明治13年 1880年 年表

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明治13年 1880年 年表
1月20日 シャム総領事品川弥二郎の斡旋により、シャムと本格的な国交開かれる

2月28日 有栖川宮熾仁親王を左大臣に任命

3月2日 メーソン来日

3月8日 スウェーデン最初の公使に柳原前光任命

3月 エッケルト来日

3月30日 村田銃が発明

4月24日 皇室紋章の乱用が禁止

どうやら似たような紋章が多く、紛らわしいということで似ているものは徹底して排除されていった
4月 日本語の新約聖書が完成しました

4月 楊守敬来日

6月6日 謎の人物 蘆原(あしはら)将軍現る!

この日、千住の電信局へいきなり男が現れ、こう言いました

「おれは正三位勅人官吏勲一等左大臣の蘆原将軍だ!電報をうってもらいたい!!」

係員は「え??」とビックリ
で、「えっと・・・。誰ですか??」

すると「だから蘆原将軍だと言ってるだろ!このバカモン!」と怒鳴り、そのまま行ってしまいました

数日後、上野の人力車と大喧嘩したらしく、その時も
「俺を誰だと思っておる!!かしこくも桓武天皇九代の後裔・蘆原将軍源義経だぞ!!このウジ虫めが!睨み殺してくれようぞ!」

どうやら、この人は蘆原金次郎という男性で、天皇や将軍など、いろんな名前を名乗っては奇妙な行動を繰り返していたそうです(笑)

7月17日 身分による刑罰の違いを廃止することに

7月 リンゴ水発売

続いてみかん水・いちご水も売り出されました
7月23日 久々の吉原刃傷事件

この日、吉原で刃傷事件が!

場所は「杉戸屋」

支払いが三十銭足りないお客さんがいて、それを罵ったところ、後日短刀を持って復讐しにやってきたのでした

死者2名を出す事件となり、久しぶりに花街は騒然としました

8月 北海道十勝地方にバッタが大量発生!農作物に多くの被害を出しました

8月 蘭の花が大流行

10月1日 花魁・静江 殺される

新吉原にある品川楼で、一番人気だった花魁の静江が、馴染み客の谷豊栄とともに殺されるという事件が

谷は警部補をしており、西南戦争でも活躍した人であります

去年、静江を初めてみた時にヒトメボレしてしまいました

静江に会いたいがために官金を使い込み、どうにもならない状態に

静江に一緒に死んでくれと持ちかけましたが、断られてしまいました

そして切羽詰まった谷は、静江の喉を突き刺し、自分も腹を切って死んだのであります

10月 鶏肉の缶詰が売り出される

10月8日 小笠原諸島、東京府に編入

10月25日 「君が代」が完成

11月 三遊亭円楽のすててこ踊りが流行

12月16日 第一次ボーア戦争

この頃は欧米列強の植民地獲得合戦がすごい時代でした

弱い国をどんどん植民地化していくことは当サイトの歴史の流れでもちょこちょこと説明してますが、この戦いも植民地がらみによる戦争となります

別名はトランスヴァール戦争

17世紀頃からケープ植民地(今の南アフリカ)に入っていたオランダ系移民の子孫のボーア人たちは、アフリカ南部の支配権をめぐってイギリスとずーっと対立しまくってました

が、イギリスがケープを占領したためボーア人たちはアフリカ大陸内部へ移動し、ナタール共和国を建設するんだけど、これもイギリスの進攻により潰されてしまいます

ボーア人たちはさらに内部へ移動し、トランスヴァール共和国とオレンジ自由国を設立し、イギリスもこれを承諾しました

が!なんとトランスヴァールの東部で金鉱が、そしてオレンジ自由国ではダイヤモンド鉱山が発見されたのであります

すると白人の技師たちがガンガンやってきました

でもってイギリスは「そっちに行った技師たちを保護するから!」という名目で自分達のものにしようとしちゃいます

怒ったボーア人たちはとうとうこの日、イギリスに宣戦布告したのです

あの大英帝国に勝てるわけないじゃん!といった感じだったのですが、なんと翌年の2月27日のマジュバ・ヒルの戦いでボーア人が大勝利したのです

どーやらボーア人たちの戦闘服はカーキ色で目立たないのに対し、イギリス軍は真赤な戦闘服だったようで格好の標的となったみたいです

これによりプレテリア協定が結ばれ、イギリスはトランスヴァール共和国を再度承認することとなりました

イギリスは戦いに負けてしまい面目丸つぶれ

が、1899年に再度この国を狙うこととなります。それはまたのちほど

12月17日 最後の仇討 臼井六郎「父母の仇!!」

福岡県の臼井六郎と言う男性が、父母の仇として東京上等裁判所の判事、一ノ瀬直久を殺害し自首してきました

これが最後の仇討となります

六郎の父は、維新当時藩政改革のために働いてましたが、洋式を取り入れようとしていた藩の方針にしたがっていたため、それに反対する一ノ瀬らに反感を買っておりました

で、明治元年に寝ているところを妻と一緒に殺害されてしまいました

六郎は当時8歳で、罪もなく殺されてた父母の無念を晴らすため、14年間ひたすら仇討のため生きていました

この日、一ノ瀬が旧藩士邸から出てきたところを、六郎が「父の敵!覚悟!」と短刀で首を刺したのです

その後、六郎は自首しました

この事件に世間は六郎を同情しまくり

政府はこの事件をきっかけに、「復讐禁止令」を出したのでした


12月28日 元老院が日本国憲案を天皇に提出

この年の出来事

・人口調査によると、日本の人口は35925312人 

・鍋焼きうどん・蘭の栽培が大流行

・乳製品(バター・粉ミルク)が発売される

・流行語は「ヘナチョコ」 新橋の花柳界で使われるように。現在でも使われてる言葉ですね〜