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えっ!?と驚きの歴史無駄知識 古代史 平安時代 鎌倉時代 室町時代 戦国時代 江戸時代 幕末 明治 近代史 ハガクレ★カフェTOPへ戻る |
天皇が3人まとめて強盗にあった! |
天皇といえば、ほとんど外に出ないもんなんですが、足利尊氏軍と六波羅探題が京都でドンパチ始めてしまい、 六波羅探題の北条仲時と時益は、もう天皇を守りきれないかも!と決心 後伏見上皇・花園上皇・光厳天皇の3人を京都から逃がすことに が!途中で野伏に囲まれて、いきなり襲われてしまったのです ここで時益は戦死してしまい、残った仲時は「天子(天皇)に向かってなんてことするんだぁ!」と怒りました すると野伏たちは「フン。知ったことか。この道を通りたければ荷物をぜーーんぶ置いていけ!馬もな!」 ということで、天皇御一行はみぐるみはがされてしまったのでした |
銀閣寺はお金が無かったため金ピカにできなかった! |
銀閣寺を建てたのは8代将軍の義政 が、こやつは金遣いが荒く、政治が大の苦手な浪費っ子 もー政治なんてほったらかしで遊んでばっかり 妻の日野富子は将軍であるダンナに代わってバリバリと息子のために金儲けしまくりでした そんな義政、尊敬するおじいちゃん義満のような金色のおうち(金閣寺)を建てたかった が、お金がないので富子に相談 もちろん富子は「アホか!!」とお断り ということで、しぶしぶ銀にしたのであります 今となってはそれがいい味出してますけどね 上へ戻る |
新田義貞は女で身を滅ぼした! |
新田義貞といえば鎌倉幕府を滅亡させた立役者 朝廷に反旗を翻した足利尊氏を滅ぼすべく九州へ追いやり、楠木正成と並ぶ天皇の忠臣でした が、戦を知り抜いている武士だというのに、なぜか足利尊氏をすぐさま滅ぼさずブラブラと遊んでいた なぜか??? それは後醍醐天皇からもらった匂当内侍(こうとうのないし)という女性のせい 田舎から出てきた武士である新田義貞は都会(京都)に来て、華やかな都や見た事のない美女をみてビックリ 中でもピカイチの美女だった匂当内侍にメロメロ すると天皇が「義貞はよくやってくれたから、ワシの女をあげる」と、匂当内侍をプレゼントしちゃったのです すっかり美女のとりこになちゃった義貞は、今行かなきゃどーするんだ!という戦いの勝機を、匂当内侍と離れたくなかったためにズルズルと延ばしちゃったのであります 義貞がイチャイチャしている間に、足利尊氏は勢いを増し、最後は足利尊氏の勝利となったのでした 上へ戻る |
あの吉田兼好がラブレター代筆をしていた! |
吉田兼好といえば、徒然草で有名なお人 世捨て人となり、世の中のアレコレを書いていた人であります そんな吉田兼好ですが、どーやら現役時代、バサラで有名な高師直のラブレター代筆をやっていました 高師直がどーしても自分のモノにした!と心に誓った塩谷高貞の美人妻 が、美人妻はあの手この手を使ってもなびかない ってことで高師直は徒然草がヒットしている吉田兼好に、ラブレターを書かせたのであります ですがその手紙も美人妻は無視 フラれた高師直は怒って「吉田兼好はたいしたことねぇ!」と周りに言いふらし、さらに吉田兼好を出入り禁止にしてしまったのでした 上へ戻る |
天才猿楽役者・世阿弥は将軍義満の愛人だった |
世阿弥といえば、花伝書を残した天才猿楽役者!12歳の時に父の公演に出演したところ、美少年好きの義満にひとめぼれされちゃいました! 18歳義満と12歳世阿弥のホモカップルが誕生! さらに将軍のゴキゲンを取るには世阿弥に色々やってもらった方が早いというので、世阿弥はいろんな人からプレゼント攻撃されまくった が、義満の時代が終わると、世阿弥は次の将軍に追放されてしまうのでありました 上へ戻る |
くじ引きで決められた将軍がいた! |
足利家でとんだ事件が起きていた 五代将軍が死んでしまい、その五代将軍の兄弟は全て出家しちゃっていたのだ 弱った重臣たちはこの四人のうち、誰を将軍にするかで揉めた 時の権力者たちは一人ずつバックアップし、あれやこれやの会議となったが、なかなか決まらない そこでとうとう「こうなったらくじ引きで決めよう!」ということになってしまったのだ そして見事大当たり(?)となったのが義教 が、この義教は、自分がくじ引きで決められた将軍だっつーことが気に入らず「ナメられてたまるかぁ!」と、家臣たちをびしびし取り締まる 恐怖政治となり、とうとう家臣に暗殺されてしまうのであった 上へ戻る |
足利義満は天皇になろうとした! |
足利義満といえば、室町幕府の三代将軍で、もーーー超権力をゲットした人であります 義満は太政大臣となり、天皇家をもしのぐ勢い っていうか、しのいでた そんな義満、中国の明に出す手紙に、自分のことを「日本国王」と署名しちゃいました 中国側は義満のことを、「日本で一番えらい人」と思ってたのです そんな義満ですが、1408年に死んでしまいました どーやら、危険を感じた天皇の家臣が義満に毒を盛ったという噂があります 上へ戻る |
足利義満は上皇の愛人にまで手を出した! |
お次もわがまま将軍・義満が起こした事件でございます 日本では、天皇の妻や愛妾に手を出すことは絶対NGでした ナゼ?というと、手を出して妊娠しちゃって、その子が皇位を継いじゃったら天皇家の血じゃなくなるから ってことで、天皇の妻だった人たちは、全員おうちの奥に住んでいたのであります それほど大変なことだというのに、義満は後円融上皇の愛妾の一人、あぜちという女性に手を出してしまいました 怒ったご後円融上皇は、あぜちを折檻し、とうとう出家させました 怒った義満! なんと上皇に文句を言ってきたのです 上皇のプライドはずたずた「なんで下の者に文句を言われなきゃならんのじゃー」と、切腹しようとしたのです なんとか切腹はしないですみましたが、天皇家は、切腹しようとする以外に将軍家に対抗できなかったんですね それほど、天皇家の地位は落ちており、義満の力はすごかったのでした 上へ戻る |
とんちの一休さんはエッチな生臭坊主だった!? |
一休さんといえば、この時代の名僧ですが、実はとーっても生臭坊主 坊さんのくせに酒を飲み、女遊びしまくっていました エロい歌まで詠んじゃったりしてます そんな一休さんは76歳のときに26歳の女性と愛人関係を持ち、その愛人関係は死ぬまで続きました すごいですね〜。どんなとんちを使ってそんな若い女性をゲットしたのか聞きたいですね〜 上へ戻る |
公家が浮浪者になってしまった事件とは! |
公家が浮浪者に・・・・。そうなったきっかけは「応仁の乱」であります 応仁の乱は11年もの間、京の都を舞台に繰り広げられました 都は焼け野原となり、屋敷を焼かれた公家が続出 資金源である地方の荘園も、どさくさに紛れて武士達に奪われちゃったので、公家は一斉に宿無しの一文無しになってしまったのです それでも知恵のある公家は、武士達に官位をあげるよう朝廷に取り持ってあげる!と、謝礼を貰ったりして生き延びましたが、時代の急激な変化についていけない公家は、没落していったのです なかには農民に物乞いをしながらさまよう公家なども現れ、京の都は公家の浮浪者続出となってしまったのでした 上へ戻る |