明治32年 1899年 

日本・・・黒字  アジア・・・青字  アメリカ・ヨーロッパ・・・赤字



明治32年 1899年 年表
1月19日 勝海舟死去 77歳

江戸末期の幕臣、勝海舟がこの日息を引き取りました

夕方五時ごろ、いつものようにお風呂に入り、お風呂から「おーい!ブランデーを持ってこーい!」と命令
でもって、一口飲んだ途端ぶっ倒れてしまいました

息を引き取ったのは21日午後5時ごろで、最後の言葉は「コレデオシマイ」

ちなみに、海軍省では銅像を建てよう!という計画があったんですが、勝海舟が生きているときから「死んでから銅像なんか建てるくらいなら、今その金をくれ」とバカにしてたことから、銅像を作るのはやめにした

2月7日 中学校令・実業学校令・高等女学校令公布
ペルー移住ブーム!

ペルーでは黒人奴隷も使用禁止!となり、(明治5年年表マリア・ルース号事件のとこに詳しいことが書いてあるよ)
さらには中国人クーリーもダメ!ということになり、農園主は労働力不足に困りまくりでした

日本はというと、人口増加によって失業者が多くハワイやアメリカに移民を開始してたんだけど、この頃カリフォルニアで「中国人や日本人はこれ以上来るな!」といった感じになっておりました

そこで新たな移住先としてペルーが注目されてきたのです

この年、790人を乗せた第一回目の移民船「佐倉丸」が日本を出航しました

そして移民のほとんどがペルーの砂糖農園で働くことに

ちなみにお給料は日本円で25円(この頃の平均日雇い労働者の給料の2倍)
契約期間は4年間であります

が、慣れない土地での暮らしにかなり大変だったそうです

この後、日系人がペルー社会で地位を高めるようになりますが(第二次世界大戦後くらい)
この頃の日本人は本当に苦労したんでしょうね・・・

2月14日 稲妻強盗!!坂本慶次郎が逮捕される

茨城・埼玉・千葉で強盗が多く発生

そのあざやかな出没ぶりと盗みっぷりに「稲妻強盗」というあだ名がつけられました

殺人を犯すことはなかったんだけど、凶器(鉄砲や刺身包丁など)を持っていて、家に押し入り家人を縛り上げて金品を強奪
抵抗すると傷を負わせ逃走し、女性は強姦される人まで現れた

神出鬼没な現れ方で、人々は眠れない日々をすごしました

そしてとうとう逮捕しのたです

犯人は茨城生まれの坂本慶次郎 34歳で、北海道で服役していたんだけど脱走し、犯行を重ねていました

そして死刑判決を受けたのであります

5月11日 参謀総長川上操六没(享年52歳)
5月15日 渋沢栄一、韓国で京仁鉄道を設立。
5月16日 参謀総長川上操六(11日没)の後任に大山巌を任命する
5月18日 第1回万国平和会議ハーグで開催
5月25日 食堂車初めて山陽鉄道に連結され、これより各線に及ぶ
7月13日 新たに22港を貿易港として開港
(清水、武豊、下関、四日市、門司、博多、口津、三角、巌原、佐須奈、鹿児島、那覇、浜田、境、宮津、敦賀、七尾、伏木、小樽、釧路、室蘭、唐津の諸港)

7月17日 治外法権撤廃に依り、諸外国人の内地雑居許される
7月4日 東京にビアホールができる

新橋に煉瓦立てのビアホールが出来ました

日本麦酒が「恵比寿ビール」の宣伝を目的として開店しましたが、これがめっちゃ大人気

遠方から馬車でくる人も現れ、店の前は連日大行列でした

8月 森永太一郎がアメリカから帰ってきて製菓工場を作る

森永太一郎がアメリカから帰ってきて製菓工場を建ていろんなお菓子を作ったんだけど、これが全く売れない
自らがチラシを持って、営業するも注文は全然取れない
それどころか馬鹿にされたらしい

ちなみにチラシに書いてあった品物は「キャンデー・フレンチボンボン・フレンチクリームチョコレート」などなど

10月2日 木下尚江・河野広中・片山潜ら、「普通選挙期成同盟会」結成
10月11日 南アフリカの権益を巡って英国とボーア人との間にボーア戦争が勃発。


12月16日 年賀郵便特別扱い始まる
この年の出来事

・東京〜大阪間の長距離電話ができるように