![]() ![]() |
えっ!?と驚きの歴史無駄知識 古代史 平安時代 鎌倉時代 室町時代 戦国時代 江戸時代 幕末 明治 近代史 ハガクレ★カフェTOPへ戻る |
浮世絵は包装紙として使われていた! |
江戸時代、浮世絵は庶民が楽しむための絵であって、見終われば用なしでした が、紙は貴重だったため、いらなくなった浮世絵を包装紙として再利用していました ちょうどその頃、日本の焼き物がヨーロッパに輸出されるようになってたんだけど、その時焼き物を梱包するのに使われたのが浮世絵 ヨーロッパに焼き物が届いた時、人々は焼き物よりも包装紙の美しさにベタボレ 浮世絵はヨーロッパで大人気になったのでありました 上へ戻る |
宮本武蔵VS佐々木小次郎・・・え?小次郎はヨボヨボおじいさん!? |
有名な巌流島の決闘 関門海峡にある小さな島で、宮本武蔵と佐々木小次郎が戦い 「遅れたり武蔵」「小次郎敗れたり」はめっちゃ有名ですね〜 が!どうやらこの時、小次郎はおじいちゃんだったのです! 武蔵は29歳とまだまだ現役なんですが、小次郎を調べてみるとどうやら54歳、もしくは70歳だったんですね 小説ではツバメ返しなんてかっこいい戦い方をしてますが(笑) 武蔵もずいぶんお年寄りと決闘したもんですなww 上へ戻る |
落語「目黒の秋刀魚」にはモデルがいた? |
落語、目黒の秋刀魚(サンマ)には、どうやらモデルがいたらしい ちなみに、目黒の秋刀魚というお話はとゆーと あるとき、お殿様が目黒の農家に立ち寄った時、秋刀魚をごちそうになった お殿様はめっちゃ気に入って、さっそく屋敷に戻って家臣たちに秋刀魚を料理させた が、家臣たちは秋刀魚の骨を丁寧に抜き、蒸し焼きに それがちーっともおいしくない お殿様「この秋刀魚はどこのじゃ?」 家臣「日本橋でございます」 お殿様「ふーむ。秋刀魚は目黒に限る」 とゆーもの。新鮮な魚が入る日本橋に比べて、農家しかない目黒の秋刀魚がおいしいはずがない が、この時代秋刀魚といえば庶民の食べ物で、さらにお殿様用に丁寧に丁寧に作った秋刀魚 将軍の世間知らずを皮肉ったお話なんですね~ このお殿様のモデルは、どうやら三代目将軍・家光か、八代目将軍・吉宗だそうです この2人、目黒の「鷹番」とゆーとこにしょっちゅう鷹狩りに行ってた でもって、ここらへんにあった茶屋で秋刀魚を食べたという話がもとになってるんだって 上へ戻る |
武士の切腹にフランス人が気絶! |
武士にとって切腹というのはつきもの が、外国人にとって切腹は信じられないものでした 日本人の切腹をはじめて見たのはフランス公使レオン・ロッシュ御一行 土佐藩士が切腹することとなり、その藩士は腹を切り、さらに腹に手をつっこみ内臓を引っ張り出し投げつけちゃいました これをみたフランス人らは顔面蒼白!そして貧血&卒倒者が続出 日本人の「ハラキリ」が有名になってしまったのでした 上へ戻る |
江戸の遊び人は性病にかかって一人前!? |
粋な江戸っ子は性病にかかったことが自慢だったようです 性病になって初めて「遊び人」と言われていました 遊女も性病にかかってる遊女の値段が高くなるという、今では信じられない状態でした 梅毒は一回目の症状がおわると、潜伏期に入りますが、これを「トヤ」といい、もっとも高級な遊女である太夫は「トヤ女」に限る!という歌まで出てしまうほどだったのでした 上へ戻る |
心中すると裸でさらし者にされた! |
江戸で大流行した心中 身分違いで結婚できない男女が、一緒に死ぬというのが心中で、浄瑠璃で取り上げられてから大流行してしまいました 困った幕府は「心中」という言い方をやめさせ「相対死(そうたいし)」と呼ぶよう指示 さらに心中した死体は裸にしてさらし者にしました 心中未遂でも3日間さらし者。で、その後は乞食として扱うように このさらすという罰に江戸の男性はわれもわれもと見物に行くように 心中する人の中に吉原遊女(トップレベル)の女性が多かったため、みんな美人の裸を見れるってんで喜んででかけたそうです・・・ 上へ戻る |
9代将軍のみっともないあだ名とは!? |
