性と愛の日本史


         

マジメにそしてミーハーに男色について紹介してますが
「ホモ」とか「ゲイ」といった言葉に嫌悪感がある方には
オススメしません

男色とは?

まず最初に「男色」って何??というとこから入りましょう

「男色(だんしょく・なんしょくとも読む」というのは、男性の同性愛のことであります。
「衆道」とも言います

で、この「男色」を知らずして日本史は語れません。マジです
有名な歴史人物にも男色を好んだ人はわんさかいます
しかも特別なことじゃなく、フツーにいます。むしろいることが当たり前ってな感覚だったのです
「え〜っホントに??」てな感じですが、ほんっとに男色抜きでは歴史は語れないんですよ〜
今回は、ちょっとディープ(?)な「男色の日本史」について紹介します

では、時代を追って「男色」について語っていきますので、ついてきてね〜


男色の始まり

日本ではいつから男色が始まったのでしょうか??
いちおー古事記にあるヤマトタケルがはじめてかと思われます
ヤマトタケルのことについて知りたい人は当サイトのミーハー古事記をチェックしてね

ヤマトタケルは色が白くて美少年だったようです
で、このヤマトタケルが九州のクマソ征伐に行くことになりました
この時、ヤマトタケルは女装して敵の宴会にもぐりこみました
そして敵の大将が美人さんのヤマトタケルを気に入り「ちょっとココこいよ〜」とご指名
ヤマトタケルを膝の上に座らせようとした時、ブスっと刺されて大将は殺されちゃったのです
ココがポイント
どーやら、ブスっと刺した場所が「お尻」だったのであります
ここから、男色を連想させるワケなのでした

とある書物(名前忘れちゃいました)を読んだところ、男色の発生は集団社会において自然に発生したとされてます
飯場や戦場・僧院などなど、男ばかりの社会の中で発生したと考えられていて、日本においてはごく自然にある現象だったのであります


書物の中の最初の男色

日本書紀に出ているお話
このお話、ちょっとこむずかしいので、簡単に説明しちゃいます

小竹の祝いと天野の祝いはめちゃめちゃ仲良しだったんだけど、小竹の祝いが病気で死んじゃいました
天野の祝いはものすごーーーく泣いて「私たちはほんっとに仲がよかった。どうして死後穴を同じくすることが避けられようか??」と言って、屍のそばで自殺しちゃいました
で、一緒のお墓に入ったんですけど、どーやらそこだけ太陽が当らない

で、二人を別々に分けたら、やっとこさ光が差したって話なんですけどね

ここから男色を想像するのは、ワタクシの少ない脳みそでは「男色だと光があたらないからダメなんか?」と思っちゃいますが・・・
資料によるとコレが最初の正史に出てきた男色とされとります


奈良時代の男色

奈良時代も男色がありました
「万葉集」を代表する歌人・大伴家持は美少年好きで、歌を残しちゃってます
では、キレーーーな歌をおひとつ・・・

・庭に降る 雪は千重敷く しかのみに 思ひて君を 我が待たなくに

意味はですねぇ〜

「庭に降ってる雪はふかーーーく降り積もった。けど、ボクが君を待ち焦がれてる気持ちはこんなんじゃないんだよぉ!!」ってな感じです
で、この歌は男性あてに詠んでるんですね〜。ラブラブですね〜

他にも男性あてに送ってる歌の意味だけをピックアップしまーす
・君の好きな人はボクじゃないってことはわかってる。けど、こんなにも尽くして君を思ってるボクはいったいなんなんだい??
・誰かから悪い噂でも聞いたのかい?だってこんなに待ってるのに君はきてくれないんだもん

恋する乙女状態ですね〜ww


空海が持ってきた男色

日本に男色を持ってきた男は空海だ〜ということになってますが、実際もっと前から男色はありました
ケド、男色をメジャーにしたのはこの人でしょうねぇ

空海は若い頃、唐の長安に渡って日本に仏教を広めた人ですが、それと同時に日本に男色の風習も広めちゃいました
仏教の世界では女人禁制が鉄則
女体は修行している男を惑わす魔物!!ってことであります
さらに女性の「生理」が穢れとされていて、肉体関係を持つと汚れるとも思われており、実際肉体関係を持っちゃったら破門!!なんてことも
この時代の僧というのは、日本をひっぱっていく人たちでしたから、そんな人たちが女体禁止〜なんてことになったもんだから、その風習が僧のみならずいろーんなトコに飛び火していくわけです


