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 歴史トリビア 

えっ!?と驚きの歴史無駄知識


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戦国トリビア

コピー商品を配りまくっていた秀吉


武将達が領地より欲しがったものとは!?


とんでもないモノを持ってきたポルトガル船


竹中半兵衛が斎藤家を見捨てた理由とは!?


伊達政宗がお気に入りの茶碗を割った理由とは?


農民にとって合戦は大迷惑!?


影武者VS影武者??川中島の一騎打ち


織田信長も禁止したお祭りとは!?


猛将・福島正則がどーしても勝てなかった相手とは?


息子のご飯の食べ方で北条家の行く末を予言した北条氏康


鉄砲の始まりは「女性部隊」から?


徳川家康はブサイクな赤ちゃんが大嫌い!!


徳川家は名刀・村正が大嫌いだった


伊達政宗は実のお母さんに殺されるとこだった!


武田信玄は大好きな彼氏にラブレターを送った


織田信長は初めて見た黒人をゴシゴシ洗った


秀吉の耳の匂いを嗅ぐだけで大金持ちになった男がいた


馬の糞汁を飲んだ武士がいた


戦場で名刺をばらまいた武士がいた


真田幸村はイジメられっこだった


とってもうれしい!?尼子経久の変な趣味


歌舞伎の始まりはストリップだった!?


川中島の合戦は全部で5回もあった


徳川家康は武田信玄にビビってうんこをもらした


元のもくあみの木阿弥さんは実在の人だった




コピー商品を配りまくっていた秀吉

天下統一をなしとげた秀吉
よくやってくれた家臣に領地を与えたくても、全て配分し終わってるので、手柄をたてた家臣がいてもあげる領地がなかった

そこで考えたのが、ご褒美に名刀「政宗」を与えること

が、そんな名刀がたくさん作れるわけがないので、秀吉は偽者をいっぱい作って与えていたのであります

大阪城が落城した時に、「五郎政宗」とうってある名刀のコピーがわんさか出てきた

でも、偽者といえどもなかなか上手く出来ていて、もらった方が全然気がつかなかったらしい

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武将達が領地より欲しがったものとは!?

ズバリ「茶器」であります

室町幕府が崩壊した時、歴代将軍が集めていた名物茶器を無理やり奪った織田信長(名物茶道具狩りとゆーやつです)

天下の名物茶器はほとんどが信長のものになってました

で、家臣たちに茶器や道具を与えたのであります

秀吉は信長に「茶会を開いてもいいぞ」とゆー許可をもらった時は泣いて喜び、滝川一益は褒美に領地をもらった時「領地はいらないから茶器が欲しい」と言ったほどだったのでした



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とんでもないモノを持ってきたポルトガル船

宣教師などを乗せたポルトガル船は、いろーんな珍しいモノを日本へ持ってきていました

が!

ついでに「梅毒」も乗せて持ってきちゃったのであります

梅毒は日本でガンガン広まり、さらに特効薬もなかったのでみんなとっても困ってました

あの加藤清正も梅毒に悩まされていたそうですぞ〜

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竹中半兵衛が斎藤家を見捨てた理由とは!?

名軍師・竹中半兵衛は斎藤道三の代から斉藤家に仕えておりました

半兵衛は見た目が色白でナヨナヨしてたんですが、主君が道三から龍興に変わってから容姿をバカにされまくっていました

ある日、龍興の家臣が、下を歩いている半兵衛をみかけて、オシッコをかけたのです
半兵衛はめっちゃ怒ったんですが、家臣たちは大笑い

この後、半兵衛は計略によって稲葉山城を乗っ取り、でもって占領した稲葉山城をさっさと捨て、出て行ってしまったのです

この噂を聞いたのちの豊臣秀吉が半兵衛を自分の軍師になってくれとスカウトし、花開くのでありました


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伊達政宗がお気に入りの茶碗を割った理由とは?

政宗がずーっと大切にしていた高価なお茶碗がありました

ある日政宗はそれを落としそうになりましたが、膝でガバっと押さえてなんとかセーフ

すると政宗、いきなり茶碗を庭石に叩きつけて割ってしまったのです

家臣ビックリ!どうしたのかとたずねると

「驚いたことのないワシが、この茶碗を落としそうになった時、焦って冷や汗が出た!このワシに冷や汗を出させるなど許さん!!」

さすが政宗(笑)

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猛将・福島正則がどーしても勝てなかった相手とは?

敵に背中を見せたことがないというのが自慢だった福島正則

そんな正則がある日、お酒の席で「実は一度だけ敵に背中を見せたことがあるのだ・・・」と語り始めた

相手はなんと奥さんであります

ある日、正則が朝帰りして「ただいま〜」と帰ってきた
するといきなり、奥さんが薙刀を持って正則に襲い掛かってきた!!

