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明治25年 1892年 | |
明治25年 1892年 年表 |
1月 「ガンス言葉」が大流行 |
歌舞伎座で菊五郎が塩原多助に扮した時、「○○でがんす」というセリフを使いました これがたちまち大流行! 花柳界や芸人だけではなく、いいとこのお嬢様までもが「左様でガンスよ〜」と言ったりしました |
1月 至急電報が昼夜関係なくOKとなる |
1月15日 熊本英語学校教師でキリスト教徒の奥村禎次郎が、演説で「博愛」という言葉を使ったことで、国家思想と相容れないと知事により解雇される。 |
1月23日 植木枝盛死去。 |
2月2日 写真投票による美人コンテスト |
浅草の凌雲閣で人寄せのために芸妓の美人コンテストが開催されました 入場者が各階にある写真を見て投票するというもの 写真は当時評判だった小川一真が撮影しました が、このコンテストは3年で打ち切りとなりました |
2月11日 福島安正 シベリア横断へ出発 |
福島中佐がベルリン〜シベリア〜ウラジオストックの約14000キロに及ぶ単独騎馬冒険へ出発しました 帰国したのは1893年6月29日 およそ一年をかけて旅をしました 帰国後、一目英雄を見ようとみんな集まり、熱狂的な歓迎を受けました これは世界初の快挙になるとともに、今までわからなかったシベリア地方の情報が手に入るということで、日本陸軍は喜びました |
2月15日 第二回臨時総選挙は流血だらけ! |
第二回総選挙が行われました この選挙が数多くの死傷者を出す大混乱となったのです 原因は品川弥二郎内相が地方長官(知事のことね)に、「政府に反発する議員を二度と議場に戻すな!」と命令したからであります 政府に反発する議員とゆーのは「民党」のこと これに民党が怒り、地方によっては暴動化してしまいました 警察は政府側を支援して民党を弾圧し、各地で流血事件が多発してしまったのです |
3月11日 内相品川弥二郎、選挙干渉の責任をとり辞職 |
先日の臨時選挙の責任をとって品川弥二郎が辞職することになりました |
3月16日 オーストリア駐日公使クーデンホーフ伯爵と青山光子が結婚 |
5月 小学生の間で雪駄が大流行 |
5月 縁日でホタルが売られる |
6月16日 小包郵便法公布 |
7月 風月堂でマシュマロ(真珠麿)を販売 |
8月8日 第二次伊藤内閣成立 |
11月6日 大井憲太郎、東洋自由党結党 |
11月14日 山田顕義死去 |
11月27日 伊藤博文、交通事故に遭遇(伊藤の人力車が馬車と衝突、伊藤気を失う) |
11月30日 軍艦「千島」、英船ラヴェンナと衝突沈没、乗務員70余名溺死 |
万朝報が発刊! |
この年、黒岩涙香(くろいわ るいこう)によって「万朝報(よろずちょうほう)」が発刊されました 本誌12ページと付録2ページでなっていて、「簡単で明瞭で痛快」がテーマの本 そして「権力の支持は一切受けない」という強い方針で始まりました 以後、次々とすごいテーマを発表し、何度も発行処分を喰らいます 黒岩涙香は「まむしの周六」と呼ばれ、スキャンダルを恐れる人々から怖がられたのでした |
この年の出来事 |
・大阪角座で初めて男女混合劇が上演された ・アメリカからワニ革製品を輸入 ・この頃の流行 チャボの飼育・金歯・探偵小説・パナマ帽・ゴム細工の花かんざし ・日比谷にテニスコートができる |