僧に大ブレイクした男色

ケド・・・・。実際、性欲ってどうしようもないヨネ・・・・というのが僧の本音

ってことで出てきたのが「稚児(ちご)」
稚児ってのは12歳から18歳くらいの少年のことで、僧の身の回りの世話をする役目の子達
成人になるまで修行しながらお手伝いなんかをするワケですが、僧と違って髪の毛がある
この子達が僧の相手をしたのでした
しかも稚児たちは自分達が「性欲の相手」ってことわかってました
だからキレーなカッコしてるんですねぇ
ちなみに、稚児との肉体関係は汚れじゃないんだ。逆に清浄になるんだ〜と、されてました
まぁアレですよ。
魔物である女性とエッチするより、キレーな男の子の方がいいっていう考えが蔓延してたのでありますよ
あ、男色がお盛んだったのは天台宗、真言宗だそうですよ〜

こーいった稚児=清浄されるっていった感覚は「稚児信仰」なんて言われてました
というより、僧が自分達のことを正当化するためのような気もするんですけどネ・・・

さてさて、その稚児はほとんどが成人するまで勉強するというのが目的で、お金持ちの息子なんてのもいたんですが、「人さらい」で無理やり連れて来られた美少年も数多くいるそうです
そして、僧の性欲のはけ口にされてしまっていたんですね


平安時代の貴族の男色

僧の世界に男色が入ってきたため、都の貴族の間でも男色が流行しました
なんせ唐の文化は平安時代の貴族にとって憧れでしたからねー
その唐から持ち帰ってきたとあれば、セレブの間で「男色」は大流行しちゃうわけです

時代は藤原家全盛ですが、いますいます。ゴロゴロと
が、貴族と僧の男色には違いがあります
僧は女性とエッチするのはダメだけど、貴族はOK
つまりバイセクシャルなのです

私たちが考える「男色」ってのは「男しかスキになれない」ってなもんですが、この時代は違います
セックスは異性とだけじゃなくちゃいけないっていう考え方自体がないんです
ってことは、男色だけじゃなく女色(レズビアンのことね)もあったんだろうなぁと思われますが、残念ながら女色のことについてはあんまり表舞台に出てきてないんですよねぇ

まぁ今の私たちの感覚とはまるで違うって事です

現代でこんなこと言ったら怒られちゃうけど、女は汚いものだったんです
だから、汚い女より自分と同性でキレイな男の方がいいって感覚
ちょっと変な感覚ですが、歴史モノの本を多く読んでると、なんとなーーく感覚が理解できてきます(笑)
あ、もちろんワタシは女性なんで女性蔑視は絶対嫌ですけどね

話は戻りますが、平安貴族達は身の周りの世話を少年達にやらせてました
この少年達がお相手となっていたのであります
セレブにとっては、女性も男性も両方たしなむってのが一般的だったよーです

平安貴族の中で、おもしろいのが藤原頼長
左大臣まで出世した人なんですが、日記に書いちゃってますよ〜
男だけの3Pとか、奥さんの兄弟とやっちゃった♪とかね
いやいや、すごいです
平安時代のキング・オブ・衆道です
この方についてはコチラでもとりあげております


武士の男色

さてさて、武士の時代になってまいりました
今までの貴族の男色とはちょっとカラーが違ってきます
武家社会になってくると、女人に溺れる人は恥である!!という考え方が出てくるんですね〜
男同士の方が男らしくってかっこいいじゃん!!みたいなね
ということで、好んで男色に突き進んでいく人がいっぱいいました

さらに、この時代になってくると「義」といった感覚が出てきます
その「義」の関係を築くにあたり、男同志の結束が必要になってきます
なんというか心と体のつながりによって「義」が生まれるんですねぇ