9代将軍家重はこっぱずかしいニックネームが それは「小便公方」 どうやら家重はトイレがめっちゃ近かったらしく、行く先々にトイレを常設しまくり 将軍がお漏らししたらみっともないもんね 増上寺までたかだか30分の道のりに3箇所もトイレを設置するというトイレの近さで、江戸庶民からは「小便公方」というあだ名がつけられてしまったのでした 上へ戻る |
美男子が二枚目と言われるそのわけは!? |
かっこいい男の人のことを二枚目と言いますが、これはもともと江戸時代の歌舞伎に由来します 芝居小屋では劇場の正面口に八枚の絵看板を飾っていました 一枚目の絵は「書き出し」といってその芝居の主演俳優の絵 で、二枚目が若い美男子の花形役者の絵が飾られていたのです ちなみに三枚目はおちゃらけた喜劇役者俳優の絵でした 上へ戻る |
江戸時代にも「大人のオモチャ」屋さんがあった |
その名は「四つ目屋」といいます 両国にあった四つ目屋忠平衛のお店で、そこには江戸時代版のバイアグラなんかが売っていました しかも飛脚をとばして通信販売もしておりました 四つ目屋を詠んだ川柳も多くあり、「目を四つ 寄せて泣き出す いい薬」とか、「あべこべさ 長命丸で死ぬといい」などなどがあります ちなみに長命丸とは男性のエッチ時間を長持ちさせる薬 さらに老人用は「助け舟」という名前の薬でした〜 上へ戻る |
日本初のレンタル業は「ふんどし」屋さん! |
レンタル業の元祖はふんどしだそーです 江戸時代の男性の下着といえば「ふんどし」 が、ふんどしはかなり高いものだった とゆーことで、始まったのが貸しふんどし屋 汚れたふんどしを持っていくと、選択してくれてアイロン(火のしのことね)までかけてあるふんどしと取り替えてくれる 一回60文(新品は250文)なんで、ビンボーな武士たちに大人気でした 上へ戻る |
大岡越前もビックリ!?女性の性欲!? |
名奉行・大岡越前が、裁判の参考にお母さんにこう聞きました 「女性のセックス卒業年齢はいくつですか?」 するとお母さんは、だまーーーって火箸で火鉢の灰をかきならしました 大岡越前は「女性というのは灰になるまで可能なんだ・・・」と、悟ったようです 上へ戻る |
日本で初めてエレベーターを設置したのはあのお人 |
初めて「エレベーター」を設置したのは、なんとあの水戸黄門こと徳川光圀であります といっても、小型リフトのようなもので、自分の図書室に本を小型リフトにのせて、手綱を引いて使っておりました ちなみに人を乗せるためのエレベーター第一号は、明治23年に作られた今は無き浅草のタワー「凌雲閣」 一度に20人を乗せることができました〜 第二号は帝国ホテル 第三号は日本銀行です 上へ戻る |
花火の合言葉「た〜まや〜」は、ほんとにあったお店 |
夏の花火大会・・・ よく「た〜まや〜!!」とか「か〜ぎや〜」って言いますよね? が、実際たまやってなんじゃ? 実は江戸時代、両国に玉屋と鍵屋という花火師がおりました 玉屋は鍵屋ののれんわけしたお店で、上流は玉屋・下流は鍵屋が仕切っていて、花火合戦を繰り広げていたのです で、江戸時代の人たちは玉屋があげた花火を「た〜まや〜」と掛け声をしてたのです 花火勝負はというと、玉屋のほうが人気があったらしいんですが、火事で店が全焼してしまいました 32年間の花火バトルは玉屋の火事で終わりとなり、鍵屋は現在創業300年以上続いたお店として今も続いております 上へ戻る |
側近から妻&娘を奪っちゃったエロ将軍! |
それは五代将軍綱吉であります! 綱吉の側近に牧野成貞という旗本がいました 牧野成貞の妻・阿久里(おぐり)は、とても美人で優しい女性。成貞との間には松子・安・亀という三人の娘も生まれ幸せ一杯 ところが!綱吉は阿久里のことを気に入り、無理やり阿久里を大奥に召しだしてしまったのです 妻を奪われた成貞でしたが、おかげでとんとん拍子で出世していきました が、将軍綱吉は阿久里だけでは満足できず、阿久里に似た美貌を持つ次女の安も欲しくなっちゃったのです 安はすでに婿養子をとっており、仲良く新婚生活を送っておりました が、綱吉は安を無理やり犯してしまい、そのまま大奥へ入れてしまったのです 安の夫は、妻を奪われ、切腹して将軍に抗議しました 牧野成貞はムコの死を悲しみましたが、将軍のいいつけには逆らえず泣く泣くガマン・・・ ちなみにこのお話はフジテレビの大奥でも有名ですね ところでその後の牧野成貞はどーなったか??