慌てた正則は必死で逃げました

「百戦して一度も敵に背中を見せたことがないのに、今回は背中を見せてしまった・・・。女は恐ろしい・・・」と語ったそうです(笑)


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農民にとって合戦は大迷惑!?

戦国時代といえば合戦!

が、農民にとっては大迷惑!
この頃の「兵」は、ほとんどが農民だったのであります

領主のやり方によって違いますが、だいたい男の子は15歳くらいから徴兵されちゃいます
ついこないだまで畑を耕していたのに、領主が「合戦だぞ!早く来い!」と言うと、すぐさま行かなければならない

しかも武具も持っていないので、本当に簡単な格好で戦へ向かいました

そのため、合戦で死んだ8割以上が元・農民だったのであります

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影武者VS影武者??川中島の一騎打ち

川中島の合戦で有名なのが上杉謙信VS武田信玄の一騎打ち

まさに名将と名将の勝負であります

が!この一騎打ち自体もホントなの?感があるんですが、さらにこの時の信玄は、実は信玄の二番目の弟・信康だっという説があるのです

信康は顔も体型も信玄とソックリ。そのため影武者にされていたんですねぇ
ちなみにこの時の上杉謙信も影武者だったという説もあり、川中島の合戦は謎だらけなのであります


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織田信長も禁止したお祭りとは!?

あの織田信長も禁止命令を出した荒っぽいお祭りが、尾張の大国魂神社で行われていました

それは毎年神男(しんおとこ)を選び、その神男をみんながよってたかって痛めつけるというもの

どうやら疫神送りをもとに作られ、毎年神男は疫病の神様の役となりみんなに打ちのめされるのであります
疫病で子供を亡くした人なんかは、神男が疫病神に見えてしまい、思いっきり神男を痛めつける
こーなるとだーれも神男になりたくなくなってきちゃいました
すると氏子たちは旅人を拉致し、神男にしたてあげるのであります

これには、あの織田信長も「このお祭りは禁止じゃぁ!」と怒ったのでありました


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息子のご飯の食べ方で北条家の行く末を予言した北条氏康

北条氏康は戦国時代に関東を制した名将であります

氏康はご飯に味噌汁をかけて食べるのがスキで、ある時息子の氏政とともに食事をしました
するとその様子を見ていた氏康が、ふぅっとため息をつきこう言いました

「ワシの代で北条は滅びるであろう・・・」

氏政をはじめ、家臣はビックリ
すると氏康「今、ワシは氏政の食べ方を見ていた。こやつは飯に汁を二回もかけて食べた。一度にかける汁の量もわからないとは情けない。このような不器用なヤツでは家臣の心をとらえることはできない」

みんながいる前でこんな不吉なことを言っちゃう氏康もどーなのよ!?といった感じですが(笑)、見事!?その予感は的中し、豊臣秀吉によって北条氏政は滅ぼされちゃったのでした

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鉄砲の始まりは「女性部隊」から?

戦国時代に欠かせない武器となった鉄砲

が、この鉄砲を使いこなしていたのは女性だったのであります

戦国時代はどの家も人手不足だったため、女性の手を借りておりました

が、やはり接近戦は大変・・・・ということで、鉄砲隊を組織させ遠くから敵をガンガンと撃っていたのです

実際に池田せん女という女性は、200人以上もの鉄砲武者を抱え、戦国時代に大活躍しておりました

ですが鉄砲隊の隊長を命じられた男性武将はかなりプライドを傷つけられるものだったようです

「なんでこんな役をやらされなければいけないのか・・・。情けない」と泣いて悔しがるほど、鉄砲隊の隊長はやりたくないものだったのでした


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徳川家は名刀・村正が大嫌いだった

伊勢桑名にいた村正

村正の作った刀は切れ味がとてもよく名刀と言われていた

が、徳川家はこの「村正」を妖刀として忌み嫌った

それはなぜかというと、家康のおじいさんは村正で家臣に殺された

さらに父親の広忠も村正

家康も関ヶ原の合戦時、陣中で誤って槍先で怪我をしてしまった

この時の槍も村正だったのであります

こうして村正は徳川にとても嫌われた・・・・が、反対に幕末になると徳川幕府を倒すべく薩摩や長州の志士たちは好んで村正を使った


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徳川家康はブサイクな赤ちゃんが大嫌い!!