また、戦が多く行われるようになると、何かと縁かつぎをするように
そこで仏教の考えである「女性は穢れ」が出てきます
「女性は穢れてるから、関わっちゃいけない。戦いに負けちゃうよ!!」という流れに
戦はめちゃくちゃ大事なものなので、少しでもそーいった「悪」をはぶくようになってきました

ということで、戦場には女っケは一切なし
そうなるとターゲットは同じ男になってくるのです
さらに現代のように「同性愛?えーヤダ〜」みたいな感覚はまるでない時代なので、相手に男性を選ぶ・・・これはもう当然のことなんですね

武士の時代になって出てきたのが「小姓」です
家臣の息子なんかが小姓となり、お殿様の身の回りの世話をするようになります
小姓は身の回りの世話以外に、お殿様の「性処理」も行います
戦に女性を連れて行くことはできませんからね

小姓の努力(?)たるや涙ぐましいものがあります
肛門を広げて入れやすいようにしたり、おならの原因になるイモ類は食べないとか・・・
小姓の年齢は14歳〜18歳で、常にメンバーチェンジが行われていました
小姓の間、一流の武将になるべくノウハウを主人から盗み、また忠誠心も養われていくので小姓上がりは有力な家臣となっていくのでした
もちろん、小姓を持てるのは有力な武将だけなので、足軽なんかは自分で相手を探すことになりますけどね

ワタクシの予想では、たぶんほとんどの武士が男色経験を持っていたような気がします
有名な武将のカップルは別のとこで紹介しますが、この時代は戦において女性と関わりを持ってはいけないので、必然的に女性のような美少年が慰み者になってしまいます
これは別に悪いことでもなんでもなく、フツーのことだったのです

が!!戦国時代に日本にやってきた宣教師は、日本の男色文化をめちゃ軽蔑しました
キリスト教で「同性愛」は禁止だったため、仕方ないことなんでしょうけど、「野蛮でレベルが低い」とメタクソでした


江戸時代の男色

徳川家康が「江戸幕府」を開き、日本の中心は京都から江戸へ移っていきます
が、男色文化はいまだ健在!
このあたりで一番有名な男色家は「三代将軍・徳川家光」
家光レベルになると、ホンモノ(?)ですね←何が?って感じですが(笑)

というのも、家光は女性に興味がなく、男性のみにしか性欲を発揮しなかったからであります
今までの「男色」は男も女も両方ともOKのバイセクシャルが多かったですからね

そんな家光ですが、将軍なんだから跡継ぎ生んでくれないと困っちゃう
ってことで、春日局が必死でがんばり、なんとか女体開眼をさせたわけです
まぁ最初に選んだ相手も「尼さん」で、ちょっと中性的な感じの女性だったようですけど

江戸町民の男色

町民はどうなの?というと、実は男色が一般的になってきてました
原因は「歌舞伎」
江戸幕府が開かれる前に、日本中で大フィーバーしてた踊り子軍団がいました
それが歌舞伎の元祖・出雲阿国
出雲阿国は女性なんだけど、男装してダンスしまくり
ダンスといっても、ストリップに近いもんでした

これが問題になるわけです
「風紀上よくない!!」ってことで、幕府が取締に入っちゃいました
で、禁止されちゃったんだけど、これにかわって出てきたのが「若衆歌舞伎」
つまり、女が脱ぐのが問題なら、男ならいいだろ??ってことで、若い美少年達が踊って脱いだのです

さらにこの子たちは、一人前の役者になる前にイロイロ勉強!ってことで、売春もしたんですね〜
が、江戸に来ている大名や旗本なんかが若衆にベタボレしたりしてトラブルが多発!
で、コレも禁止されちゃいました

すると次に出てきたのが「野郎歌舞伎」
若い少年がダメなら・・・ってことで、今度は成人した男性が歌舞伎をやるわけです

が、ここにも役者として一人前になる前に稽古を積む10代の少年達がいます
この少年達が客をとって寝るようになってきたんですね〜
というより、取らされたといったほうがいいかもしれないですね

