| 明治44年 1911年 | |
|   日本・・・黒字 アジア・・・青字 アメリカ・ヨーロッパ・・・赤字  | 
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| 明治44年 1911年 年表 | 
| 高等遊民ってなに?? | 
この頃、増加してきたのが「高等遊民」とゆー人々 高等遊民とは高学歴だとゆーのに、仕事に就かない人たちのこと 夏目漱石の小説に出てくる「三四郎」なんかも高等遊民デス  | 
    
| 1月18日 大逆事件の判決がでる | 
大審院特別法廷では、幸徳秋水以下26名を大逆罪とし、うち24名を死刑に処すという判決を下しました  | 
    
| 1月24日 幸徳秋水ら死刑執行 | 
幸徳秋水・菅野スガ・宮下太吉・新村・古河を含むら12人がこの日処刑されました これまで報道は一切禁止され、裁判も非公開の異常さに海外からも非難の声があがりました 警察は、宮下太吉という戦闘的な暗殺計画者のまいた種により、幸徳秋水という無政府社会主義者の有名人らを一網打尽することができたのでした  | 
    
| 2月 東京内で速達郵便がスタート | 
| 2月21日 夏目漱石 「博士号なんていらないよ」 | 
この日、作家の夏目漱石が文学博士号を辞退すると発表しました 漱石いわく「ただの夏目なにがしで暮らしたいからさ、学位はいらないよ」とのこと  | 
    
| 2月21日 日米新通商航海条約、調印 | 
(関税自主権を確立)  | 
    
| 3月1日 日本初の洋風劇場「帝国劇場」 | 
外国のお客さんを案内するのに恥かしくない劇場を日本にも!!と、以前から伊藤博文が提唱していて、とうとうこの日、初の鉄骨鉄筋の洋風劇場「帝国劇場」が開場しました でもって、3年後には日本橋に三越呉服店が開店するんだけど、その時のキャッチフレーズは「今日はお芝居へ 明日はぜひとも三越へ」 これが「今日は帝劇 明日は三越」という有名なキャッチフレーズへと変わっていくのでした  | 
    
| 4月3日 日本橋の開通式に見物人が殺到!!死傷者がいっぱい出てしまいました | 
| 4月9日 吉原遊郭が大火事 | 
| 5月 上野動物園にカバがやってくる | 
| 6月1日 青鞜社結成 | 
| 8月30日 第二次西園寺内閣成立 | 
| 9月1日 「青鞜」創刊 | 
青鞜とは、 ウルーストッキングの和訳であります。 18世紀中ごろのイギリスの女権拡張論者で新しい考えと行動を起こした女性たちにつけられた名前のこと 今回日本でも、平塚らいてう、中野初らが中心となった文学雑誌「青鞜」が創刊されました 有名な巻頭の言葉は「原始、女性は太陽であった」 封建的な女性のあり方に反発し、文学を通して女性の独立や自由、新しい恋愛の形などを主張していきます で、こういった女性たちが「新しい女たち」と言われ、時代をリードしていくことになるのでした  | 
    
| 9月22日 「人形の家」が大評判 | 
島村抱月が訳したイプセンの「人形の家」が初めて上演されました ここで「ノラ」を演じた松井須磨子の演技が大好評となりました  | 
    
| 10月25日 片山潜・藤田四郎ら、社会党結 | 
| 11月 ジゴマの上映が禁止 | 
浅草の金竜館でフランス映画の「ジゴマ」が封切られました 神出鬼没の怪盗ジゴマと探偵の追いかけっこといったストーリーで、大人気に が、映画の手口をマネした犯罪や、子供らの「ジゴマごっこ」がエスカレートしてきたため、警視庁が「社会的影響が大だ!!」として、上映を禁止してしまいました  | 
    
| 11月29日 白瀬 矗(しらせのぶ) 南極点を目指す | 
この日、白瀬 矗中尉を隊長とする南極探検船開南丸が芝浦港から南極点を目指し出発しました 白瀬はもと千島探検隊の一員で、、その後東京日日新聞の図書室で働いていました ずーっと南極探検をしたいと思っていましたが、周囲の協力体制が整わずにいました ところが、世界各国の探検家が南極探検を!!というムードになってきました そこで朝日新聞社で大隈重信らが義捐金を出し、南極探検をすることになったのです 余談ですが、この「開南丸」の命名者は東郷平八郎 翌年の1月16日南極に到着し、28日、南緯80度5分、西経156度37分の地点に到達しました で、一帯を「大和雪原〔やまとゆきはら〕」と命名して国旗をたてて日本領地を宣言 ちなみに、後に大陸ではなくロス棚氷上だったことが判明しました ここまでは良かったんだけど、食糧・燃料不足から南極点到達は断念してしまいました 5月12日、長崎に帰着 この後、4万円の借金を1人で背負うこととなり、返済を終えたのは23年後でした  | 
    
| 12月14日 ノルウェーの探検家アムンゼン 初めての南極点到達成功 | 
| 立川文庫が創刊される | 
玉田玉秀斎と、妻の山田敬を中心として小型講談本「立川文庫」が創刊されました 第一回目は一休さん 以後、大久保彦左衛門や宮本武蔵、水戸黄門といったヒーローをガンガン描いていきます 40編目に出てきた猿鳶佐助は大正時代のチビッコのアイドルになりました  | 
    
| 帝劇内はバトルだらけ | 
今、帝劇で大人気なのが三浦環 天性の美声で明治の歌姫と呼ばれていました が、なんせわがまま 他の帝劇の女優達が「あんな女と競演したくない!」と怒り出してしまいました 専属女優の森律子や初瀬浪子といった、プライドの高い女優陣VS歌姫・三浦環のバトルが続くのでした  | 
    
| 日本初 銀座に「カフェプランタン」ができる | 
フランス帰りに洋画家・松山省三が銀座に日本で初めて「カフェ」と名のつく店がオープンしました 店名は「カフェ プランタン」 コーヒーのほかに、イタリア料理や洋物のお酒もありました が、一般人にはなかなか受けいることができず、経営維持のため会員を募ることに その会員に森鴎外・永井荷風・黒田清輝など文士や画家が入ったため、上質のサロンとなっていきました 常連客ともなると壁にラクガキをすることができ、これがプランタンの名物となっていきました  | 
    
| この年の出来事 | 
・流行語は「なんて間がいいんでしょう」 ・鈴木梅太郎がビタミンBの特許をとりました ・蓄音機・レコードが普及 ・東京にイルミネーションや広告が普及し、都会の夜を彩りました  |