というと・・・ その後すぐに起きた老中・堀田正俊が殿中でさされる事件の時、成貞は将軍の身を案じて小刀を持ってかけつけました するとその場にいた柳沢吉安に「妻と娘を奪われた恨みをはらすべく将軍を殺すつもりだな!!」といわれたのです 以後、成貞は全てがイヤになっちゃって酒浸りの生活に・・・ 綱吉の好色により、妻を奪われ、娘を奪われ、そして婿にも自殺されるという、あまりにも悲惨な成貞でした・・・ 上へ戻る |
江戸時代における理想の結婚相手とは? |
ズバリ!!理想の結婚相手はイトコであります 当時は家同時の付き合いがとても重要だったので、色々と知っているいとこ同士の結婚が一番スムーズで、皆から羨ましがられるパターンでした あの松尾芭蕉もイトコ同士の結婚を絶賛しており、さらに自分もイトコと結婚したかったフシが・・・ 「あの時邪魔が入らなければ、今頃・・・」と書いた文章があるそうです(笑) 上へ戻る |
あのベストセラー作家・滝沢馬琴のサイドビジネスとは!? |
滝沢馬琴といえば「南総里見八犬伝」を書いた超大物作家 が、当時作家というのは今のような印税がないので、原稿料はとても少なかった ということで、副業をしないと生活できなかったのであります ということで馬琴がしていた副業とは何か?というと、「糞尿売り」つまりウンコを売っていたのであります 当時の糞尿は肥料として農家に売ることができました ちなみにウンコにも値段があって、武家屋敷のウンコは値段が高く、小伝馬町の牢屋などの囚人のウンコが最低ランク 馬琴が売っていたのは普通の町屋のウンコらしいですが、そのお値段は一人分のウンコの見返りにナス50個でした 上へ戻る |
江戸時代の究極の美人とは? |
江戸時代のおける究極の美人とはどのような人だったのか? 好色一代男に書いてある庶民にとっての究極の美人は・・・ まず、鏡で姿を整えなくても、髪の毛を綺麗に整えなくても美しいこと・素足が美しいこと・手足の指は豊かに細いこと・姿かたちはしとやかだけど肉付きがいいこと・目つきが利口そうであること・肌は雪と争うほど美しいこと・声が澄んでいること・客をフヌケにするほど床上手なこと・プレゼントをもらわないこと・長い手紙が書けること・情け深いこと・お琴・三味線が上手なこと・・・・・とまぁ延々と美人の条件は続いていきます さて果たしてこんなに多くの条件をクリアする女性がいたのか??というと、どうやら夕霧という遊女がこの条件を全てクリアしていたそうです どんな女性が見てみたいもんですね〜 上へ戻る |
あの水戸黄門がしてしまった非道なコトとは? |
水戸光圀ファンガッカリのネタであります 若かりし頃、浅草のお堂で一休みしていた光圀と友達 すると友達が「おい、この縁の下に非人がいるぞ。引きずり出して試し斬りしようぜ」と言いました。光圀はそんな非情なことはできないと断りましたが、友達に臆病者と笑われてしまった 熱くなった光圀は、友達と二人で試し斬り用の非人を探し出したのです 非人たちは「私たちだって人間です。そのような無慈悲なことはやめて下さい」と這いずり回って奥へ逃げていきました が、光圀は「私もそう思う。が仕方ないのだ。許せ」と、ついに一人の非人を縁の下から引きずり出し、試し斬りしたのでありました 光圀はこのことを非情に後悔しており、その友達とは二度と会わなかったそうです 上へ戻る |
池大雅が富士山をみてやっちゃったこととは?? |
巨匠・池大雅が、京都から東海道へ行く途中の富士山をみてめちゃくちゃ感動してしまいました その番、宿に泊まった池大雅ですが、たまたま部屋に真っ白な屏風が・・・ 思わずその白い屏風に富士山を書きたくて書きたくて、ついに宿の人に無断で富士山の絵を描いてしまいました 翌朝、ばれたら怒られる〜ということで、池大雅は挨拶もせずそそくさと宿を出て行きました もちろん宿の主人は屏風に書いてある絵を見て激怒!! が、あとから池大雅が書いたということがわかり、家宝にしたそうです ラッキーですねぇ〜 上へ戻る |