徳川家康は数多くの側室を作り、多くの子供を生ませていますが、どーーやら生まれた赤ちゃんが可愛くない子だと嫌いになっちゃう人だったらしい

次男の結城秀康も顔が魚に似てるってことで、長い間認知されずに、しまいには次男だというのに養子に出されちゃう

六男の忠輝も「色が黒くて可愛くない!!こんな恐ろしい顔の子供は捨てろ!」と言われる始末
で、家康は忠輝を江戸城から出して、家臣に預けてしまうのでありました

お父さんに嫌われた忠輝でしたが、義父の伊達政宗にはそんなに嫌われていなかったとか・・・

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伊達政宗は実のお母さんに殺されるとこだった!
政宗は幼い頃疱瘡になり、目が飛び出るという醜い顔になってしまいました

お母さんはそれをめちゃくちゃ嫌がり、次男ばかり可愛がっちゃいました

そのため「伊達の跡継ぎは次男に・・・」と考えるようになり、政宗が秀吉に呼ばれ小田原へ行く時「お祝いの宴をしてあ・げ・る」と誘いました

幼い頃からおかーさんにイジメられてた政宗は喜んで、宴へ

が、その宴に出された政宗のご飯には毒が入っていたのです

政宗は三日三晩寝込み、なんとか命だけはとりとめました

そして「弟を生かしてるとまたオレ殺されるかも」と、実の弟を殺したのです

が、おかーさんのことは殺すことができませんでした


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武田信玄は大好きな彼氏にラブレターを送った
信玄といえば正妻の他に3人の側室がおり、女性関係も華やか

が、そんな彼女達よりもっとスキだったのが「男」

特に後に武田家臣として大活躍する「高坂弾正」のことが超お気に入りだった

ある日信玄が他の小姓と浮気した。するとそれが高坂にバレてしまった!

あせった信玄は「ごめん!本当にごめん!一番スキなのはそなただから、つまらない嫉妬はしないでおくれ。明日になったら浮気してないってことを起請文に書いて渡すから許して!」

あの信玄からは想像できない出来事であります(笑)

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織田信長は初めて見た黒人をゴシゴシ洗った
信長のもとへ、宣教師ヴァリヤーノがやってきた。その時、ヴァリヤーノが連れてきたのが黒人に信長は興味津々

なんせ体が真っ黒なのである

「あいつは体に何か塗っているのか!?」と聞くと、ヴァリヤーノは「いいえ。生まれつきです。この男の国の人間は全て真っ黒なのです」

それでも信じられない信長は「ちょっと洗ってみろ」といい、その黒人を裸にしてゴシゴシ洗い出したのであります

が、もちろん落ちるわけがない

信長はその黒人が欲しくなり、ヴァリヤーノに「くれ」とお願い

こうして「ヤスケ」という名前をつけられました

ちなみに本能寺の変の時、ヤスケも大暴れしたそうです。が、明智光秀は「ヤスケはわけわかんないまま戦ってただけだから許してあげよう」と言って許したそうです

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秀吉の耳の匂いを嗅ぐだけで大金持ちになった男がいた
曾呂利新左衛門(そろりしんざえもん)という刀の鞘を作る男がいた

新左衛門は話がうまかったので秀吉が気に入り、何か褒美を取らせようと言った

すると新左衛門が「いえ、私は小判などはいりません。それより今後、いつでも太閤様のお耳の匂いを嗅がせてもらえれば幸せでございます」と言ったのです

秀吉は変なヤツじゃなぁ〜と思ったが、OKした

以後、新左衛門は諸大名らの前で、秀吉の耳の匂いをクンクン嗅ぐように

が!これが諸大名らの間で「新左衛門は秀吉に気に入られている。あれは何かこっそり秀吉の耳元でこそこそと何かをささやいているのではないか!?」と噂に

そうなると新左衛門に気に入られようと、いろんな人がプレゼント攻撃をしてきた

後からソレを聞いた秀吉は、「悪知恵の働くヤツよ」と笑ったという


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馬のフン汁を飲んだ武士がいた

武田信玄の家臣・米倉種継は、合戦にて必死に戦っている時、弾丸がおなかに当たってしまった!