ちなみに、最初の頃少年たちが花を売るという売春はまだアンダーグラウンドな部分で行われてたんだけど、はっきりと「若衆芸人が売春する」というのが形になったのは1658年ごろのこと

どうやら京都で大々的な僧の集まりがあり、全国各地から偉い僧達が京都にぞくぞくとやってきました
で、集会が終わった後四条河原へ行き、我も我もと美少年を買いあさったのであります
田舎からやってきた僧たちは、初めて見る都会のキレーな美少年にメロメロだったことでしょう
このあたりから、歌舞伎の若衆を芸人という感覚ではなく、男色の対象としてはっきり見ることになったのでした

そうこうしているうちに、役者になる前の美少年なんかは「陰間(かげま)」と呼ばれるように
でもって、こーいった美少年達を集めた「陰間茶屋」が数多くできました
一般にも広く利用者が増え、お客さんは男性だけじゃなく女性も出てくるようになりました
陰間のNO1は、吉原の太夫と変わらないくらいのお値段になるほど。むしろそれ以上かも!
陰間茶屋のことはこちらで詳しく紹介しますね


幕末の男色

幕末も男色は盛ん
けど、考え方がちょっと変わってきました
というのも、武士たちにとって「家」が一番大事!
女性と交わらないと子供が出来ないからであります

でも、今までも男と女、バイセクシャルでやってきたじゃん?と思いますよね
実は江戸も後期になってくると、男色にもルールが出来てきたんです

というのも、「この人!!と決めた人以外とはエッチしない」というもの
「兄分」「弟分」といった義兄弟の契りってのを結ぶようになってきたのです

で、契った相手が女性とエッチしてるってのを知っちゃったら、刃傷沙汰になっちゃったりしたわけです
藩でもそーっいった刃傷沙汰は悩みの種だったようで、「男色はダメ!」なんていうお殿様もチラホラ出てきました

ということで、ちょっとづつ男色をめんどくさいと思う人も増えてきたんですね〜
それでも、まだまだ男色は健在してました


明治時代の男色

男色がいっちばん多かったのは「薩摩藩」の人々でした
でもって、幕府を倒したのは薩摩藩と長州藩
ということで、明治政府にはいっぱい薩摩藩の人が入ってきました
ってことは、もちろん男色は健在していたのであります

が!!明治時代は西洋の文化を多く取り入れ、日本を世界と肩を並べる強い国にしよう!という動きがありました
ここで問題なのは、西洋において「男色は文化レベルが低く、野蛮である」という考え
男色は富国強兵を目指す日本にとって、時代遅れのものとなってくるのです
これが原因で、徐々に男色はダメという風潮が現れてくるのです

が、またも復活の兆しが

この時代は世界相手に戦いがありました
若者達は軍隊に入るんですが、ここでもやはり男色は盛んになっていたようです
外国の学者さんなんかは「日本が日露戦争に勝てたのは、兵士同士の愛の絆が力になったのではないか?」なんていう人も

また、日本の匿名の政治家の手記によると
「男子同性愛が兵士や士官の間にものすごく蔓延している。多くの兵士が腕を組み、手に手をとっている」とあります


現代の男色

今、これを作成してるのは平成19年なんですが、いやいや、もう「男色」は難しいものになってきましたね
というのも、男色の中にも、いろんなパターンが出てきて、多様化しちゃっているからです
最近の一番のポイントは、女性が少年愛を楽しむようになってきたってこと
男性だけのものだった「性愛」の形が、女性も楽しむようになってきたんですねぇ
現代の言葉でいうと「やおい」や「ボーイズラブ」といったトコです
でもって、「腐女子」とかいう言葉までできちゃったり
もーワタクシの頭の中ではまとめることができないくらい、色んなジャンルが出来てます

現代のことは、現代の人の方が詳しいので、このへんは省きますが・・・

結論!!

男色の歴史を知らずして、日本史を知ることはできないっ

ってコトです(笑)

教科書には載らない、日本史の裏を楽しんでもらえましたでしょうか??
ってことで、ここはお開きにしようと思います







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