遠山の金さんの入墨は桜吹雪ではなかった!? |
「やいやいやい!この桜吹雪が目にはいらねぇか!」で有名な遠山の金さん 金さんのトレードマークともいえる桜吹雪の入墨 が、どうやら桜吹雪ではなく「女の生首」だったらしい ちなみに金さんは、いっつも腕を隠していたといわれている 上へ戻る |
松尾芭蕉は忍者だった!? |
俳句で有名な芭蕉 実は甲賀忍者なのではないか?と言われている というのも、芭蕉は少年時代忍者の一族に仕えて過ごしている それに芭蕉は異常な早足。 さらに死に方も毒殺ではないか?といわれている どうやら全国を旅し、スパイ活動をしまくっていたからとも・・・ 上へ戻る |
蚊を殺しただけで島流しされるという法律があった! |
徳川五代将軍綱吉は、いつまでたってもお世継ぎである男児が生まれなかった そこで綱吉のママが信頼しているお坊さんに相談したところ「綱吉殿が前世で殺生をしたからです。これからは生類を憐れみなさい」と言ったもんだから大変なことに 綱吉は戌年なので、最初は「犬」を大事にしてたんだけど、それでも子は生まれない ならば!と、犬だけではなく、そのほかの生類全てを殺すことを禁じられたのです おかげで魚屋は閉店するわ、江戸の町は犬を粗末に扱えばつかまるわと大変なことに 果ては蚊を殺したってことで島流しにあう人まで出てしまったのです それでも最後まで子は生まれず、綱吉は死んじゃいました 六代将軍となった家宣はすぐさまこの「生類憐みの令」を廃止しちゃいました 上へ戻る |
大奥から美女がいなくなった! |
八代将軍吉宗の頃の江戸幕府は超ビンボー 特にお金がかかるのが、女のきらびやかな世界「大奥」 吉宗は何とかして大奥にかかる費用を節減したかったけど、大奥はある意味「裏の政治」を取り仕切りまくっている 正面から勝負したら勝てっこない そこで吉宗「大奥から美女100人を集めろ」と命令したのです 色めきだったのは大奥の女性たち 「もしかしたらアタシ、側室に選ばれるかもしれない♪」と、美に自信のある女性100人が選ばれ吉宗の前へ すると吉宗「この者たちは美人ぞろいだから、里へ下がってもいくらでも嫁ぎ先があるであろう。ブスは縁遠いから残すように」 美人だからリストラされると言われれば、文句のいいようがない こうして美人100人がスゴスゴと大奥から出て行ったのであります 残ったブスはウレシイやら哀しいやら・・・ 上へ戻る |
男性と遊びまくっていた大名未亡人がいた |
江戸時代というのは、男性にはパラダイスだが女性には厳しかった そんな中、尾張藩四代目徳川吉通の生母・本寿院はスキャンダルメーカーだった 夫が死んで出家したものの、それからは遊び放題 江戸に住んでいたんだけど、国から新しい藩士が遊びに来ると、わざわざお風呂に連れて行き、ち○ち○の大きさをしらべ、大きければエッチしちゃうという奔放ぶり さらにエスカレートし、お相手は役者・相撲取り・僧侶・町人とあらゆる男と遊びまくり お付のお医者さんは「もう中絶手術ばっかやらされて嫌です」と辞表を出す始末。ちなみにこのお医者さんにもエッチを迫った こまったのは尾張藩 なんといっても「主君の生母」なのである ヘタなことはできないってことで、みんなそ知らぬふり そこで業を煮やした幕府がとうとう「本寿院を幽閉しなさい」という命令を下したのです こうして41歳の本寿院は名古屋城下の屋敷に幽閉され、男遊びができなくなってしまったのでありました 上へ戻る |
小林一茶は絶倫エロじいさんだった! |