血がどくどく流れ、もうヤバイ・・・という時、味方の誰かが「葦毛の馬の糞を水に溶かして飲むと命が助かるぞ!」と言い出した

で、みんな必死で葦毛の馬を探し、その糞を持ってきた

が、肝心の米倉種継が「ワシは武士である!命惜しさに馬の糞汁など飲んでは末代の恥じゃ!」と飲むのを拒否した

すると親友の甘利三郎四郎がやってきて、その馬の糞汁をごくごくと飲み「うん。うまい!さ、おぬしも飲め」と言ったのです

種継は感動し、その馬の糞汁を飲んだのでした

ちなみに、種継は命をとりとめました

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戦場で名刺をばらまいた武士がいた

戦場で名刺をばらまいた武士・・・その名は壇団右衛門(ばんだんえもん)

壇団右衛門は加藤嘉昭に仕えていた武将でしたが、攻関ヶ原の合戦の時、を焦って主君の加藤嘉昭に「お前は将の器ではない!」と怒られ、ムカついて浪人になりました

その後、大阪の陣に参加し、足軽大将に

で、とある晩、夜襲をしかけたのです

が、夜襲だけあってどこの誰がやってきたかわからない

それじゃつまらんってことで、壇団右衛門は「夜討ちの壇団右衛門」という木の札を作り、ばらまいたのです

要するに、目立ちたがり屋だったんですね〜

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真田幸村はイジメられっこだった

真田幸村といえば、大阪の陣で大活躍し、日本一の兵と言われたくらいの人

そんな真田幸村は、なんと大阪城内でイジメにあいまくっていたのです

イジメたのは秀吉の側室である淀君の側近達

真田幸村が戦いについて意見しても全て無視。新参者の幸村の作戦などだーれも聞いてくれず、しまいには幸村は家康のスパイとまで言われる始末

幸村の作戦を少しでも聞いていれば、豊臣は滅亡せずにすんだかもしれないのにね


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とってもうれしい!?尼子経久の変な趣味

尼子経久は一代で11カ国をゲットした勇将であります

そんな経久の変わった趣味は「人にプレゼントするのが大好き」とゆーもの

誰かが経久に「その刀、ステキですね」と言ったもんなら、「そう?嬉しいな!じゃああげるよ」と、何でもプレゼントしちゃうのであります

そのため家臣とかは「うちの殿様はなんて優しいんだ」と、主君のために戦場で必死に戦ったんですねー

で、他の家の家臣たちも「経久のとこ行けば可愛がってもらえる」と、経久のもとに集まり、尼子家は栄えていったのでした

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歌舞伎の始まりはストリップだった!?

現代は高尚な人しか観にいかないよーな感じのする歌舞伎

が、実はもともと歌舞伎とはストリップのよーなものだったのであります

歌舞伎を作ったのは出雲阿国という女性。この出雲阿国が男装し、舞台で脱ぎまくった(らしい)

そのため歌舞伎は大ブレイク!

ですが江戸時代になると、「風紀上よくない」ってことで、禁止されちゃうんですね〜

ちなみに禁止になってから、若い男の子が「若衆歌舞伎」ってのを始め、今で言うジャニーズみたいになっていきます。が、これも禁止

ってことで、現代のよーな感じになってくんですね〜


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川中島の合戦は全部で5回もあった

上杉謙信VS武田信玄の戦いで有名な「川中島の合戦」

が、実はこの戦い、全部で5回もあったのです

ハイライトは4回目の戦い

それ以外は、陣をひいたけど両者にらみ合いだったり、小競り合いだったり

ちなみに全5回の戦いでしたが、とうとう決着がつかずに終わりましたが、両者とも「オレが勝った」と言いふらしていたようです

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徳川家康は武田信玄にビビってうんこをもらした

徳川家康は、武田信玄が上洛するというニュースを聞き、進軍をとめるべく三方ヶ原へと出陣した

これが世に言う「三方ヶ原の合戦」であります

が、武田軍はすごい勢いで、家康はあっという間に負けてしまった

家康は必死で城まで逃げたけど、後ろから武田軍が追ってくる

思わず家康はビビってうんこをもらしてしまったのです

なんとか城へ戻ることができ、一安心した家康

さっそく馬から降りると、近くにいた家来が「ん・・・?」と悪臭に気がついた

慌てた家康は「焼き味噌をこぼしちゃったヨ」と言い訳したが、匂いでさすがにバレてしまったであろう・・・


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元のもくあみの木阿弥さんは実在の人だった

順調にいってたことが元に戻っちゃうことを「元のもくあみになっちゃったよー」と言ったりしますが、この木阿弥さん実在する人だったのです

戦国時代の大名・筒井順昭が死んでしまい、息子の筒井順慶が当主になった時、まだ11歳でした

群雄割拠の時代、11歳の当主だと他の大名に狙われてしまう・・・ということで、死んだ順昭にソックリだったのが木阿弥という人

木阿弥は順昭の影武者となりました

で、息子の順慶が成長したら木阿弥さんの役目は終了

お払い箱となり、城主の影武者からフツーの庶民の暮らしに戻ったのであります

これが「元のもくあみ」となるのであります