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 歴史トリビア 

えっ!?と驚きの歴史無駄知識


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平安トリビア


平安貴族は自分たちのことしか考えていなかった!?



貴族女性の楽しみは仏教の聴講と称した男鑑賞



平安貴族は抱き合うことができない!



平安美人が「扇」を持つのにはわけがあった!



平安美人は笑えなかった!



平安時代の気候は最悪だった!



清少納言の老後は超悲惨だった!?



関白藤原道隆のカワイイわがままとは?



紫式部は藤原道長にモーションをかけられ喜んだ!?


平安美人を現代で再現すると貞子よりも恐ろしい!?




平清盛は天皇の隠し子だった!



平安女性は髪の毛が長いほどモテた!?


囲碁をするのは親殺しと同じくらいの悪いことだった!


平安貴族は超風呂嫌いだった!?


平安貴族はみんな坊主になりたがった


庶民は死んだ後どうなったか!?


お偉いさんには「しびん係り」がいた


平氏VS源氏は食事で勝敗がついた!?














平安貴族は自分たちのことしか考えていなかった!?

平安時代は、ほんっとーーーーに一握りの貴族だけが優雅な生活をしていて、大半が貧乏でした

何度も飢饉に襲われ、農村の浮浪者たちがみんな都に集まり物乞いをしていたんだけど、貴族たちはそれを無視・・・
そして死骸もそのまんま
死骸を食べに野犬が集まり、都はすさまじい状況になっていたんだけど、貴族たちはそれを卑しいものを見るような感じ

いちおう政治をしなくちゃいけない立場なのに、その状況を見てなーんの手も打たないし、さらには自分だけ助かろうと仏教にのめりこむ始末

こんなんだから武士の時代がやってきちゃうんですねぇ


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貴族女性の楽しみは仏教の聴講と称した男鑑賞!

平安貴族の女性は、経典の講義を受けることがダイスキでした

もちろん、仏教の心を教わり、経典の講義を熱心に受ける・・・・・・というのは建前だったのです

実は講義へ行くのは若くてかっこいいお坊さんを見るのが目的

内容はちんぷんかんぷんでも、若くてかっこいいお坊さんが声をそろえて歌うように読経するのが超楽しみ♪だったのです

ということで、彼女たちは講義に行く時は派手な着物を着て、牛車に乗って張り切って出かけました

で、牛車の後ろに「出衣(いだしぎぬ)」と言って、着物のすそをちょこっと出す部分があるんですが、そこから豪華絢爛な柄の着物を出して女の意地を張り合ったのであります


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平安貴族は抱き合うことができない!?

平安貴族は服を着たまま抱き合うことはできません

なぜなら「十二単」というすさまじいガードがあるからです

上から唐衣(とうい)・上着・うちぎ・こうちぎ・あこめ・帷子(かたびら)・小袖を重ね着しますが、このうち「うちぎ」「こうちぎ」「あこめ」はそれぞれ六枚

ということで、これらを全部着ると達磨さんのようにマルマルしちゃってました

ちなみにうっかり袖の中に何かを入れちゃったら、そのブツは二度と出てこないようです(笑)

そして下はというと、さらに下袴・上袴(2枚着用)・袴(こちらも2枚)を着用し、その上に「裳(も)」をはきます

全部着用すると、10センチくらいになるので、抱き合うにも「ドーーーン!!!」といった感じなのでした


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平安美人が「扇」を持つのにはわけがあった!

平安時代の女性っていつも手に扇を持ってますよね〜

扇は熱いから仰ぐという目的で使われるのではなく、またも「おしろい」のためなのであります

平安美人の最大の敵は「白粉が剥げ落ちること」

だから御殿の廊下なんかを歩く時、おもしろいものを見ちゃって笑わないように扇で顔を隠したのです

そこまでするか?みたいな感じですが、おしろいが落ちるのは平安美人にとって最悪なことなのです

例えば、向こうから歩いてくる女性の書いたマユゲが落ちてたりすると、白粉に命をかけている女性はすっごい笑いたくなる光景

が、そんなものを見ちゃって自分が笑っちゃったら自分もおしろいがはげるので、見ないように・・・と扇で顔を隠しまくっていたのでした

なんか、大変ですねぇ


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平安美人は笑えなかった!