小林一茶といえば、知らない人はいない超有名な俳人 が、実はこの人すんごいエロじーさんだった まず52歳で初めて結婚 。お相手は28歳のお菊さん 筆まめ一茶はお菊さんとでエッチした日と回数を日記に書いちゃってました。「○月○日 晴 夕方 雨 菊女帰 夜五交合」などなど、毎日きちんとメモってます。一日に5回とか・・・。 で、お菊さんとは三男一女をもうけますが、子供は全て死んでしまい、お菊さんも結婚9年後の37歳で死んでしまったのです。多分子供産みすぎて疲れちゃったんでしょう・・・。 ところが61歳の一茶!今度は38歳のユキさんと結婚。が、ユキさん・・・あまりの一茶の性欲のすごさ(?)に実家に帰ってしまいました。 64歳の一茶、今度はやをさん32歳と結婚。年齢差は32歳!すごいデス・・・・でもやをさんとの間には子供もできました。 代表的な俳句に ・痩せ蛙 負けるな一茶 ここにあり って、なんだか頑張っちゃってる一茶が彷彿してきます。 ・めでたさも ちう位也 おらが春 よかったネ。 上へ戻る |
大名より偉くなった動物がいた |
それは「象」 ベトナムから長崎に2頭の象が贈られてきたのである ちなみに一頭は死んだ この象を当時の天皇が「珍しい異国の生き物を見てみたい〜♪」と言ったもんだから大変なことに なんせ天皇のいる宮中には「官位」がない人は入れない そのため象に「従四位」を与えたのです 徳川家の水戸黄門でさえ「従三位」 ということで、この象は人間様より偉い身分になってしまったのであった ちなみにこの象が死んだ後どうなったか? 実は料理人が買い取り、お吸い物にして売り出したところ大人気だったそうであーる 上へ戻る |
賄賂老中・田沼意次のもとに届いたすごいプレゼントとは!? |
1772年〜1788年の間、幕府を仕切っていた老中・田沼意次 この人、賄賂老中として悪名高い人であります さてさて、田舎藩主達は自分達をいい役職につけてもらおうと、必死で田沼意次にプレゼントを贈っていました もうどの家も必死でプレゼントの攻撃! そこでとある大名が大きな人形箱を送りました 田沼意次は開けてビックリ!なんと人形箱の中から生きた京都の美人さんが現れたのです! いやー、すごいですねー あ、ちなみに田沼意次はすごい賄賂政治がとうとう庶民の反感を買い、失脚してしまいました 上へ戻る |
将軍の乳母・春日局は殺人者だった! |
春日局といえば、大奥を取りしきり、三代将軍家光を育て上げた乳母 この春日局、実は大奥勤めする前に夫の愛人を殺害していたのです 夫の稲葉正成は、女性関係にだらしない男で、家に愛人を連れ込みまくり 怒った春日局は、なんとその愛人を刺し殺したのです 正成はこれが表ざたになったらヤバイってことで、この事件をもみ消しました で、離婚となったのです この後、行くあてのない春日局は、家光の乳母募集の立て札を見て乳母の座をゲットしたのであります 上へ戻る |
三代将軍家光はホモだった! |
三代将軍家光は、子供の頃からおかーさんと乳母の春日局の女のバトルを見てきたため、どうやら女性不信となってしまった また、そううつ病だったとも言われており、一番くつろいでいられるのは小姓たちと一緒にいる時だった 家光の近くには、いつも若い侍や、美少年小姓がいました 家光がホモと知った春日局は慌てて側室探しをスタートさせ、なんとか跡継ぎを生ませることができました 上へ戻る |
宮本武蔵は就職に恵まれなかった |
宮本武蔵といえば、二刀流の剣豪 そんな武蔵は剣一筋!人を斬ることが多かったので、多くの恨みを買いまくっていた そのためなかなか定職につくことができず、ずーっとプータロー生活 やっとこさ就職できたのは57歳の時 それでも四年後には死んでしまったのでした 上へ戻る |
下級武士は女風呂を覗いていた! |
徳川幕府は参勤交代によって諸藩の武士達を江戸に呼び寄せていた ここで切ないのが貧乏武士 地方から江戸へやってきて、都会のことをなーんにも知らないし、ビンボーなんで吉原に行くお金も無い ってことで、手っ取り早い欲求解消方法が「覗き」 風呂に行き、女性の裸を見て欲求を解消していたのでした ちなみに江戸っ子はこーいった貧乏武士をバカにしており「女が珍しいのか?しみったれてやがる!」と笑っていた 上へ戻る |
御台様は、トイレの後のお尻も拭かなかった! |
