鴨は暗殺されたのでした


性格・・・乱暴・派手・はちゃめちゃ・とにかくすごい

マイグッズ・・・鉄扇

好きな人・・・お梅

好きなもの・・・酒と女

嫌いなヤツ・・・オレに逆らうヤツ・オレの言うこと聞かないヤツ

ヒミツ・・・梅毒だった?そのため酒に溺れた

鹿島神宮の人談・・・「いや、あの人、すごいですよ!うちの神社の太鼓がでかくて目障りとかいって太鼓を叩き壊したんですよ?信じられませんよ!」

大坂の力士談・・・「いや、あの人、すごいですよ!うちら力士に向かってケンカふっかけできたんですよ?」

角屋談・・・「いや、あの人、すごいですよ?うちの店を焼きまくったんですよ?信じられませんよ!」

新撰組メンバー談(匿名希望)・・・「いや、鴨さん、すごいですよ?でもね、剣の腕もすごいし、頭もいいし、密かに僕、あこがれてました。近藤先生たちには言わないで下さいよ!」

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★


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千利休 せんのりきゅう 1522年〜1591年
戦国時代の茶人

堺で生まれた利休は小さい頃からお茶が大好き

この頃、「お茶」は武将のスティタスで、利休は茶の世界で高い評価を受け、織田信長に仕えるように

本能寺の変の後は豊臣秀吉に仕えた

利休が好んだのはどこにでもあるけれど、使い方によっては素晴らしい名器になるという道具

利休は秀吉のように豪華絢爛な茶器は好みませんでした

秀吉は茶の湯に熱中し、合戦や旅行の途中でも茶会を開きまくった

そうした茶会のたびに利休に手前をやらせ、利休の名はみるみる世の中に広まっていくことになった

そうして利休の勢力は、政治や人事の領域にまで広がっていきました

ある日利休は大徳寺の山門に自分自信をかたどった木像を置きました

大徳寺には身分の高い人が通りまくるので、秀吉はいくら天下の茶人とはいえ、自分の像を置くとは!と利休に切腹を命じたのです

いくらなんでも切腹はひどすぎると周りは非難しまくり

秀吉の母や弟・秀長までもが利休の命乞いをしましたが、当の本人である利休が切腹をすると言いはったのです

利休の切腹はこれが原因と言われています

が、実は娘を差し出さなかったのが原因とも

利休の娘はとても美人で、秀吉は「あの女をワシに差し出せ」と命じた。ですが、利休はそれを断り「自分の娘にそんなことはさせられない」と断ったのです。

この直後に木像事件が発生

誇り高い茶人であった利休は、切腹を選んだといわれてます


ヒトコト・・・「あの秀吉殿の趣味の悪いキンキラキンには耐えられませぬ」

ポリシー・・・「茶の心はわび茶じゃ!黄金茶ではない」

弟・羽柴秀長談・・・「何も殺さなくても・・・」

豊臣秀吉談・・・「あやつはこのワシの黄金キンピカ茶センスをバカにしおった!それに朝鮮出兵にも反対しおった!茶人の分際で生意気じゃい!」


歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★★


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清少納言 せいしょうなごん 964年ごろ?〜?
平安時代の女性エッセイスト