平安時代の美女は大口あけて「わはは」と笑うことはなく、口の先っぽを軽くあげて「ホホ・・・・」と笑うだけ

女性はだーれも人前で笑わないので、上品イメージがつきました

が!実は笑いたくても笑えなかったのです
それは下にも書いたように「白粉」のせい

厚く塗りたくってある白粉が、笑うとピキっとなってしまうのです

笑いたくても笑えない・・・・。なんかかわいそうですねぇ〜


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平安時代の気候は最悪だった!

優雅〜な平安時代
そして優雅〜な寝殿造りにすむ貴族たち・・・・

が!この時代、日本気候史上稀に見る寒冷気だったのであります

特に京都は現在でも夏は蒸し暑く、冬は寒い盆地

平安時代の人々はさらに最悪な寒冷期・・・・

この時代の床は畳みではなく板でした。さらにまだ綿が輸入されていないので、掛け布団がない

昼間にたんまり着込んでいる着物を布団代わりにしたのです
ほんっと平安時代というのは、見かけと違って大変な時代だったんですね〜


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清少納言の老後は超悲惨だった!?

清少納言といえば、平安時代を代表する才女

枕草子ではその才女ぶりを発揮し、大活躍していたが、さてさて老後はどうなったのでしょうか?

古事談という本によると、清少納言は京都のはずれにある荒れ果てた家でひっそりと暮らしていた

その前を通った人たちが「清少納言も落ちぶれたよな〜。こんなあばら家に住んでるとは」と話していると、中から老婆の声が
「何をいっているんだい!駿馬の骨を買わないか!」と聞こえた

落ちぶれても駿馬は駿馬。骨でも買い手はあるんだよという中国の言い伝えをもじったらしいのですが、老婆になっても教養だけはあったとか・・・


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関白藤原道隆のカワイイわがままとは?

関白藤原道隆は、藤原済時と藤原朝光とめちゃくちゃ仲良しだった

何をするのも3人一緒で、いっつもお酒を3人で飲み遊び暮らしていた

が、995年に疫病が大流行し、親友二人が死んでしまったのであります

さらに道隆も倒れて危篤状態に・・・

家臣たちが道隆が極楽へいけるよう西の方向に向け寝かせることに

すると道隆が「済時と朝光も極楽に行った?ねぇ行ったかな?もしあの二人が極楽に行ってないなら僕も行かない!!」と最後までダダをこねた

その後、すぐに亡くなりましたが果たして極楽で出会うことができたのでしょうか??

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紫式部は藤原道長にモーションをかけられ喜んだ!?

藤原道長といえば、平安時代の大実力者

紫式部は、藤原道長の家庭教師をし、そこで源氏物語を執筆したのであります

そんな紫式部は夫を失い独身で、もう若くもない身

そこへ当時の大実力者・藤原道長が紫式部のもとへ夜中こっそりやってきたのであります

紫式部は断りましたが、どうやら相当嬉しかったらしい

なんせ相手は時の権力者(しかもモテモテ)
嬉しさを隠し切れず、思わず日記に書いちゃったのでありました


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平安美人を現代で再現すると貞子よりも恐ろしい!?

平安美人・・・なにやら雅でいい香りがしてきそうであります

が、実際は化け物のようでありました

貴族の娘は外出もほとんどNG そのため不健康

さらに食べ物も今と違い全てが欠乏 栄養失調気味で顔がむくんでいた

流行っている化粧はまつげを全部抜き、でこの上にちょこんと書く
眉と眉の間はなるべく離して書くのが鉄則!!

さらに顔は真っ白 これは男性が夜やってくるとき、いかにはかなげに青白く見せるか
ってことで象牙のベラにたんまりつけた白粉をぬりまくり

さーらーに、お歯黒

髪の毛も生まれて一度も切らないので七メートルくらい

シャンプーなどもないので、油でツヤツヤにさせる まるでゴキブリ・・・


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平清盛は天皇の隠し子だった!

平清盛といえば、平家のボスで「平家の人じゃなければ人間じゃないよ」とまで言わしめたゴッドファーザー

その勢いは天皇家をもしのぐものでしたが、ナゼ武士である清盛がここまで出世できたのか?

それは平清盛が白河法皇の隠し子だからであります

白河法皇はとある女性と不倫しますが、なんとその女性の妹にまで手をつけ妊娠させちゃった

さすがにおねーちゃんの方に怒れるなぁとビビった白河法皇は、なんと妊娠した妹を、家臣の平忠盛と結婚させちゃったのです

こーして清盛は、12歳で元服するとともにすぐさま従五位下の暗いを貰っちゃいました

藤原家なんかからはブーブー文句が出ましたが、「白河法皇の隠し子」というのが噂されると、みんななーーーんにも言えなくなっちゃった

こーして清盛は武士として異例の出世街道を走っていくのでありました


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平安女性は髪の毛が長いほどモテた!?