御台様というのは、将軍の正室のこと 御台様にはいろーんな制約がありました くしゃみしただけで、「風邪を引いたら大変!」と、スルメの粉を炊いていぶしたり、鼻をかむにも、紙を自分でとっちゃダメだった 極めつけは、ウンチした後自分でお尻をふいちゃダメとゆーもの 女中が一緒にトイレに入り、ウンチの後、お尻を拭いて差し上げるのだ それでも、トイレから出た後、御台様は二度手を洗うという仕来りがあった いやはや、大変でございますなぁ 上へ戻る |
隅田川の花火の目的は悪霊退治だった!? |
東京の風物詩・隅田川の花火 が、コレ実は、悪霊退治&霊を慰める為にはじめたものなのです 時は1733年。八代将軍吉宗の時代に享保の大飢饉が起きてしまいました。江戸は餓死した人の死体だらけ これらの霊を慰めるために、吉宗は両国で水神祭を行い、このときに花火を打ち明けたのです ちなみによく花火の時に「たまやー!」「かぎやー!」と言いますが、これは江戸にあった花火屋さんのこと 鍵屋(かぎや)の方が老舗 上へ戻る |
大トロを食べることは「恥」だった! |
寿司で一番高いネタといえば「大トロ」 が、江戸時代は本マグロの大トロは恥かしくって食べたことさえ言えない食べ物だったのです どうやら当時はあの油っこいのが嫌われていたらしい さらにマグロ自体も最低な魚で、「塩マグロ 取り巻いている かかぁたち」という歌までできちゃうほど、マグロは長屋の女房しか買わない下賎な魚と言われていたのです マグロがやっとこさ日の目を見ることができたのは天保の大飢饉(1830年ごろ)の時 深刻な食糧不足だった時、突然マグロが大量に江戸湾に入ってきたのです その時、マグロを醤油とみりんに漬けた「ヅケ」がネタとして使われてから、マグロはやっとこさ江戸庶民の口に入れてもらえることができました 上へ戻る |
札付きの悪には本当に札があった! |
よく「あいつは札付きの悪だよ!」と言うが、札付きの悪には本当に札がついていた 江戸時代、親から縁を切られることを「勘当」と言いました(今でも使われるよね) 親は子供を勘当すると、奉行所に届出を出しました 届出された子供は「札つき物」と言われ、役人からチェックされるように 親からも見離されるほどの「ワル」なため、勘当され札をつけられることから「札付きの悪」と言われたのでした 上へ戻る |
五代将軍綱吉はカラスを島流しにした! |
綱吉といえば、「生類憐みの令」を作ったお人 犬をはじめとした動物たちを大事にしなさい!という法律で、江戸庶民は大迷惑した そんな綱吉、ある日江戸城の外に出たときにカラスの糞がべっちゃりと頭に落ちてきた 将軍の頭に糞をするとは無礼者めぇ!と怒った綱吉は、そのカラスを捕まえよと命じました なんとか捕まえたカラス 殺してやりたいけど、自分が出した生類憐みの令によって殺すことはできない ということで綱吉は、「このカラスを島流しにする!」と、わざわざ牢駕籠を作り伊豆の新島に流しました で、新島で放されたカラス ノンキに江戸の方へ飛び去ったとさ〜 上へ戻る |
十五代将軍慶喜は大奥にめちゃくちゃ嫌われていた! |
そうなんです!最後の将軍慶喜は、大奥の女性からすっごく嫌われていたのです 理由は慶喜のお父さんの徳川斉昭のせい この人、わがままなエロジジィでしかもケチ 大奥の女性に手をつけたりと、すんごく嫌われてました ということで、「あの斉昭の息子でしょ?絶対同じような性格よ!」と、会う前から大ブーイングだったのです 慶喜はホントは結構いい男なのに、気の毒ですね でも大奥ではモテなかったけど、他でモテたから、ま・いっか 上へ戻る |
銀座と金座があった! |
オシャレな街・銀座 もともと銀座は江戸幕府の銀貨を作る役所があった場所なのであります 家康がいた駿府の銀貨を作るお役所「銀座」を、江戸の「銀座」に移したのであります ということで、金座もありました が、今は地名も残っていないんですねぇ〜 上へ戻る |
あの有名人物は同じ場所に住んでいた! |
「やいやいやい!この桜吹雪が目にはいらねぇかぁ!」で有名な遠山の金さんと、鬼平犯科帳で有名な長谷川平蔵 この二人、おんなじ場所に住んでました といっても一緒に住んでいたわけじゃーなくて、平蔵が住んでいた本所三ツ目の屋敷跡に、のちに遠山の金さんが家を建てたのであります 意外なところでつながっていたんですね〜 上へ戻る |