明治23年1890年 

この年のピックアップ!!

小泉八雲が来日!日本における「怪談」

また、トルコ人は日本のことがとっても好きだそうですが(嬉しいことですね〜)そのきっかけとなったエルトゥールル号事件

政治では、第一回総選挙が行われました!といっても、投票できる人たちのレベルがめちゃ高いので、民意を反映してるとはいえない選挙ですけどね〜



明治23年 1890年 年表 
足尾銅山の鉱毒!渡良瀬川の魚が死滅
1月18日 米の高騰のため、富山で米騒動が起きる
1月21日 大井憲太郎・中江兆民ら自由党を再興
1月23日 新島襄死去
3月8日 駿河台ニコライ堂開堂
4月4日 ラフカディオ・ハーン来日小泉八雲来日
4月 温泉が人気に 特に伊香保はすごかった
5月1日 世界で初めてのメーデー開催
5月5日 板垣退助 愛国党を結成
5月30日 伊沢修二らが国家教育社を設立
6月 トルコが日本を好きな理由 エルトゥールル号事件

アジアとヨーロッパの中間くらいの場所に、トルコという国があります

この国の人は親日家がとっても多いことで有名です
なんで日本をこんなに好きになってくれたの??というと、そのきっかけとなったのがエルトゥールル号事件であります

この頃、オスマン・トルコ帝国も日本と同じような立場にありました
日本と同じく、ヨーロッパ列強に対して平等に扱ってもらうよう努力していたのです

で、トルコの使節団650名が日本はどうやっているのか?と調査しにくることに
約1年をかけてはるばるやってきた一行は、6月5日に横浜に到着
そして盛大な歓迎を受けました

目的を果たした一行は、9月15日に帰国することに

が、台風シーズンだったので、日本側は「今帰るのは危ないから、もうちょっと帰国を延ばしたほうが」と勧めました

するとトルコのオスマン・パシャ提督が「大丈夫です。私たちはアラーの神に守られ、インド洋の荒波を超えてやってきたので心配には及びません」と、出発してしまいました

ところが、神戸に向かってる途中にモロに台風に直撃し、和歌山県大島の樫野崎沖にて沈没してしまったのです

オスマン・パシャ提督を含む587人が死亡し、生存者は69人でした

翌日未明、岸に流れ着いた人は地元の村人に救われ、さらに日本側は生存者の救助・介護・犠牲者の遺体捜査など、全力をあげて事後処理を行いました

また義援金が集められ、慰霊碑もたてられました

この手厚い事後処置に、トルコの人々は感動しました

この事件以来、今日まで日本とトルコは深い友情で結ばれているのであります

7月 浅草で天体望遠鏡の見世物が大人気に
7月2日 第一回総選挙が行われ、議員が決定する

6月10日に第一回第一回衆議院総選挙が行われ、この日300人の議員が選ばれました

全国ほとんど1人区で、定員300の小選挙区
投票方法は住所氏名を明記し、実印を押すというもの

投票結果は

大同倶楽部・・・55
立憲改進党・・・46
愛国公党・・・35
九州同志連合会・・・21
自由党・・・17

選ばれて人の多くはめっちゃ金持ちの大地主さんたち

さらに選挙権がある人はというと、直接国税15円以上を納めている25歳以上の男子のみ
そのため、総人口4000万人のうちの40万人ほど
総人口の1%ですよ〜

これじゃあ民意が反映されませんよね〜
だって、選ぶ人も選ばれる人も金持ちばっかなんだもん


9月15日 愛国公党、自由党などが統合して立憲自由党が結成される
10月9日 岩崎弥太郎、土佐開成商社を成立(三菱の前身)
10月24日 伊藤博文、貴族院議長となる
10月30日 教育勅語、発布される (「忠」と「孝」が基本思想)




11月29日 第一回帝国議会が開催される

この議会はアジアで最初の議会となります

初めての選挙で選ばれた衆議院議員300人の平均年齢は42歳でした

ちなみにこの中には田中正造や尾崎行雄、犬養毅、中江兆民なんかもいました

中にはビンボー代議士もいっぱいいて、徒歩でやってくる人もたくさん

また、議員の服装は「フロックコートにモーニングが羽織袴」と決まってたんですが、お金が無く新しいものを新調できない人もいっぱいいて、着古した一張羅でやって来る人もいました

第一回目からワイロですぜ〜

まず、この当時の内閣総理大臣は山県有朋で、大蔵大臣は松方正義。でもって貴族院議長は伊藤博文で、他のお偉いさんもほとんどが薩摩藩と長州藩の人ばっか

で、首相の山県有朋が陸海軍にいっぱい予算をかけ、富国強兵策を出すんだけど、議会がめっちゃ反対しました

議会側は大幅な減税を要求したのです

今まで好き勝手やってた藩閥政治側はビックリ!!&困ったことになってしまいました

会期は100日だというのにまったく予算案が決まらず、とうとう残り10日になってしまいました

ここで、政府側が出していた妥協案が成立したのです

なんでか???というと、政府側が反対してた議員に賄賂を贈りまくったから

政治を動かすのは、記念すべき第一回目の議会からしてお金だったんですね(^^;)

ちなみにマジで燃えてた中江兆民らは、この後すぐに「こんな政治、やってらんねーよ!」と、辞表を出して議員を辞職しました


11月10日 浅草に凌雲閣ができる!エレベーターが話題に

この日、赤煉瓦で造った八角形.12階建ての凌雲閣の落成式が行われました

翌日から一般開業され大人気に!!

2階から7階までは、世界各国の風俗物が展示され、10階からは展望室で東京を一望することができました

ちなみに設計したのは東京帝大の教師でイギリス人のバルトン
この人は、東京の上下水道計画にも関わった人であります

11月20日 帝国ホテルが開業する
12月4日 北里柴三郎、ジフテリア、破傷風の血清療法を発見

ドイツのコッホ研究所において、ベーリングと共同で破傷風とジフテリアの血清療法を開発

12月23日 東京盲唖学校の石川倉次らが50音点字表を完成
この年の出来事

・新聞の囲碁記事が人気に

・コレラの流行で氷水がぜんぜn

・未成年の間で喫煙が流行する

・深川で靴磨きが現れました

・米価が騰貴!!兵舎の残飯を売捌いたものが大繁盛

・美顔がブームに

・マッチ箱の包装貼りという内職が大人気に