清原さんという家で生まれた清少納言は、橘則光とゆー人と結婚するが離婚

離婚後「どうしようかなぁ〜」って時に、一条天皇の中宮(奥さん)の定子に仕えることに

が、この頃の超権力者は藤原道長

道長は、自分の娘を一条天皇の奥さんにしちゃったりと、何かと定子を邪魔者扱い

で、定子のおとーさんの道隆が死に、兄さんも左遷されちゃって嘆き悲しむ定子

それを支えてたのが清少納言だったのです

が、ちょーど西暦1000年に定子も死んじゃったので、翌年宮中を出ることになったのでした

晩年は落ちぶれてしまい食べるものにも困るという寂しい生活を過ごしたと言われている


特 技・・・ウィットに富んだ会話

エッセイ本・・・枕草子

定子談・・・「ほんっと清少納言にはよくしてもらいました。彼女には何度も元気づけられました」

紫式部談・・・「ほんっとムカつく女よね!頭がいいのをひけらかしちゃってサ!自慢ばっかしてる嫌な女よ!!」

悩み事・・・紙代がとっても高いこと

ストレス発散法・・・宮中ルポ

クチグセ・・・いとをかし



歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★


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仙石秀久 せんごくひでひさ 1551〜1614年

戦国時代の武将

最初は斎藤家に仕えてたんだけど、信長によって滅ぼされると信長の家臣である豊臣秀吉の下につく

そのころ、九州の島津家が大友家を攻撃してて、大友宗麟が秀吉に「助けて〜」とお願い

秀吉は先鋒に仙石秀久を派遣

一緒に戦うのチームが長宗我部元親と十河存保だったんだけど、全然意見があわずめちゃめちゃ

久秀は他の人の意見も聞かずに決戦に出てしまうが、ここで島津にボロ負け

しかもこの無謀な作戦のおかげで、元親の大事な大事な長男を討死させちゃう

秀吉は激怒するも、領地没収のみで首は斬らなかった

その後は謹慎ライフを過ごすんだけど、秀吉が小田原遠征に行くってことを知ると、20人ばかりの兵を連れて参戦

この時に、少しの兵で討死覚悟の戦いぶりをみせ、秀吉からお許しをもらった

それから伏見城の築城工事を行うんだけど、頑張ったってことで大名に昇格した


思い出の地・・・箱根の仙石原 「ここで必死に戦ったので名誉回復ができました。しかも地名までつけてもらっちゃって(照)」

人生最悪の戦い・・・戸次川の戦い

二度と行きたくない場所・・・高野山 「謹慎生活は寂しかったです。とほほ」

長宗我部元親談・・・「仙石は三国一の臆病者じゃ!うちの大事な嫡男をよくも・・・よくも・・・」

徳川秀忠談・・・「あいつ、けっこーいい奴だヨ。俺、意外と信頼してんだ」

前田玄以談・・・「石川五右衛門を捕まえたのは俺だから!!秀久じゃないから!!」



歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★


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蝉丸 せみまる 

平安時代の歌人

延喜帝(醍醐天皇)の第四皇子らしい

生まれつき盲目で、蝉丸の来世が良くなるようにと思った帝は清貫に命じて逢坂山に捨てさせます

清貫は悲しむんだけど、蝉丸は過去の罪業を償わせようとの父君の慈悲なのだと、恨み嘆く態度を見せませんでした

清貫は、蝉丸を剃髪し出家させ、簑、笠、杖をおいて去ってゆきます

一人になると、蝉丸もさすがに淋しくなって琵琶をひきつつギャー泣き

すると博雅三位とゆー人がやってきて、蝉丸のために小屋を作って助けてくれたとゆーお話が残ってます


噂話・・・実はただの古事記だったとゆー噂

マイスポット・・・逢坂の関

マイ・代表ソング・・・これやこの 行くも帰るも分かれつつ 知るも知らぬも逢坂の関

心の友・・・4番目のお姉さん

言いたいこと・・・「ボク、結構悲劇の人なんですよ。だから坊主めくりの時あまり嫌がらないでください」


歴史メジャー度 ★

管理人お気に入り度 ★★★★


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蘇我入鹿  そがのいるか
飛鳥時代の超エリート

600年ごろ権力を振るいまくった蘇我氏の御曹司

天皇をしのぐほどイケイケゴーゴーだったので、皇太子の中大兄皇子と「蘇我氏ばっかりいい思いしやがって」と妬んでいた中臣鎌足に狙われる

そしてとうとうこの2人は蘇我入鹿暗殺計画をたてた

645年6月12日 朝鮮から使者がやってくるというイベント時に入鹿を殺そうぜ!というもの

入鹿は用心深くいっつも刀を持っていたんだけど、この時は道化師がパフォーマンスをし、入鹿から刀を取り上げた

そして朝鮮からの手紙を読んでる最中に、暗殺者が入鹿を殺す!・・・というはずだったんだけど、暗殺者がビビってしまい、さらに手紙を読む人もこの暗殺計画を知ってたので「おい、なんだよ、まだなのかよ?」と緊張しはじめ手や声が震えまくった

入鹿が「なんだ?どうした?」と不審に思って声をかけた瞬間、我慢できなくなった中大兄皇子みずからが入鹿をメッタ刺し

これが乙巳(いっしのへん)

入鹿を暗殺した中大兄皇子&中臣鎌足はこれで一安心

大化の改新をスタートさせるのでした


性 格・・・強気・意外とマジメ

マイブーム・・・仏教

蘇我入鹿の言い分・・・「っつーかなに?オレって悪人になってるみたいじゃん。なんだよあの日本書紀って本よぉ!オレの悪口だらけじゃねーか!だいたいよぉ、日本書紀ってテメーらサイドが書いた本だろぉ?オレが政治やってた頃の方が市民からのクレーム少なかったんだぜ?ったくよぉ。冗談じゃねーよ」

皇極天皇談・・・「あぁぁ恐ろしかったこと・・・。わが息子の殺人現場を見てしまうとは・・・。あぁぁぁぁ」

盗賊談・・・「入鹿さんが死んで助かりましたっスよ。うっしっし。あの人、怖くってむやみに泥棒もできなくなってたんスよ。これからは盗り放題っスよ」

歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★★ 「絶対この人、悪くないと思う」

キャッチフレーズ・・・古代史の悪徳政治家


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十河存保 そごう まさやす 1554〜1587年

戦国時代の四国の武将

三好長慶の弟の子供として生まれるが、叔父さんの十河一存が急に死んじゃったので養子となり家督を継ぐことになった

本家の三好家が織田信長とバトルしてたので、十河家ももちろんのブナがとバトル

が、四国統一をしようとしている長宗我部元親とも対立することになり、しぶしぶ信長と手を組むことに

だけど信長が本能寺の変で死んでしまったため、長宗我部家に負けてしまい、今度は信長の後釜になってた豊臣秀吉を頼ることに

でもって豊臣秀吉の四国征伐に参加して、もともとの領地である讃岐3万石をゲット

が、お次の秀吉の九州征伐に参加した時、仙石久秀のめちゃくちゃな作戦に巻き込まれてしまい、戸次川の戦いで死んでしまう

まだ33歳でした


特技・・・鳥刺し舞

嫌いな人・・・長宗我部元親「何の因縁か、九州討伐ではヤツと同じチームになってしまいましたよ」

あきれたこと・・・仙石久秀の無謀な作戦「あいつ、ばかじゃないですかね?」

驚いたこと・・・仙石久秀の作戦を聞いたとき、反対したのはワシと長宗我部元親だったんですよ。さすがライバルだと思いましたね

むかついた戦い・・・中富川の戦い「なんといっても長宗我部に負けてしまいましたからね」

ライバル・元親談・・・「認めたくはないが、存保は優秀な武将である」



歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★★


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