明治17年 1884年 |
明治17 1884年 年表 |
1月26日 井上哲次郎・三宅雪嶺らが哲学会を結成 |
2月2日 黒田清輝 渡欧して法学を学ぶために横浜を出発 |
2月6日 相撲にて引き分けが禁止される |
2月11日 大飲・大食コンテストが開催されました |
南葛飾郡の加藤金吉さんのところで、大飲・大食コンテストが開催されました ちなみにそれぞれの優勝者が食べた(飲んだ)のは・・・ 生米一升七合・・・これは開催者の加藤さんが優勝 酒→三升ニ号 豆腐→五十丁 水→二升 とまあこんな感じデス |
2月15日 学齢未満の幼児の小学校入学を禁じ、幼稚園設立を奨励する |
2月25日 清水次郎長こと山本長五郎が賭博容疑で逮捕される |
賭博で懲役7年、罰金400円に処せられる |
3月23日 京下谷竹町の雀を吹き矢で射らせる見せ物小屋が禁止される |
3月 弥生式土器発見される |
東京の本郷弥生町の崖の上で、大学予備門学生の有坂詔茂という男子が縄文土器とは違う土器を発見しました これが弥生式時となります |
4月 江崎礼二が月食の写真撮影に成功 |
5月13日 群馬事件起こる |
6月12日 鹿鳴館で日本初のバザー |
6月 横浜にて海水浴場が三日間開業 |
数年前から在日外国人が海水浴をしていて、日本人でも海水浴を楽しみたいという人が現れ始めました 料金をとって荷物を預かったりするようになるのはもうちょっと後から |
6月 鹿鳴館にて踊りの練習が行われる |
毎週月曜日 6月 鹿鳴館で毎週月曜日に踊りの練習が行われることに ドイツ人のヤンソンが先生となり、ピアノ伴奏も外人 シメのダンスは必ずポルカ |
7月1日 醤油税・菓子税が実施 |
7月7日 華族令が発布される |
この日、華族令が発布されました 今までは「公卿」と「大名」が華族だったんだけど、これからは「公」「侯」「伯」「子」「男」の5階級に分けられ、維新で活躍した人たちも華族に入れられることになった 公爵11人には、旧五摂家と、将軍家、そのほか頑張った!ってことで、岩倉・三条・毛利・島津(島津は久光と忠義) 侯爵24人は百万石持ってる前田家など。あ、大久保と木戸も入ってます 伯爵は76人で、伊藤博文や、現在活躍しているエリートたち 子爵は327人で、男爵は74人 合計508人の家が、華族となりました |
8月 森鴎外がドイツ留学へ |
9月 荻野吟子 医術開業試験に合格 |
9月23日 加波山事件 |
河野広躰ら自由党員16人が、福島栃木県の三島通庸らを暗殺するため茨城県の加波山にたてこもりました 目的は専制政府を転覆して、完全な自由立憲政府を樹立することが目的 革命の内容に驚いた政府は、ただちに加茂山に向かいました 25日に衝突し、爆裂弾を使った乱戦の結果、河野らは逮捕されました すぐさま首謀者の7人を死刑にし、他のメンバーは無期懲役に また、関東各地の自由党員らを弾圧しはじめました 自由党幹部はというと、「彼らの行いは軽挙妄動である」と、非難し見放してしまいました |
10月13日 グリニッジの世界標準時定める |
10月 名古屋事件 |
名古屋の自由党員が蜂起し、資金調達のための強盗殺人容疑で逮捕される |
11月6日 内村鑑三離婚を機に渡米する |
11月29日 小学校の教科にはじめて英語が登場 |
12月4日 甲申事変 |
ソウルで金玉均、朴泳孝ら親日派によるクーデターが起こる |
12月6日 飯田事件 |
愛知県と長野県の自由党員らが、名古屋鎮台襲撃計画を立てていることが発覚!! 村松愛蔵らが逮捕される |
12月27日 往復ハガキの発行が始まる |
この年の出来事 |
・鹿鳴館時代はじまり上流婦人の洋装が流行 ・大学ノートが発売される ・丸善が万年質を輸入する ・東京で二重回しが流行 |