髪は女の命といいますが、平安時代はホント命でした

美人の条件は「黒くてつやつやした超ロングヘア」だったので、みんな毎日椿油で髪の毛をツルテカにしていたのです

ちなみに7メートルくらいの人もわんさかいました
なんで髪の毛をそんなに伸ばすのか?というと、白粉で塗りたくった白い顔を際立たせるためであります

でも中には髪の毛の薄い女性だっている。そんな女性は?というと

ズバリ!かつらをしていたのであります

もちろんこの時代なので、かつらに使用するのは本物の髪の毛

しかも行き倒れた女性なんかの髪の毛を切って売る商売人がいたので、平安美人達はそれを買っていたのです

平安美人のゴージャスなクロテカ髪が、死んだ人の髪の毛だと思うと・・・コワ


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囲碁をするのは親殺しと同じくらいの悪いことだった!

囲碁はいつごろ日本にやってきたのは?ですが、平安時代にはかなり流行ってました

で、だんだんと賭け事にも使用されるように

そこで出てきたのが徒然草で有名な吉田兼好

吉田兼好は「囲碁やすごろくは、親殺しと同罪だ!」とまで言っちゃいました

全然関係ないけど、この吉田兼好は世捨て人となったハズなのに、徒然草にてやたら世の中のコトに首を突っ込んでいる・・・


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平安貴族は超風呂嫌いだった!?

上品でミヤビ〜な平安貴族

が、この頃は入浴するっていう習慣がなく、平安貴族たちは五ヶ月に一度だけ沐浴をするだけだった!

さらに沐浴の日にも吉兆があって、どうやら五月一日の朝に沐浴すると長生きできるとか、わざわざ占い師に来てもらって○月○日にあそこにある家で沐浴しろとか、大変な騒ぎだったらしい

大変ですのー

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平安貴族はみんな坊主になりたがった

当時は浄土信仰が大ブーム!みんな早く出家して極楽へ行きたいと思っていた

そのためさっさと世間のうざさから逃れ、出家して極楽へいけるようお祈りをささげたかったのであります

ちなみに源氏物語の光源氏も出家したかったんだけど、できなかった


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庶民は死んだ後どうなったか!?

平安時代は疫病や飢饉が何度もあり、そのたびに大量の死者がでました

貴族の人はちゃんとお墓を造ってもらえたけど、一般庶民はどうなっちゃったのでしょう

実は大宝律令に「無位無冠の人はお墓に入ってはいけない」という法律があったため、京都の町は死人だらけだったのであります

街中死体だらけだったので、仕方なく京都の郊外に死人を捨てることになりました

今やのどかな古都巡りコースの鴨川やあだしのなどは、実は庶民の死体を捨てる場所だったのであります


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お偉いさんには「しびん係り」がいた

しびんってわかりますか?まぁ、携帯トイレみたいなもんです

この時代の鎧は50キロ以上あり、ボタンもファスナーもないので、一度鎧を着用したらなかなか脱ぐことはできませんでした

ってコトで、トイレは尿筒(しとづつ)というしびんで行ったのです

しかも偉い人にはしびん専用の家来がいて、常に近くに待機してました

それだけの為に仕えるって、すごく切ないですねぇ〜


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平氏VS源氏は食事で勝敗がついた!?

源頼朝をボスとした源氏と、平清盛をボスとした平氏の戦いは、食事で勝敗がついたようなもの・・・!?

というのも、関東の武士で構成された源氏は、公家のような「タブー」の食材もあまりないので、鹿や猪、それに山菜や海草なども食べていました

とりあえず食に関しては採れたモノをモリモリ食べていたのです

ということで、でんぷんやカルシウム・ビタミンなど栄養もばっちり

反対に公家生活に染まっていた平氏の方々は、地方から取り寄せた品々を食べるので塩分がスゴイ(保存するために塩をきかせてる)

品数は多いけど、新鮮な野菜や魚などではなく、塩漬けされたものが多かった

そのため平氏の人々は偏った食事だったので栄養が足りなかったのです

だから戦いの時も体力があり余ってる関東武士には勝てなかったのかも・・・


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